兄様の反抗期 2
父様は眉間に深いシワを刻んだまま母様に愚痴っ……じゃないや、説明したんだって。
「今回は水の精霊や妖精が集う泉で起る怪異現象だ。当然、水の精霊や妖精が出没するだろうし、事情を知っている精霊や妖精から話が聞けるかもしれない」
森の泉は、チルとチロが水の妖精界へ渡る場所でもあり、仲間の妖精や下級精霊も通っているらしい。
さすがに水の精霊王様が頻繁に渡ることがなければ妖精の輪は固定形成されないので、あくまでもチルとチロたちの出入口だ。
でも、チルとチロも泉に特段異変があったって話はしていなかったけど?
「アホ。俺様たちはアイビー国へ行っていただろうが。他の妖精たちは知っているかもしれないぞ」
パチンと真紅に頭を叩かれて、小馬鹿にした顔でぼくを見ています。
「うーっ、いちゃい」
叩かれた後頭部を手で押さえて、ちょっと口を尖らして真紅を睨むと、白銀と紫紺がバシッと真紅の頭を叩き返してくれた。
「うおっ!」
大人の二人に叩かれた真紅は前のめりに倒れて、べしゃんと顔を地面に打っていた。
……わぁ、痛そう……。
「……っ。話を戻すぞ。ギルはそのあと悄然とした面持ちでアンジェに愚痴りだした」
真紅が顔を手で摩りながら父様たちの話に戻したけど、父様は愚痴なんて言わないもん。
父様たちがチルやチロの言葉がわかるのは、チルやチロが父様たちにわかるように言葉を届けているから。
神獣聖獣である白銀たちの言葉も同じで、白銀たちが父様たちと「話したい」と念じるから言葉が届くんだって。
でも、届けようと思っても受け取る側の魔力がなかったり、魔力のコントロールが下手だったりすると、聞こえなかったりする。
アリスターと契約した火の中級精霊ディディと妹のキャロルちゃんが意思疎通できなかったのは、キャロルちゃんの魔力操作レベルが低かったからだ。
さて、ここで問題。
泉の近くに潜む何かの調査のため、父様たちは水の精霊か妖精に話が聞きたい。
でも、言葉が通じないかもしれない。
しかし、ここブルーベル辺境伯騎士団には、人と契約している精霊や妖精がいる。
「最初はプリシラのとこのエメにお願いしたらしいぜ」
プリシラお姉さんは、水の中級精霊エメと契約している人魚族と人族の混血児で、騎士団の使用人棟に住んでいる。
父様はプリシラお姉さんに頼んでエメに同行を依頼したけど、あっさり断られたんだって。
エメは、プリシラお姉さんのお祖父さんが瑠璃に頼んで付けてもらった護衛だから、プリシラお姉さんの傍を離れられないって。
「ギルの奴、ギリギリしてたぜ。エメの同行を強行すればプリシラを連れて行かなければならない。目的の奴は女は襲わないっていっても確信はねぇからなっ」
真紅がちょっと意地悪な顔にニヤリと笑うから、ぼくはムッとして鼻にシワを寄せた。
父様が困っているのに、真紅ってばひどいよ!
ぼくの気持ちを察した紫紺が、キレイに磨かれた爪で真紅の柔らかいほっぺを抓った。
「イテテテテッ」
結局、エメの協力を得られなかった父様は、アリスターに同行を命じた。
ディディに妖精や精霊の聞き込みをしてもらおうという魂胆だ。
「なのに、ディディの奴は火の精霊だから、泉の周りの水の精霊たちとは相性が悪いって聞いたら、ギルの奴は頭抱え込んでいたぜ」
ぼくは兄様と顔を見合わせた。
そういえば、ディディと初めて会ったときにチルとチロがそんなことを言っていたような?
その後は、仲間になったので気にしないと言って仲良くしていたと思うけど。
「問題はここからさ。ギルの奴にアンジェが言ったんだ……」
「ギル。水の妖精さんたちにお話しが聞きたかったら、チルちゃんかチロちゃんを連れて行けばいいのではなくて」
右の人差し指を顎にちょこんと当て、微かに首を傾げてみせる愛妻のあざとかわいいポーズに一瞬息が止まったギルは、ブルルルと頭を振って邪念を追い払った。
「ダメだ。チルとチロに頼んだらヒューも同行すると言うだろう?」
ヒューは絶対に同行を求めてくるだろう。
騎士団の正式な調査だから、騎士以外は認めないっと諭しても、チロを連れてくなら契約者の自分も行くと言い張る。
下手をしたら、チロの同行を切り札にいやらしい交渉をしてきそうで、我が息子ながら恐ろしい。
「連れて行ってはダメなの?」
「アンジェ、それはダメだ。たとえハーヴェイの森の調査に問題のない技量があっても許さない。正式に騎士となってからだ。辺境伯家の身内だからといって規律を曲げるわけにはいかない」
キリッと強い意思を漲らせるギルに、アンジェはニコリと花開くように笑った。
「じゃあ、チルちゃんを連れていけばいいわ。あの子ならお菓子をあげれば頷いてくれるもの。お話が得意ではないけど、ディディちゃんに通訳してもらえばいいのでは?」
アンジェの助言にギルはハッと目を見開いて顔を輝かした。
「そうか! その手があったか。チルでは仲介役は無理かと諦めていたけど、ディディに手伝ってもらえばいいな」
「ありがとう、アンジェ」とぎゅぅぅぅっとアンジェを抱きしめた後、ダッと部屋を駆け出て行ったギルの後ろ姿に、アンジェはひらひらと手を振って見送った。
「でも、アリスターくんが同行できるのに、ヒューはお留守番って納得してくれるかしら、あの子」
ふうっと息を吐いて我が子が静かに憤る姿を想像したアンジェは、そっと冷めた紅茶を口に運ぶ。
「で、ヒューは留守番が嫌でギルの後を追いかけてきたんだろう?」
真紅が下から兄様の顔を覗き込んだ。
兄様は無言で真紅の顔を見ていたけど、やがて観念したかのように頷いた。
「ああ、そうだよ。アリスターは参加できるのに、自分は置いてけぼりなのが悔しくて、問題の泉まで先回りしようと思ったんだ」
不貞腐れたように言い放つ兄様の姿は、とっても珍しくてぼくは目を真ん丸に見開いて兄様の顔を見つめた。