ファーノン辺境伯領 1
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朝になって、スープにパンと簡単なご飯を食べたあと、ファーノン辺境伯領地を囲む防御壁を抜けて街へ入ることができました。
ぼくの知らない国の知らない街が見えてルンルン気分で馬車の窓を覗いてみると……その街にはなんだかどんよりと重い空気が流れているようだった。
道を行き交う人々も俯きがちで、屋台やお店からの呼び込みの声も聞こえない。
大きな荷物を積んだ荷馬車と度々すれ違うけれど、その人たちの顔は暗く悲しみに満ちているように見えた。
ぼくはそんな街の雰囲気に浮かれていた気持ちをズーンと沈みこませ、馬車の座席に大人しく座り直した。
父様たちも窓の外は見ず、静かに座っている。
このまま馬車は無言なぼくたち家族を乗せてファーノン辺境伯のお屋敷へと進んでいった。
うーん、こんなときに翡翠のぬいぐるみがあればギュッとできて気持ちが少しは紛れたかもしれないのに、翡翠はセバスと一緒に馭者席にいるんだ。
ファーノン辺境伯に広がる不穏な気持ちにぼくは口を少し尖らせて、白銀と紫紺をもふもふして心を落ち着ける努力をした。
ファーノン辺境伯のお屋敷は石造りの三階建ての重厚な佇まいで、ぼくたちを静かに迎えてくれた。
馬車を下りたぼくたちは、ファーノン辺境伯の執事さんに屋敷の中、応接室へと案内される。
「ここで、お待ちくださいませ」
深くお辞儀をした執事さんがパタンと扉を閉じると、父様が「はーっ」と深く息を吐き出す。
「なんて重苦しい場所なんだ。なんか息苦しい」
「ギル。大丈夫?」
ソファーに座った父様の背中を摩る母様の顔色もあまりよくない。
なんだか知らない場所の知らない人の家というシチュエーションがぼくの臆病な心を押し潰そうとするようで、息苦しい気がした。
ビュオオオオォォォッ。
「びえっ」
大人しく座っていたソファーからぴょんと飛び跳ねて驚き、隣にいる兄様にひしっと縋りつく。
なに、なになに? 今の音は何?
「すごい風の音だったな」
父様は片手にしっかりと母様を抱き寄せて、眉根を寄せて窓の向こうを見ている。
ぼくも窓の外を見て、驚いた。
「す、すごい」
お庭の木が強い風に煽られバサバサと枝をしならせて、今にもポッキリと折れてしまいそう。
咲いていた花びらも葉っぱと小さな石とともに、風で空へと舞い上がりあちらこちらへと運ばれていく。
まさしく、嵐になっています。
ぼくはコテンと首を傾げた。
「さっきまで、かぜ、ないの」
ファーノン辺境伯領に来て、ここ辺境伯様のお屋敷に入るまでの間に、こんなに強い風は吹いていなかったよ。
「そうね。この風……なにかしら? ただの風じゃないみたい」
シュッタと僕の隣り、ソファーの上に飛び乗ってきた紫紺が呟くと、白銀がドスンと僕の膝の上に登ってきた。
「そうか? ただの風じゃねぇか?」
「ピーイ?」
<俺様はこんな風でも華麗に飛んでみせるぜ>
白銀の頭の上にヨタヨタと飛んで着地した真紅が胸を張って偉そうに宣言するけど、真紅の華麗なる飛行は誰も信じてはいない……。
「違うわよ。何か、別の力を感じるのよねぇ?」
紫紺は思い出せない何かにイラつくようにふみふみと足踏みをする。
「別の何か。自然災害ではない強い風? ううむ」
父様も紫紺の言葉に腕を組んで眉間にシワを刻んでしまった。
コンコン
「失礼する」
渋い声とともに部屋に入ってきたのは、父様と同じくらいの年齢の男性と小柄な女性の二人、この人たちがファーノン辺境伯夫婦だろうか?
「アンジェ!」
「ロレッタ!」
母様とその小柄な女性、たぶんファーノン辺境伯夫人で母様のお友達は、ひしっと抱き合いぴょんぴょんとその場で小さくジャンプしながらクルクルと回り始めた。
「……アンジェ」
「……ロレッタ」
お互いの旦那様が母様たちのはしゃぎっぷりにちょっと遠い目をしちゃっているけど、兄様、どうしよう?
「コホン。ようこそファーノン辺境伯へ。遠い所にも関わらず、ロレッタのために感謝する」
「いえ、こちらこそ。たいへんなときに押しかけてしまい、すまない」
父様とファーノン辺境伯は仕切り直してご挨拶をしてガッチリと握手をした。
「ヒューバート・ブルーベルです。弟のレン・ブルーベルです」
兄様の隣りに立って、ぼくも兄様に倣ってペコリとお辞儀をした。
「ふむ。頼もしい子にも恵まれ羨ましいことだ」
「私たちの子は、みな王都にいるのです。ご挨拶できずに申し訳ないわ」
ファーノン辺境伯には二人のお子さんがいて、ちょうど王都の学院に通う年頃でこちらには滅多に帰ってこないそう。
コバルト国には転移魔法や転移魔法陣がないので、馬車での移動を考えたら卒業まで帰って来れないのは仕方ないらしい。
んむむむ、それはさびしいの。
「それに、今は風が強くて。ヒドイときは外に出れないのよ。旅になんて出れないわ」
馬車の横転の危険性や、崖や川沿いなど大事故に繋がる可能性を無視できない。
それでも強い風の影響で生活が苦しくなった領民たちは、少ない家財道具を荷馬車に積んで出ていくしかないらしいが、貴族の嫡子を守るためには、王都と領地で離ればなれに生活したほうがいい……んゆ? 王都には強い風は吹いてないの?
「ええ、ここだけ。我がファーノン辺境伯領地だけなのです」
ファーノン辺境伯様は、ちょっとしょんぼりしてしまった。
「あまりにも過去にない風害に創造神様の機嫌を損ねたかと思い祈りも捧げているのですが……まったく効果もなく……もう、どうすればいいのかと」
「魔獣の類ではないのですね?」
父様の真剣な問いにファーノン辺境伯も厳しい顔つきで答えます。
「いいえ。それだけはないと断言できます」
「じゃあ、いったい何が原因なのかしら?」
母様の困った声色に、ぼくと兄様が顔を見合わせたとき、部屋の隅に控えていたセバスの背中から場違いな声が響き渡りました。
「そんなの決まっているさ! この風はドラゴンのせいだよ!」
「こら、黙れ」
セバスにぎゅっと口をすぼませられた翡翠がジタバタとぬいぐるみの手足を暴れさせている。
あ、ああー、翡翠のバカ。