雪と氷の世界へ出発! 5
吐く息が真っ白で冷たい空気に胸がちょっと痛くなったころ、快調に走っていた犬ゾリがピタリと止まりました。
「んゆ?」
ハッハッと息を荒くした白くて大きなわんちゃんたちが、そろーっと後ろへ首を回し伺い見るのは、狼の最上級、神獣フェンリル白銀様だ。
「……?」
でも、白銀は白い犬たちが自分の顔を怖々と見つめてくる理由はわからなさそうだった。
「坊ちゃんたち。わしらはここまでだ。こっから先は狩人たちの縄張りだからな」
犬ゾリの手綱を握っていたおじさんは、わんちゃんたち一匹ずつにご褒美の干し肉の欠片をあげていく。
「ここまでか」
兄様が目を眇めて森の奥を見るが、そこには太い木と真っ白な雪しかない。
「おい、ヒュー。さすがにこの雪で森に入るのはヤバいぞ?」
「アリスター。でも、時間がないんだ」
父様に許してもらった期間は短いし、何度もこんな遠方まで足を運ぶことはできない。
兄様が焦る気持ちもわかるけど、ぼくもなんだか雪ばかりの暗い森に入るのは賛成できません。
だって、怖いし……。
「あら、レンったら。アタシたちがいるのに怖いのかしら? 狩人っていっても所詮獣人でしょ? アタシと白銀がいれば大丈夫よ」
紫紺はカラカラと陽気に笑うが、さりげなく存在を無視された真紅は白銀の頭の上で抗議のダンスを踊っているよ?
「ま、紫紺の言うとおりだな。魔獣や狩人の物理的な対応は任された」
ドンッと胸を誇らしげに叩く白銀だけど、物理的って戦う専門ってことかな?
「どうする坊ちゃんたち? 迎えはいるかい?」
「ええ。何日、森の中で過ごせるかはわかりませんが、村に帰るときは迎えにきてほしいです」
「じゃあ、これを渡しておく」
おじさんが兄様にポイッと渡したのは、木でできた小さな笛でした。
「これを吹くと、こいつらには聞こえる笛だ。この笛を合図に迎えにこよう。ま、ここまで辿り着くのに時間はかかるから、早めに吹いて知らせてくれ」
コロンと手の中に小さな笛を残し、おじさんはわんちゃんたちが牽く犬ゾリに乗って、来た道を戻っていった。
わんちゃんたちはワフワフと走って行くけど、名残惜しそうに白銀の姿を振り向き振り向き見ていく。
「しろがね。て、ふる?」
なんか、リアクションしてあげないとわんちゃんたちがかわいそう。
「ああん? これでいいか」
白銀が面倒そうに右手を上げてヒラヒラと振ると、わんちゃんたちは「うおおぉぉん」と吠えて爆走していきました。
「うわわわわわっ」
……おじさんの悲鳴も聞こえたけど、聞こえなかったことにしよう。
わんちゃんたちはもの凄い雪煙を立てて、あっという間に離れていってしまった。
「にいたま、にいたま」
ぼくは、ぼくを抱っこする兄様の腕をペシンペシンと軽く叩いて合図すると、下に降ろしてほしいと頼みます。
「え……。大丈夫かな?」
兄様がそーっとぼくを雪の上に下ろすと、白銀の頭の上から真紅もぴょーんと飛び降りた。
「ピイピイピイ」
<俺様も雪の上を歩きたいぜーっ!>
ズボッ! スボボボッ!
ぼくは、兄様の手が離れたあとの第一歩目で、真紅は白銀の頭からのダイビングの着地で、見事、雪にずっぽりと嵌ってしまった。
「う、うえ~ん」
「ピーイッ!」
<むぐぐぐっ。く、苦しい~っ。早く、俺様を掘り出せっ!>
「なにやってんだよ」
アリスターとディディが呆れた顔でぼくらを見下ろしていた。
もう、早く助けてよーっ。
犬ゾリも帰してしまったし、森の中に入ろうかとなって、まずは陣営の確認です。
魔獣を見つけて先制攻撃上等の白銀が一番前で、白い白銀だと周りと見分けがつきにくいので、目印として頭の上に真紅が乗ります。
真紅は口では戦うぞと息込んでいるけど、非戦闘員だそうです。
そして、兄様と兄様抱っこが標準体勢のぼくです。
雪に埋まっちゃうからね。
でも、兄様はぼくを抱っこしていると両腕が使えないよ? 大丈夫なの?
「うん、剣で戦うことは諦めた。今回は魔法を使ってみるよ」
魔法? そういえば兄様は魔法が使えるのにあまり使っているのを見たことがないかも。
「たのちみ!」
「そう? じゃあチロにも頑張ってもらおうね」
水妖精のチロと契約したことで、本来は持っていなかったはずの水魔法が使えるようになった兄様は、もちろん水魔法の研鑽も怠っていないようです。
ぼくたちの後ろに紫紺とアリスターとディディ。
「いや、だからレンは俺が抱っこすればいいんじゃないか? 俺の魔法は火魔法だし、ディディもいるし」
「……」
兄様がアリスターの申し出をスルーしています。
確かに、この氷雪山脈地帯に棲息している魔獣は水や雪の魔法には耐性があり、火魔法には弱いとあったからアリスターが魔法で攻撃して、兄様が剣で応酬するのがいいと思うけど。
兄様はぼくを抱っこしたまま、森の中へスタスタと歩いていく。
……雪の上なのに、兄様はスタスタと歩けるのがすごいです!
サクッサクッと雪を踏み固める音と、ヒュルルルと木々の間を吹き抜ける冷たい風の音、時折りバサッと枝から落ちる雪の音がする。
そして、ぼくにだけ聞こえる「ウオオォォン」という狼の遠吠え。
白銀の迷いのない足取りで森の奥へ奥へと進んでいくけど、ちっとも魔獣に遭遇しません。
「……ちょっと白銀。アンタ、どこに行こうとしているの?」
紫紺が後ろから白銀へと厳しい声音で尋ねると、白銀がその場で足を止めた。
「うん? そういえば、どこに行けばいいんだ?」
ここで、こてんと首を傾げても……もうかなり森の中へと進んできてしまったんだけど。
「アンタねぇ。狩人の集落でも目指しているのかと思えば、なにやってんのよ。魔獣が襲撃してこないように威嚇しているのもいいけど、弱い魔獣を確保しておかないと、今日の野営のときに食べる肉がないわよ」
「なにっ!」
紫紺の晩ご飯肉なし宣言に白銀の眉間にグワッとシワが刻まれ、頭の上では真紅がバササッと羽を広げた。
「白銀が魔獣を威嚇してくれるのは助かるけど、僕たちも魔獣との戦は経験しておきたいかな?」
兄様の意見にアリスターも深く頷く。
森に入ることを重要視していたぼくたちだけど、ちゃんと目的を決めて動かないとね、雪の積もる森は危険だと思います。