出発 1
誤字脱字報告ありがとうございます!
いつも、ありがとうございます。
「ふーっ、このぐらいで許してあげましょう」
パンパンッと両手を軽く打ち払ってナディア・ブルーベル、俺の母上はトスンとソファーにようやく腰を下ろした。
その隣りで父上、ロバート・ブルーベルはカップを掴んでグビグビと紅茶を喉に流し込んでいる。
俺、二人の長男であるギルバート・ブルーベルは、重要な報告を怠ったとして母上から叱責を物理的に受けていた。
あーイテテッ、叩かれ過ぎて頭がバカになるわっ。
痛む頭や体のあちこちを撫で摩りながら、俺もヨタヨタとソファーに腰を下ろす。
俺の隣りで涼しい顔して紅茶の香りを楽しんでいる、できた弟ハーバード・ブルーベルが憎い。
「さて、難しい話は貴方たちに任せて、私はバーナードのところへ顔を出してくるわ。お土産もたくさんありますし」
母上はさっきからソワソワとしていたが、辛抱できないと立ち上がりかわいい孫の顔を見に部屋を出て行った。
相変わらずのかわいいもの好きで、我が家に置いていった孫のフレデリカ宛のお土産は量もすごいが、ピンクピンクの大洪水だった。
男三人でウキウキと浮かれる母の背中を見送って、はーっと息を吐いてガラリと空気を変える。
「それで、コバルト国へ行くというのは本当か?」
「はい、父上。アンジェの友人であるファーノン辺境伯夫人からの手紙により訪問することになりました。ただ、気落ちしている友人を慰めたいということですが、あちらの状況が少々不穏で」
「兄上の話を聞いていて思い出したのが、アイビー国の状況に似ていると思いました。あちらは土でファーノン辺境伯は風ですが……」
俺たちの話に父上は腕を組み目を瞑ってなにか考えているようだった。
「かの国は特に問題もない。ファーノン辺境伯は主に魔物討伐がメインで、他国からの防衛という面はほぼない場所じゃ」
そう、我がブルーベル辺境伯領地はハーヴェイの森からの魔物とブルーパドルの海側の他国からの侵略を防ぐ役目があるが、ファーノン辺境伯領地は一方を高い山々に囲まれているので他国の侵略の危険性は低い。
しかし、その山々とダンジョンからの魔物の被害、特にスタンピードには注意が必要な場所だった。
「今回の風の被害も風魔法を有する高ランク魔物の仕業では?」
「うーん、その可能性もあると思うが、魔物の仕業ならファーノン辺境伯が気がつきそうだしな」
長い間、その地で魔物と生死をかけて接していたのなら、魔物の仕業には敏感だろう。
「で、ギルバートは例の道化師の仕業だと?」
「断言はできません。ただ、そんな気がするだけです」
道化師の仕業と言い切るには、提示された状況が弱いとわかっている。
今まで奴が関わっていた事件と言えば、アースホープ領の子どもたちの誘拐とブリリアント王家ウィルフレッド殿下への干渉、アイビー国の魔法陣だが、その他にレンが見えるという瘴気、黒い靄はヒューバートの足の怪我、ブルーパドルの海に出たクラーケンからも発見されている。
そもそも道化師一人で仕組めるはずもないが、組織として動いている証拠も掴めていない状況だ。
もし、ファーノン辺境伯領地で起きている異変が奴の、奴らの企みだったとしたら……。
「今度こそ必ずブルーベル家の宝に手を出したことを後悔させてやる」
バシンッと拳を手のひらに叩きつけ、俺は闘志を込めた眼差しを父上に向けた。
「うむ。ならば留守は任せておけ」
面倒な辺境伯としての留守を、ドンッと胸を叩き快く受けてもらえた。
さて、準備もあるし愛しい妻が待つ我が家に帰ろうかとソファーから腰を浮かした俺は、隣に座るハーバードの手で再びポスンとソファーに座る。
「?」
何をするんだ? とハーバードに顔を向けると、奴は奥歯を噛みしめた沈痛な表情で言葉を吐き出した。
「ち、父上。実は……アルバートが逃げました」
出発の日。
紫紺の転移魔法でバビューンと移動するんだけど、転移する場所が森に近い場所だし街に入るのにぼくたち外国の人が徒歩で入るのも目立つと父様が主張するから、馬車ごとバビューンと移動します。
「しこん。ひといっぱい。ばしゃ、だいじょーぶ?」
こんなにいっぱい魔法で遠くまで移動できるんだろうか?
しかし、紫紺はぼくの心配もなんのその、ポンッとかわいい前足で胸を叩いてツンとお顔を上に向けました。
「平気よ。余裕だわ。いざとなればあのダイアナよりも魔法は得意なのよ、アタシ」
どやっとする紫紺がかわいいので、ナデナデしました。
白銀が羨ましそうに見ているけど、白銀はね、何度練習しても転移魔法が途中で爆発しちゃうんだもん。
白銀は別のことで活躍すればいいと思う。
「そ、そうだな。よし、魔物が出てきたら俺が全部倒してやるぞ!」
「ピイッ」
<俺様の分も残しておけ>
真紅も魔物を倒す気マンマンです。
「ほら、早く馬車に乗って。それに、魔物なんて出てきても父様がバッサリ斬っちゃうから安心しろ」
ひょいと父様の逞しい腕に抱っこされたぼくは馬車の中へポンッと放り込まれました。
「そうだよ。僕が必ず守るからね」
父様の腕から兄様へと渡されたぼくの体は、兄様の胸にしっかりと抱きしめられて、ファーノン辺境伯領地へと移動したのでした。
うん、本当にバビューンとあっという間に景色が変わっていました。
紫紺はなるべく人がいない場所を選んで転移してくれたんだと思うけど、ぼくたちが一瞬にして現れたから森で休んでいた鳥たちが一斉に飛び立ちました。
「とりしゃん。ごめんなしゃい」
「ははは。レンはいいこだな。ほら、ここから馬車で移動するぞ」
父様はぼくと兄様の頭をくしゃくしゃと撫でて、馬車の窓からアドルフたちに指示を出しています。
ここからファーノン辺境伯領まで移動する隊列や道順の確認をしているみたい。
「にいたま」
「ん? どうしたの」
クイクイッと兄様の上着を引っ張ると兄様がぼくに顔を寄せてきてくれました。
「あのね」
ぼくは内緒話をするように兄様の耳に顔を近づけます。
「ここに、どらごんさんがいるんだよ」
ぼくのとっておきの秘密の話です。
父様にも白銀にも紫紺たちにも話していない、とびっきりの秘密の話なんです。
「レン……。どうして?」
兄様はとっても驚いた顔でぼくの両肩を掴むので、ぼくもびっくりしてしまった。
「あのね、るりがおしえてくれたんだよ」
スノーネビス山のところへお出かけするとお話したら、瑠璃がその山には神獣エンシェントドラゴンが棲んでいるってぼくに教えてくれたんだ!