レンのスパイ大作戦 7
セバスが待つブルーベル家専用の観覧席に戻ったら、珍しくセバスに怒っている兄様と、そのセバスと兄様の間に困った顔で挟まっているアリスターがいた。
「にいたま~」
同じお屋敷にいても、兄様は朝はぼくよりも早く家を出てしまうし、剣術大会の試合は観戦しないようにって約束させられたし、帰りも剣の稽古で兄様とアリスターは遅くなることもあって、兄様と一緒に過ごす時間がとーっても短いの!
夜は同じベッドで眠るけど、兄様とお喋りしたりギュッと抱き着いたり、甘える時間はほぼなし。
だから、会えたときは遠慮なく甘えるのです!
「レン! よかった、無事だったね」
ぐえっとなるほど兄様に強く抱きしめられました。
う、嬉しいけど、苦しい。
「おいおい、ヒュー。そんなにギュッとしたらレンが苦しいだろう……って、なんだ?」
ぼくが兄様に寂しかった思いよ届けと突撃したならば、当然同じ寂しさを抱えているディディもアリスターに突撃する。
アリスターの足の脛に全身でしがみつくディディの姿に、アリスターは苦笑してひょいとその体を抱き上げた。
とっても優しい顔をして「どうした、相棒?」って話しかけていたよ。
「ちょっと、ほのぼのしているヒマはないわよ」
プリプリと尻尾を振って獣姿に戻った紫紺がするりと兄様の足の間を通り抜けると、背中に小鳥姿の真紅を乗せた狼姿の白銀もダダーッと走り込んできた。
どうやら、スパイ大作戦で子どもの姿に変身していたのが、窮屈だったみたい。
「白銀、紫紺。レンと危ないことしていたって聞いたよ!」
兄様が珍しく紫紺をギロリと睨みつけました。
「あら、危ないことなんてないわ。アタシたちが一緒だもの。ほら、戦利品よ」
紫紺は兄様の視線も気にせず、トンッと軽い身のこなしでテーブルの上に乗ると、例のガラス玉をコロコロと転がした。
「紫紺様、こちらは?」
ぼくたちのお茶の用意をしていたセバスが、転がっているガラス玉の一つを手に取り、じーっと見つめる。
「ホワイトバート公爵家の寄り子貴族の子どもたちが持っていたものよ。レンやディディにはそこから瘴気が出ているのが見えたんですって」
「「なに?」」
紫紺の報告に兄様とアリスターはテーブルの上にあるガラス玉へと手を伸ばす。
セバスは冷静にガラス玉を検分したあと、今度はぼくに向かって質問をしてきた。
「レン様。こちらのガラス玉から黒いモヤモヤが出ていたのですね?」
「うん。あと……まわりのひと、うすーいモヤモヤ、あった」
「うすいモヤモヤ?」
セバスが首を捻ると、白銀がお皿の上のお菓子をむしゃむしゃ食べながら補足する。
「ああ、そりゃ瘴気だけど、人が当たり前にある負の感情が具現化したものだから平気だ。その負の感情が瘴気につられて増幅していくと、厄介だけどな」
「そうねぇ。今回は剣術大会っていう血気盛んな場所だから、そういうのもあるけど……このガラス玉のせいで、神気を帯びた瘴気が蔓延しつつあるわ」
むむむ、難しい話になってきたぞ。
うすーいモヤモヤは、ぼくたちが感じる「かなしい」「さみしい」「くやしい」みたいな負の感情が目に見えている状態のこと。
このモヤモヤが黒いモヤモヤ、つまり瘴気になって、そこに神獣と聖獣が持つ神気が混ざると、人を操ったり悪いことしたりする悪い人が誕生してしまう。
わ~、大変!
「やっぱり、ホワイトホース侯爵令嬢が企んでいた?」
兄様が低い声で紫紺に尋ねると、紫紺はこちらをチラッと見た。
「ううん。あのひと、くろいモヤモヤ、ないの」
そう、ミランダ様もガラス玉のアクセサリーを身に付けていたけど、そのガラス玉は鈍く光るだけでモヤモヤは出ていなかったんだよ。
「え……じゃあ、誰が瘴気をバラ撒いているんだ?」
んゆ?
悪い人……誰だろう?
むんっと胸を張って俺たちの前に立つ一人の少年……いや? ヒューバートより年上だな?
緑色の瞳は俺たちを観察して、キラキッラに輝いている。
あれ……俺たちのこと、面白い玩具見つけたぞ、とか考えていそうなんだが……。
「アル。気をつけて。こんなダンジョンの最下層に武器も持たずにいるなんて、怪しい」
リンの言う通りだ。
武器も持たずって防具も着ていない、ちょっとそこまでお散歩みたいな恰好で、最難関ダンジョン内にいる少年なんて怪しい。
「あれれ? お前らちょっとくたびれているな?」
「そりゃ、そうだろう。このダンジョンのボスモンスターとの連戦後なんだ。魔力も体力もゴリゴリに削られて、ハッキリ言って死にそうだっ」
やけくそでミックが叫ぶと、その少年は驚いた顔をして文字通り飛び上がった。
「ええーっ。死んじゃうの? それは困るよ~。せっかく外に出れて面白い人間を見つけたのにぃ」
やっぱり……こいつ、俺たちのこと面白いって思ってたし、俺たちのことを人間と呼ぶつーことは……こいつは人じゃないのか。
「お前、何者だ?」
息も絶え絶えの俺は、謎の少年を誰何しつつ利き手に剣を握り、反対の手に魔力を集める。
「あ……本当に死にそう。しょうがない、今は気分がいいから、特別だぞぉ」
ぶわっと何かが俺たちの体に振りかけられる。
少年は、フワフワとその体を宙に浮かばせ、両手をひらひらとこちらに向かって降っていた。
その手からは、キラキラとした何かが零れおちていて?
「リン……俺はもうダメだ。幻覚が見える……」
ガクッと全身から力が抜け……抜け……、あれ? 力が漲ってくるぞ?