花の名前
ぼくが凝視していたお花の鉢植の後ろから、ひょっこりと大人の男の人が出てきた。
肩までの長さの藍色の髪の毛がボサボサであちこちに跳ねている、痩せた男の人。
黒縁の大きな眼鏡をかけていて、その奥には眠そうな目が半分だけ開いてる。
榛色の優しい目をしているけど……誰?
ぼくは、お花から一歩下がって、その男の人から距離を取る。
なんか、薄汚れた白衣を着たひょろりとした男の人、ぼくに向ける熱い視線がちょっと怖いな……。
「あれ?そんなに怖がらないでよ。ほら、この青い花は僕が作ったんだよー」
ヘラヘラ笑ってるのは信用ならないが、この青いお花を作った人となると俄然に興味が沸く。
「この、おはな?」
指差して、こてんと首を傾げてみせる。
「はわわわ!君、かわいいねー。うーん今度はこういう花を作ったら受けがいいかもなー」
やっぱりこの人、胡散臭い人だ。
ぼくは、じりじり後ろに下がっていき、兄様の体の後ろにサッと回り込む。
白銀と紫紺がぼくの前に出て、かわいい姿でシャーッと威嚇してくれる。
「あれ?嫌われちっゃた?困ったな」
全然困った風に見えないけど、この人は周りの空気が読めない掴みどころのない変な人だ!
兄様もぼくの顔を見て、どうしようか?と眉を下げている。
変な人には近づいちゃいけない!同じアパートに住んでいたおネエさんがいつもそう注意してくれたよ。
「そんなに、警戒しないでよ。そこのワンちゃん、ネコちゃんも」
男の人はしゃがんで白銀と紫紺をわしゃわしゃ、撫でまわし始めた。
二人の顔がすっごく迷惑そう。
白銀が「殺っていい?」みたいな顔でぼくを見るけど、ダメだよ、我慢してっ!
「ふうっ、癒されたー。よし、ご褒美をあげよう」
男の人は青いお花の後ろに戻ってごそごそした後、青いお花を一輪、リボンを付けてぼくに差し出した。
「はい、どうぞ」
「え?でも……」
「いいんだよ。花を気に入ってくれたしね!あ、そうだ!この花にはまだ名前がないんだ、付けてくれないか?」
え!名前ないの?
ええっ!ぼくが付けるの?
「ど……どうしよう」
ポンとぼくの頭に手を置いて、兄様が、
「いいんじゃない。きっとこの花を一番好きなのはレンだよ!大好きなお花に素敵なお名前を付けてあげよう」
と言って、迷うぼくの背中を押してくれた。
でも、さりげなくハードルを上げられたような……。
はい、とぼくに青いお花を手渡して、ニコニコと見守るお花を作った変な男の人。
兄様もニコニコ。
白銀と紫紺は素知らぬフリ。
そう、誰も手伝ってくれないんだね……。
ぼくは改めて青いお花を見る。
兄様と同じ色のお花だけど、ヒューバートって付けたらダメだよね?うん、知ってた。
うーん、青い色……兄様の瞳みたいな、今日の青空のような……綺麗な澄み渡る青い色……。
「あまいろ……」
天色……、兄様を示す色……そして金色。
お花の花びらの縁を飾るキラキラと煌めく金色。
太陽の煌めき?
ううん、もっと鋭くて研ぎ澄まされたような……昨日の兄様が振るった剣の刃のような……。
「あまいろのけん」
【天色の剣】てどうだろう。
そのまま兄様のイメージだけど……、そもそもこのお花はぼくの中では兄様のイメージだし。
「へえ……随分勇ましい名前だね。うん、でもいいかも。こいつは他の花とは違う印象だし……。うん、気に入った!ありがとう!」
ガシッと両脇に手を入れられ、あっという間に抱き上げられるぼく。
そのまま男の人は僕を掲げ持ち、くるくる回る。
やーめーてー!目が回るよう。
なんとか兄様が助け出してくれました。
ふうーっ。
「おっと、忘れてた。僕は花の研究をしているシードだよ。よろしくね」
「えっと……、レン、でしゅ」
ペコリとお辞儀をして、「しろがね、しこん」とご紹介。
「ヒューバートです」
「うん。君たちもよろしくね。で、君たちは……」
変な男の人、シードさんはぼくと兄様を指差して首を傾げる。
「僕とレンは兄弟です」
兄様がぼくの肩を抱く。
ああ、わからないよね?
髪も目の色も違うし、年も離れてるもん。
「仲がいいね。レンくんはお兄さんが大好きなんだね」
「へ?」
いや、そうだけど……何を急に……、か、顔が熱くなってきたよ?ううー。
「?」
兄様は何を言われたのか分かってないみたいで、ぼくの赤く染まった顔と、シードさんの顔を見比べている。
「あれ気づかなかった?この花、【天色の剣】は君、ヒューバート君と同じ色だろ?」
兄様が驚いて、マジマジとお花を見る。
段々と兄様の頬が赤く染まっていく。
ぼくたちがふたりで顔を赤く染めてたら、いつのまにか父様が来ていた。
「何してるんだ?ふたりとも、顔を赤くして?」
父様と母様とセバスさんも交えて、ぼくが青いお花の名前を付けたことと、このお花が兄様のイメージとぴったりでぼくが大好きだって話したら、父様が拗ねた。
「旦那様……」
「だって、ヒューのイメージだったら俺も同じ色味じゃないか……。俺だって……」
父様は母様が慰めていたよ。
セバスさんは呆れていたし、兄様はさっくり無視していたけど……。
「それはともかく、【天色の剣】か…。ふむ、シードと言ったか?この花の流通はどう考えている?」
「は?いや、品評会の評価でも散々でしたからね、流通もなにも……」
「では、ブルーベル領にて辺境伯に献上するつもりはないか?」
「はあ?」
シードさんがびっくりして目も口も大きく開けたまま、止まちゃったよ?
「この青と金はブルーベル家の色だ。辺境伯に献上し、ブルーベル家の印となればお前もそれなりに恩恵を受けることができると思うし、悪い話ではないと思うが」
「そ、それはそうですが…。辺境伯様に献上なんて……。て、もしかして……」
シードさんがぼくたちを見回して、ガクガクと足を震わし始めた。
「もしかして……ブルーベル辺境伯様の…」
「ああ、俺たちのことは気にするな。取りあえず献上用の花を用意してくれ。近いうちに君もブルーベル領に来てくれると助かるな。その際にはブルーベル辺境伯騎士団まで訪ねてきてくれ。俺の名前はギルバート・ブルーベルだ」
「……辺境伯騎士団の団長様じゃないですかー!」
シードさんが泣き始めた。
あれ?父様ったらシードさんをいじめているの?ダメだよ、いじめちゃ。
「ふふ。シードさんにとってはいいお話なのよ。ねえ、貴方。植物の研究をするならアースホープ領もいいけど、ブルーベル領も興味深いわよ?温暖な地域、海、山とあらゆる土壌の研究ができるわ。もしよかったらブルーベル領でも素晴らしい花を咲かせてね」
母様がシードさんと握手しながら、ブルーベル領に勧誘している。
シードさんの眼が次第にキラキラと輝きだして、「海の砂や……高山植物とか……」とブツブツ言い出したよ。
その姿がマッドサイエンティストみたいで、やっぱりこの人……怖い。
あとは、セバスさんに任せて、ぼくたちはお祖父様とお祖母様の元へ。
帰りの挨拶をしないとね。