地図とにらめっこ 2
今もシエル様に封印されている神獣のことを思って、落ち込んじゃった白銀と紫紺はそっとしておいて、兄様とアリスターが地図を睨んであーだーこーだーと言葉を交わしている。
アリスターは、道化師の男たちが暗躍していて精霊楽器が見つかった場所に注目していて、兄様は今まで何の事件も起きていない氷雪山脈を疑っていた。
「いやいや、氷雪山脈地帯がどういうところか知っているのか、ヒュー? 正直、生きていくだけでギリギリだぞ?」
「しかし、道化師の男が求める魔力か何かがあるかもしれない」
「んゆ?」
地図を改めて見てみるけど、氷雪山脈という山の周りには国がないみたいだよ?
だって、国名とか街の名前とか書かれてないもん。
それとも、不完全な地図だから知らないのかな?
「レン、偉いね。よく気が付いたね!」
兄様がぼくを抱っこして、うりうりと頬ずりをしてきた。
「おい、兄バカ。なに、甘やかしているんだよ」
アリスターがぼくたち兄弟をシラッとした目で見るけど、ぼくは何もしていないよ?
氷雪山脈地帯。
古の時代から、険しい峰の山々も裾野に広がる森も雪と氷に閉ざされた地域。
あまりの過酷さから王が治める国もなく、領地もなく、僅かな人ばかりが集う村があるだけの孤高な場所。
日が差すことなく絶えず吹雪く森は、狂暴な魔獣たちの縄張りで、たとえ腕利きの冒険者であっても寒さで動かない体では、魔獣たちの餌でしかない。
森の中には、いくつかの狩人たちの集落があり、森の中を歩くには彼らの案内が絶対必要である。
「……じゃないと魔獣に食い千切られるか、凍死しておしまいだってよ」
アリスターがブルブルと頭の上の三角耳を震わせて、自分の両腕を摩る。
「んで、その山脈の奥に聳える双子山は、冗談抜きで氷に覆いつくされた山らしいぞ」
「へー」
「おおーっ!」
アリスターの話にイマイチ興味を示さない兄様と、興奮して鼻息がフンフンしちゃっているぼく、アリスターは「うへぇ」と舌を出してうんざり顔だ。
「この話を聞いても、まだ行くつもりなのか、ヒュー?」
「当たり前だろう? 精霊楽器を探しながら精霊の契約者、奇跡の歌い手、光の最上級精霊も見つけないといけないんだぞ」
なんだか、やらなきゃいけないコトがいっぱいだね?
「それよりもアリスター。なぜ、そんなに詳しいんだ?」
「あ? ああ、昔、父ちゃんたちに連れて行かれたんだよ。上質な魔獣の皮がほしいって森に狩りに行ったんだ。俺は村で留守番だったけどな」
小さいときの記憶だけど、今でも体の芯から凍えるあの寒さは覚えている、らしい。
ううむ、ぼくも寒さは苦手だなぁ。
でも、紫紺や白銀のもふもふに囲まれたら寒さなんてへっちゃらかも!
ぐりんと白銀たちがいる方向へ顔を勢いよく向けると、紫紺と真紅が困り顔で白銀の後ろに座っていた。
「んゆ?」
白銀は怖いお顔でじっと地図を見つめている。
氷雪山脈地帯の場所を。
「どうちたの?」
トコトコと白銀の側に走り寄って顔を覗きこむと、白銀はパチパチと瞬きを数回したあと、キョロキョロと四方を見回した。
「あれ? ボーっとしてたか?」
「違うわよ。アンタ、その地図で昔を思い出してたんでしょ?」
「……ああ……そうかも……な……」
白銀はまた地図に視線を落とす。
「いたい? いたいの? しろがね」
「いや、大丈夫だ。心配かけたな、レン」
ペロンとぼくの頬を大きな舌で舐め、はあーっと息を吐き出した白銀は、クルリと背を向けて静かに部屋から出て行ってしまった。
「しろがね?」
こてんと首を傾げるぼくの左側に紫紺がそっと寄り添い、右手には真紅の手が添えられる。
どうしたのかな? 白銀はとっても痛そうに顔を歪めていたんだ。
とにかく、氷雪山脈地帯へ精霊楽器を探しに行くことを許してもらおうと兄様がアリスターをお供に、父様の執務室へと意気揚々向かっていった。
ぼくはお部屋にお留守番です。
白銀も心配だし、兄様たちの交渉が父様に通るかどうかも心配だな。
コツンと紫紺の鼻がぼくの手にあたる。
ぼくは不安な気持ちでいっぱいにならないように、紫紺の体をギュッと抱きしめた。
カツカツと騎士団詰所の廊下を歩く僕とアリスターの靴音だけが響く。
父様の執務室へ行く前に、アリスターに確認しておきたいことがある。
僕はピタリと足を止めた。
「ん? ヒューどうした?」
「アリスター。お前、僕に何か言うことはないのか?」
いつも飄々として年上の余裕を見せつけてくるお前だけど、今回ばかりは動揺が隠しきれてないぞ。
まあ、僕も同じ気持ちだから、偉そうには言えないけどね。
「ああ、気づいてたか……。ちょっといいか?」
クイッとアリスターが親指で示したのは廊下から出れる中庭に置かれたベンチだった。
僕は無言で歩いてさっさっと座る。
「早くこい」
「なんだよ。今の俺はちょっと凹んでるんだから、ご主人様は優しく慰めてくれよ」
おどけた様子で隣に座るアリスターだが、お前がどうしようもない現状に途方に暮れているのはわかっているんだ。
その証拠に座った途端、大きく息を吐き俯いてしまった。
「……奇跡の歌い手か」
「……やっぱり、ヒューも思ったか?」
奇跡の歌い手……精霊楽器で増幅された浄化の力をさらに強く高める歌を歌える稀有な存在。
僕らは、その歌い手が誰だかわかっている。
だって、そのときを知っているから。
「あいつが、あの道化師の男に歌えって脅されたときは、どうしてだか理由がわからなかった。でも……きっと道化師の男は知っていたんだ」
「……ダイアナが言っていた。精霊楽器は精霊と契約した者が奏でて力を発揮すると」
なら、あのとき精霊楽器である笛を吹いても瘴気を増幅させることはできなかったはずだ。
「キャロルが歌っていた」
「ああ」
そう、アリスターの妹、キャロルが笛の音に操られ歌を歌っていた。
その歌が、瘴気の力を強めアースホープ領に広がっていったんだろう。