兄様の反抗期 1
紫紺がニッコリ笑顔のまま、「ちょっと静かな所でお話ししましょうか?」パチンと指を鳴らすと、街を守る防御壁の外に転移していました。
すぐ目の前は大きな木がいっぱいのハーヴェイの森が広がっています。
「さて、ヒュー。レンを泣かしたんだから、ちゃんと説明しなさい」
フンッと両手を腰に当てて紫紺が凄むと、白銀も腕を組んでうんうんと頷いている。
ぼくはスンスンと鼻を鳴らしてコシコシと濡れた眼を擦ります。
うっ、兄様がぼくとのお出掛けを利用していたなんて……ぼくと一緒にいるのが嫌だったの?
「うっ……うえっ、うえっ」
悲しいことを思ったら、また涙が溢れてきて喉が詰まった感じがします。
「ああ、レン。泣かないで。ごめん、ごめんね。レンと街に買い物に行きたかったのも本当なんだよ」
兄様がぎゅーっと抱っこしてくれたけど、胸の奥がスースーと冷たい風が吹いています。
「にいたま。にいたまぁ。……ううっ、にいたまのばかぁ」
兄様の肩にぎゅっと抱き着いてぐすぐす泣くぼくの頭を、白銀と紫紺が優しく撫でてくれる。
「おーい。いつまでやってんだ。ヒューの事情はいいのか?」
真紅は泣いているぼくのことなんか放っておいて、兄様の愛馬の背中に乗って遊んでいる。
むっ、ぼくがこんなにへこんでいるのに、真紅ったら気にもしてくれないの。
「ぶーっ」
ぼくは真紅に向かって頬を膨らましたあと、べぇーっと舌を出した。
「なんだ、元気じゃねぇか」
真紅は、そんなぼくの顔を見て笑うとぴょんと馬の背から飛び下りた。
「ヒューの事情ねぇ」
紫紺がギロッと兄様を睨んでも、兄様はバツの悪い顔で明後日の方向に顔を向けてしまう。
とっても言いたくなさそうな雰囲気だけど?
「俺様は知っているぜぇ。リカの部屋で昼寝しているときにギルとアンジェが話していたからな」
ふふんと真紅が胸を張って言えば、みんなの注目が真紅に集まる。
もちろん、ぼくも興味津々で真紅の顔を見たよ。
「待って、真紅。言わないでよっ」
兄様の懇願も空しく真紅は得意げに言い放ってしまった。
「ヒューは置いてけぼりになった任務にこっそり混ざろうとしているんだっ!」
…………シーン。
そして、ぼく、白銀、紫紺が兄様へと視線を移すと、兄様は顔だけでなく耳まで真っ赤に染まっていました。
真紅は父様と母様が話していたシーンを、ぼくたちの前で演じてみせた。
一人二役で声色まで変えてノリノリで演じている間、兄様はずっーと両手で顔を覆っていました。
ぼくと白銀と紫紺でリカちゃんの部屋で遊んでいたときのこと。
ベビーベッドで一緒に寝ていた真紅は、リカちゃんにしっかりと尾羽を握られて離れられなくなってしまった。
「そう言えば、そんなこともあったわね」
「そうだったか?」
「んゆ?」
ぼくたちは真紅を見捨てて、お昼ご飯を食べにさっさと部屋を出て行ってしまったと、今頃恨みがましく睨まれても……。
ふて寝していた真紅の耳に、扉をノックしてこっそりと部屋に入ってきた父様の足音が聞こえた。
「あら、ギル」
「しーっ。リカはお昼寝中だろう?」
そっと部屋に入ってきて母様とハグした父様は、ベビーベッドを恐る恐る覗きこんだ。
「ん? なんで真紅が一緒に寝ているんだ? ああ……これか」
尾羽をギュッと握りこんだ愛娘の姿に目じりを下げた父様は、リカちゃんの服を縫っている母様の隣にポスンと腰を下ろした。
「はあーっ」
「どうしたの? 何かあったの?」
父様が午後の仕事の前に、リカちゃんやぼくの寝顔を見に来ることはよくあることらしい。
んゆ? ぼく、気が付かなかった。
白銀と紫紺は知っていたの? 起こしてくれればいいのに。
ちなみに、兄様はお勉強の時間に父様が見学に来るのは断固拒否しているから、そっと隠れて見ているとか。
でも、その日はいつもの子供たちを愛でて仕事へのストレスを軽減しようとした以外にも、屋敷に帰ってきた目的があったみたい。
「実は、近々ハーヴェイの森に調査へ行くことになった」
「……? 時々、調査には行っているし、別に特別なことじゃないわよね?」
母様は手を止めてコテンと首を傾げた。
「そうなんだが……。今回は場所がなぁ。例の泉なんだ。ヒューとレンが攫われて怪我をした場所の……」
「あの、水の精霊王様へと繋がった泉?」
目を真ん丸にして驚いた母様に、父様は苦虫を噛み潰した顔で頷く。
「どうやら、冒険者たちが襲われているらしい。なんでも泉の方向から不気味な声が聞こえると冒険者ギルドに依頼があったらしくてな。その不気味な声というのが、呪いの呪文とか怪しい魔法の詠唱とか、地獄からの叫び声とか怪しさ満載なんだ」
ふうーっと疲れた息を吐き出す父様の背中を優しく摩る母様。
ぼくと兄様が攫われて連れて行かれた森の中の小屋は、元々木こりさんたちが使っていた休息用の小屋と倉庫だ。
比較的森の中でも魔獣の出没が少なくセーフティースポットと言っても過言ではないその場所で、最近正体不明な何かによる騒音? と人的被害が広がっている。
既に何人かの冒険者が襲われていて、重傷とまではいかないがかなりの怪我を負っていた。
特に泉に近づくと、不気味な声が絶えず聞こえてくるし、正体不明な何かの圧を感じるそうだ。
「ただなぁ。犠牲になるのは男ばかりなんだ。同じ冒険者パーティーの女性は無傷で、男だけが見えない何かに襲われて怪我をする」
「不思議ね?」
魔獣が冒険者の性別を判断して襲ってくることがないわけじゃない。
有名なのはゴブリンだ。
「いや、ゴブリンじゃない。ゴブリンに透明化の能力なんてないし、あいつらはギャッ、ギャッとしか鳴かないからな」
「そう。ギルは襲われるかもしれないのね。気を付けて、怪我しないで」
ぎゅっとかわいく自分の腕を掴む母様に、へにゃと頬を弛んだ父様は、そのまま母様の肩を抱き寄せ……また息を深く吐き出した。
「俺は大丈夫だが……。問題はヒューなんだ」
「ヒュー?」
父様の眉間にはびっくりするぐらい深いシワが刻まれていた。