風の精霊王登場 2
隠された王国、ドラゴンの王国から帰ると決まったからには、グズグズせずに帰りましょうと紫紺が尻尾をフリフリ、転移魔法を展開しようとしたそのとき!
「「ちょっーと、待ったああああぁぁっ!」」
右と左から大きな制止する声に、ピクッと白銀の耳が反応する。
「ちっ。気づかれたか……」
右から声をかけてきたのは、もう真っ青を通り越して真っ白な顔をした、ここまで案内してきてくれたドラゴニュートのお兄さん。
ハクハクと口を開け閉めして声にならない何かを訴えてきているけど、なんだろう?
左からの声は、風の精霊王でした。
……卵泥棒さんの頭を踏みつけているけど、ぐりぐりと地面に擦りつけているけど……いいの?
「んゆ?」
属性ごとに集っていたドラゴンの集落は、力の強い者を長にしてそれなりに穏やかに暮らしていた。
だが、いつの頃からか、年を経て残りの生涯をドラゴンの神と崇める神獣エンシェントドラゴンの元で過ごしたいと旅立つ者の中に、ちらほらと若いドラゴンが混じるようになった。
もちろん、ただ若いだけのドラゴンでは周りに力づくで止められてしまうのだが、長であるドラゴンが次代にその地位を譲り隠居するとの言葉を残し、喜々として飛び立つのを止める術はない。
そうして、長に就くドラゴンが人としては長い間、ドラゴンとしては瞬く間だけ集落を治めると、神獣エンシェントドラゴンに仕えようと次々と去っていくようになる。
残されたドラゴンたちは諦めのため息を吐き、自分たちの生活へと戻っていく……のだったが。
「強い力の者が少なくなってきました。明らかに力が落ちていっているのです」
シクシク、グスグス、と鼻を垂らして泣きながら、ドラゴンの卵泥棒は訴えます。
本来、強い力の長が若い雌と番い、卵を産み増やしていく。
その長の子ドラゴンと番い、他のドラゴンたちも強い子をもうけていく…はずなのに。
「長たちはいずれ神獣エンシェントドラゴン様に仕えるからと、里の雌と番うこともなくとっとと里を捨てていく始末。残された我らでは生まれてくるドラゴンの強さなどたかが知れています」
だらーんと鼻水を垂らして必死な形相を、自分の里の長だった緑の髪のお兄さんへと向けるが、当人は気まずそうな顔でスゥーッと横を向いてしまいました。
ダメダメです。
「し、しかし、だからといって卵を盗むのはどうであろう?」
赤い髪のおじさんが盗まれた卵を奥さんに無事に渡し、こちらに戻ってきて話に加わるけど、やっぱりバツの悪そうな顔をしています。
ちょっと離れたところでドラゴンたちの会話を聞いていたぼくは、こてりと首を傾げました。
「んゆ?」
「どうしたの? レン」
兄様がぼくの顔を覗きこみます。
「んっと……、だれが、わりゅいの?」
ドラゴンの卵を盗んだドラゴンの情けない泣き顔を見ていたら、なんだか同情してしまったのです。
「そりゃ、卵を盗んだ奴だろう?」
白銀が興味なさそうに後ろ足で耳をかきながら答えると、紫紺がドンッと体当たりしてフンッと鼻を鳴らしました。
「あら。長としての役目を放り投げて悠々自適な暮らしをしていたのも悪いわよ。しかもドラゴンの里の弱体化なんて笑えないわ」
「ピイピイッ」
<そうだそうだ。弱いドラゴンなんてありえない>
珍しく真紅も紫紺の意見にウンウンと頷いて同意しています。
わあーっ、珍しい。
二対一になった白銀がうぐぐっと呻いているけど、紫紺に口で勝てるわけがないので白旗を上げてください。
「やっぱり、ドラゴンの弱体化はやばいよなぁ」
アリスターも眉を下げた困り顔でぼくたちの話に参加してきました。
「あらゆる魔獣の頂点に立つドラゴンが弱体化してきたら、魔獣たちの間で争いが起きるかな?」
兄様もムムムッと眉を顰めて呟きます。
種族の強さに自信があるドラゴンが崇める神獣エンシェントドラゴン。
そのお傍で仕えることを夢見て、長として種族をまとめ周りの魔獣や人へ畏怖の念を与え続け、年老いたころ楽園へと旅立って行ったドラゴンたち。
いつのまにか、長が心身を削りながら治めた里での任を終えたあとに赴く地が、長になったら神獣エンシェントドラゴン様の傍へ侍ることができるとその目的が変わっていってしまった。
その歪みが、とうとうドラゴンによるドラゴンの卵泥棒へと結びついていく。
「んゆゆ?」
ぼくの頭はますます斜めに傾いでいきました。
それって……ここのドラゴンさんが悪いのでは?
だって、お役目をちゃんと全うしなかったんでしょう?
父様はいつもぼくたちと離れたくないって半泣きになりながらも騎士団のお仕事に頑張っているし、ハーヴェイの森への遠征もバーニーさんたちを連れてこなしているよ?
瑠璃だって、ぼくといつも一緒の白銀たちにブツブツ文句を言ってるけど、シエル様に頼まれた海の守護を疎かにすることはないもん。
「あの爺さんは、そこそこサボってるぞ」
「人化が上手になって、ブルーパドルのロバートの屋敷に入り浸ってるって噂よ。酒のつまみにクラーケン持って」
「……お酒を飲み過ぎて、ナディアお祖母様の機嫌が悪くならなきゃいいけど」
白銀と紫紺の会話に兄様が苦笑します。
ううむ、瑠璃ってば知らない間にロバートお祖父様とお酒を飲む友達になっていたとは……。
「ああ、もう! わかったよ、今回のことは君たちが悪いってことで」
腕を組んでドラゴンさんたちの話を聞いていた風の精霊王は、少々やけくそ気味に叫びました。
「そんなっ!」
「風の精霊王様。それでは我々の立つ瀬がありませぬ」
「そうは言うけど、君の里の若いドラゴンが将来を憂えて、長だった者へ窮状を訴える手段だったと主張されたら、こちらも弱いよ?」
形勢逆転した卵泥棒はそんな風の精霊王とのやり取りに、きょとん顔だ。
「し……しかし。里のドラゴンの弱体化は由々しきことですが……。我々もこの地を離れがたく……」
「そこら辺は改めて各属性の里の者と相談してよ。僕はそこまで責任持てないからね。ただ、本来であれば僕の眷属ともいえる「風」のドラゴンが犯したことは許されるべきではない」
ギロッと怖い目で卵泥棒を睨みつける風の精霊王様の迫力に、「へへーっ」と卵泥棒は平伏する。
「命を取ってもいいけど、同情もできるし。最大限の温情だよ。あとはドラゴン同士で話し合って」
風の精霊王はドラゴンたちにそう言い捨てると、軽いステップを踏みながらこちらへと移動してきた。
「んゆ?」
「やばい。さっさと帰ればよかった」
「転移しちゃう?」
ぼくの周りで白銀たちが大騒ぎを始めるけど、どうしたの?
「さて、君たちは逃がさないよ」
ひょいとぼくの後ろ首を摘まんで持ち上げる風の精霊王は、ニンマリと人の悪い笑顔を浮かべていた。