春花祭本番 1
ぼくと兄様がベッドの中ですやすや寝ている頃……、アースホープ領領主邸のサロンでは寝酒を嗜みながら大人がこそこそと集まっていた。
「ヒューが思っていたより元気で良かった。歩行に問題もなさそうだしな」
「本当に。とっても明るい顔で、弟思いのお兄ちゃんになっていて」
ニコニコ朗らかに語るアースホープ領主夫婦に、こちらはやや暗い顔で、ぼそぼそと話し始める。
「ヒューのことは奇跡が起きたようで、とても嬉しく思ってます。回復も順調で何も問題はないのです。ただ……レンのことで、ご相談が……」
「レンくん……いい子すぎるのよ」
ふうっとブルーベル辺境伯騎士団団長夫人は、頬に手を当てて切なげに息を吐く。
ブルーベル辺境伯騎士団団長は、両手の指を組んで俯いていた顔を上げる。
「どうしたら、レンは私たちに我儘を言ってくれるのでしょうか!」
「……は?」
領主夫婦は揃って首を傾げた。
とにかく、レンは我儘を言わない。欲しい物も好きな物も言わない。やりたいこともしてほしいことも言わない。出されたものは文句を言わずに食べる。大人が忙しそうにしていたら、じーっとしている。
最初は遠慮しているのかと思ったけど、そうじゃない。
「なんだか、怖がっているようで」
「?……お前たちをか?」
「いいえ。義父上たちへの態度で確信したんですけど、レンは私たちぐらいの年齢の大人が怖いのでは?と。20~30代ぐらいの男女には怯えるような仕草を見せます。つまり……」
「レンくんは、両親に暴力を振るわれていたのかなって……。でもね」
アンジェリカはチラッとセバスに視線を送る。
「はい。入浴の介助をしたときに確認しましたが、その痕はありませんでした」
一同、うーんと唸る。
「大人に対しての恐怖心と、やや狭い所や暗い所も怖いみたいですね。人見知りではなく人慣れしていませんし、最初は外に出るのも躊躇していました」
セバスの報告を聞いて、全員が嫌な想像をする。
「……奴隷か」
「それも違法奴隷でしょうね。躾として鞭が使われますし、狭い檻の中で地下での売買がセオリーですから。……奴隷か……」
「でも、どうやって白銀ちゃんと紫紺ちゃんと会ったのかしら?」
うーん、と再び唸る一同。
「もしかして……人目を避けてハーヴェイの森を通っていたときに魔獣に襲われて、奴隷商ごと被害にあった……とか?」
「そうだな。たまたまレンだけが助かったのか……。都合よく神獣様と聖獣様が助けられたのか…」
あんな小さい子が森の中で奴隷商とともに移動をしていて、恐ろしい魔獣に襲われて壊滅する……、危ないところを神獣様と聖獣様に助けられる。
「なんて、不憫なんだ!」
領主と騎士団団長は滂沱の涙を流す。
セバスはさっとハンカチをふたりに手渡す。
「かわいそうに……」
ほろりと涙を零しながら、胸にふつふつと沸く母性本能。
「ギルバート!レンをヒュー共々大事に育てよ!ふたりが幸せになるように、頼んだぞ!もちろん我々も協力する!」
「当たり前です!ただ……どうやってレンの心を癒せばいいのか…。くっ、自分が情けないっ。魔獣相手なら臆さないものを……」
「ギル。私もヒューも一緒に頑張るわ!ひとつひとつゆっくりと家族になっていきましょう」
「アンジェ……」
ふたりはガシッと手を繋ぎ、見つめ合う。
セバスは、アースホープ領邸のメイドにテーブルの片付けを頼み、ギルバートの前から酒瓶を取り上げ、それはそれは美しい笑顔で提案した。
「…………明日のためにそろそろ休んだ方がいいのでは?」
朝。
いつもと同じように兄様が「おはようのキス」を額にチュッと送ってくれる。
ぼくは眠い目をこしこししながら、
「おあよーごじゃいましゅ」
とご挨拶。
むむ、昨日も早口言葉と発声練習したのに、眠気に負けてカミカミになってしまった。
ブルーベルから付いてきたメイドのリリとメグに、朝の身支度をしてもらう。
メグ……服はなんでもいいんだよ?そんなに悩まないでください。
「メグ。レンの服は動きやすいので頼むよ」
「かしこまりました」
兄様のひと声で、コーディネートが決まったのか、パパッと着替えさせられる。
「あれ?」
紫紺の自慢の尻尾には、ピンクのシルクのリボンが結ばれていて、白銀は首輪のように青いリボンが結ばれている。
「ああ、お祭りのときは印をつけておかないと……そのう…野良と間違えられちゃうからね」
兄様が苦笑して教えてくれた。
冒険者で従魔連れも多いブルーベルと違って、初心者冒険者ぐらいしかいないアースホープ領では従魔の取り扱いは厳しいらしく、従魔と分かる印をつけないとダメなんだって。
でも白銀と紫紺はぼくのお友達で、従魔じゃないんだけど……。
ぼくの眉が八の字になったのが分かったのか、紫紺がお尻をフリフリ歩いてきてぼくの頬をペロッと舐めた。
「いいのよ。気にしないで。いらない騒ぎになるぐらいだったら従魔のフリをしているわ」
「あー、俺も別にかまわないぜ。ただ……これ…擽ったぃんだ……」
カシカシと後ろ足で首元を掻く白銀。
それは、そのうち慣れると思うよ……たぶん。
「さあ、朝ご飯を食べて、お祭りに行こう」
兄様の差し出した手にそっと自分の手を重ねた。
ギュッと握ってくれる、兄様。
「あい。おまつゅり、いく!」
春花祭、いよいよ本番です!