笛の音を追って 5
レンの悲鳴が聞こえた。
いつのまにか、怪しい道化師の恰好をした男が立っていた場所で尻もちをついている、レン。
助けに行かなきゃと体の重心をズラした瞬間、体の真横に剣がブンッとよぎった。
「!」
考えるよりも先に体が動き、次の攻撃を避けるために横倒しにゴロゴロと転がる。
他の男たちよりもやや大柄な悪人が、僕に大剣を振り下ろそうとしていた。
「逃げるなよ、坊主」
ニヤニヤと笑う。
こいつが人を切るのは、命を奪うのは初めてじゃないんだろう。
レンを助けにいきたいが、こいつを放っておくのもまずい。
こいつは、子供でも平気で殺す奴だ。
低い体勢のまま剣を構え直す。
時間はかけられない。一撃で倒す!
ぐっと柄を握りこむ僕の耳に、か細く聞こえるレンの声。
はっと、思わずレンの方へ目を向けてしまった。
レンに対してナイフを翳す道化師の男が目に映る。
「レン!」
そちらに駆け出そうとする僕に、大剣の男が楽しそうに笑う。
「はははっ、よそ見してんじゃねぇよ!」
まずい!
男に視線を戻すと、目の前には剣が振り下ろされる……間に合わないっ!
ザシッュ。
肉が切り裂かれる音。噴き出る血の匂い。
……でも、ぼく……どこも痛くないよ?
あれ?と恐る恐る丸めた体を起こして、目を開ける。
「レン!大丈夫か?」
ふさふさと揺れる尻尾。
こちらを心配そうに窺う、白銀。
「しろがね!」
ぼくはそのもふもふの体に抱き着く。
「俺様が来たからにはもう大丈夫だ!悪い奴はみんな倒してやるからな!」
「うん!うん。ありがと」
ぐすぐす、安心したら涙と鼻水が出てきちゃった。
ぼくにナイフを向けていた道化師の人は、白銀に切り落とされた右手を笛を掴んだ左手で押さえながら、痛みで呻いていた。
「で、こいつが親玉か?」
「さあ?」
笛を吹いていたのはこの人だと思うけど、他のおじさんたちのボスかと聞かれたら……わかんないんだよね?
この人、ずっと立ってるだけだったもん。
ぼくがアリスターの妹を逃がそうとしたら、襲ってきたんだよ?
なんでだろうね?
白銀にそう言ったら、白銀も困ったように眉間にシワを作ってしまった。
「あー、俺は難しいことはわからん。とりあえず、捕まえればいいだろう。あとはギルたちに任せる!」
ギル?
あ、父様たちも来てるんだ!
そういえば、紫紺が魔法で作った竜巻の風の音が止んで、その代わりにキン、ガキンと剣戟の音が激しくなったような?
キョロと辺りを見回すと、父様や騎士さんたちが悪人をバッタバッタと倒して、ひとりひとり縄で拘束している。
よかった……これでみんな助かるよね?
「グルルルル」
白銀が威嚇で唸る。
「どうちたの?」
ちょっと目を離した隙に、道化師の人が立ち上がって、今まで背にしていた木の中へ消えようとしている。
木の中に?
ぼくは、白銀の体からひょこと顔だけ出して、その大きな木を見てみる。
いつのまにか、木の太い幹に大きな穴が空いていた。木の洞?
その穴の輪郭は、ウヨウヨと歪んで見える。
なに?あれ?
「ちっ、転移するつもりか」
白銀が、重心を低くくして、攻撃の姿勢になる。
「逃がしちゃダメよ!」
スタンと、白銀の隣に紫紺がしなやかに飛び降りてくる。
「わかってる」
「……転移?いいえ、異空間かしら?」
紫紺は目を鋭くして、道化師の人の体を半分飲み込んでいる木の穴を視る。
その道化師の人は白銀と紫紺に向かって、にやーっといやらしく笑う。
右手首を切り落とされて、その傷口からはダパダパと血が流れているのにも関わらず……。
「…ふえ?」
なんか、あの人が持っている笛の黒い靄が、右手の傷口に吸い込まれているみたいに見える。
「白銀!笛よ、笛!」
「あ?笛?」
白銀は、紫紺のいきなりの指示に一瞬行動に溜めができてしまう。
その僅かな時間を無駄にしないよう、道化師の人は素早く穴へと身を沈めていく。
「させるかっ!」
紫紺のしなやかな尻尾がピーンと道化師の人へと向けられると、ビュルルルと音を立てて風が矢のように走って行く。
道化師の人の体が木の穴に完全に飲み込まれる瞬間、紫紺が放った風の矢が笛を持っていた左手に当たる。
「っ!」
取り落された笛が、コロコロとこちら側に転がってきた。
「くそっ!」
笛を拾おうとしたが、全員を取り押さえた父様と騎士たちが、こちらに向かってくるのが見えたのだろう、身を翻し穴の中へと消えて行く。
そして、木の穴も段々小さくなり消滅した。
「レーン!」
走ってきた父様に名前を呼ばれたかと思ったら、抱き上げられて、ぎゅうっと力いっぱい抱きしめられた。
く、くるしい……。
「ああ、よかった。無事で……。大丈夫か?怪我はしてないか?怖かったろう、もう大丈夫だからな!」
「とうたま……、ご、ごめんなさい」
心配をかけてしまった……。
父様はちょっと腕の力を緩めて、ぼくと目を合わせ悲しそうに笑った。
「ヒュー!お前……何やってんだ?」
白銀の呆れた声に、何事と兄様を見たぼくは、へ?とそのまま固まってしまった。
仮令、稽古でも試合でも、対峙している相手から目を離すな。
父様から何度も言われた言葉だ。
それなのに、実戦でヘマをした。
つい、レンに気を取られて意識が散漫になっただけじゃない。
命のやりとりをしているにも関わらず、相手から目を離した。
だから、相手の一撃から逃げられない状況になった。
かろうじて頭と首は避けたが、肩は無理だろう。
足が治ったら今度は腕か……と諦めた僕の耳に金切声が飛び込んできた。
『ひゅーに、なにすんのーっ!!』
そして、ザバーッと大量の水が流れる音。
「……チロ?」
白銀と父様たちを呼びに行っていたチロが、戻ってきていた。
そして、僕の肩に乗ったまま小さな両手を、大剣の男に向けて突き出していて、そこから水がザバザバと、かなりの量と水圧で発射されている。
その水鉄砲?水大砲を受けた男は、立っていられず水に流され押されるままに後ろの木に激突して、水と木の間に挟まれアップアップしていた。
圧死か溺死か……、苦しそうだな……。
はっ!
「レン!」
レンは同じくいつのまにか来ていた白銀の体に庇われていて、道化師の男は白銀の攻撃で深手を負っていた。
「よかった……」
そして、父様と騎士たちも加わり、一気に悪党たちは彼らに捕縛されていった。