泉の異変 1
植え込みから登場のユージーン様は高位貴族の御曹司とは思えない、所々に木端をくっ付けた作業着姿でした。
何やってたの?
ユージーン様はぼくらがガゼボでお茶会をしていると見ると、いそいそと寄って来たけどその席にソフィアがいるとわかるとピタリと足を止めた。
「ソ、ソフィア」
なんだかユージーン様のお顔が徐々に真っ赤に変わっていくよ。
「まあ! ユージーン様。どうしてそんな恰好をしているんですかっ」
反対にソフィアは鉄壁無表情を怒りに染めて、ガタンと勢いよく椅子から立ち上がった。
スタスタとユージーン様まで歩み寄ると、ガシッと襟を掴んで服を脱がそうとする。
「ばか、やめろ」
「なぜブルーベル辺境伯ご嫡男がこんな恰好をしているのですか! せめてシャツとトラウザーズに着替えてください」
二人の攻防はユージーン様が着ている作業着が、ビリッと悲鳴を上げるまで続けられた。
「本当に、やめろっ」
ぶいーんと体を大きくスイングさせてソフィアの腕を振り払うと、ユージーン様は脱兎のごとく走り去ってしまった。
「お待ちください、ユージーン様」
ソフィアも崩れた体勢を整えるとユージーン様の後を追って行ったけど、何も植え込みの中を走って行かなくても……。
「にいたま……なにがおきたの?」
はて? 今、ぼくが見ていた出来事は何だったの?
「そうだね、なんだったのかな?」
ぼくたちはユージーン様とソフィアが消えた植え込みを、ずっと見つめていた。
なんだかわからないことがあったお茶会が終わり、ぼくと兄様がのんびりお屋敷に戻ってリカちゃんと遊んでいるとお昼ご飯の時間に。
母様がリカちゃんにミルクをあげている部屋を後ろ髪を引かれながら出て、食堂で兄様と二人きりでご飯を食べました。
セバスがいたら、セシリアに会ったことと、彼女が転んだことを話そうと思ったけど、今は父様のところでお仕事中らしい。
「じゃあ、僕はこのあと家庭教師の先生と勉強するから、レンはお昼寝していなさい」
「はあい」
みんなで楽しく過ごしていたのに、急に一人ぼっちはつまらないなぁ。
白銀と紫紺はそばにいてくれるけど、どうせ真紅は寝ているだけだし……。
うむむむ、あっ、いいこと考えた。
くふくふと口に手を当てて笑っていると、トンと紫紺が鼻で背中を軽く突いた。
「急にご機嫌ね? どうしたの?」
「ふふふ。いいことおもいついたのー」
ぼくはスベスベしている紫紺の首に両腕でぎゅっと抱き着いて、こっそり二人にぼくの計画を話した。
お部屋でリリがぼくのお昼寝の支度をして、布団の上をポンポンと叩く。
「おやすみなしゃい」
「おやすみなさい、レン様」
リリは優しい手つきでぼくの頭を撫でて、静かに部屋を出て行った。
神獣と聖獣に守られたぼくだから、お部屋の中までリリやメグ、護衛騎士がずっといることはない。
だから、誰もいなくなった部屋で、ぼくは寝ていた体を起こして早速みんなを呼ぼうと思う。
白銀と紫紺も賛成してくれたしね。
「ピーイッ」
<ほんと、人って無駄なこと考えるよな>
「しんく……。また、まるくなった」
おかしいな? 真紅の力が少し戻ってきたから体が大きくなったって自慢されたけど、どう見ても太ったようにしか見えない。
「ピピヒイッ! ピピーイッ!」
<なんだと? ちゃんと成長してるじゃねぇかっ。>
そうかなぁ? お尻が丸くなったのはわかるんだけど?
「はいはい。いいから、瑠璃と桜花を呼んで始めましょう」
「そうだぞ。いいじゃねぇか、真紅のことなんか」
白銀が本当につまらなさそうに目を半眼にして言い捨てる。
「ピピイッ」
<どうでもよくないわ>
あっちで喧嘩が始まりそうだけど、ぼくは二枚の鱗を手に目を閉じて大事なお友達の名前を呼びます。
「るりー。おーか。おはなししよう」
手に持った二枚の鱗から柔らかい青とピンク色の光が溢れて、やがてそれはぼくの大好きなお友達の姿へと変わる。
「レン、元気そうじゃの」
「わわわ。ここがレンのお部屋なのね」
初めてぼくの部屋を訪れた聖獣ホーリーサーペントの桜花はキョロキョロと部屋を見回しているので、ぼくは瑠璃にばふんと抱き着いた。
「るーりー」
そっと優しくぼくを抱きしめた瑠璃だけど、視線はベッドの下でバタンドタンと暴れている白銀と真紅を呆れたように見ている。
「お前たち、やめろ。何か大事な用事があるから儂たちを呼んだのであろう?」
ふうっと息を吐いた瑠璃は、大きなシャボン玉みたいな結界壁で二人を包んでしまう。
「げぇっ、瑠璃。来てたのか」
「ピーイイッ」
<俺様は悪くないっ>
んー、ぼくはみんなでアリスターの騎士団入団おめでとうの贈り物の相談がしたいんだけどなぁ。
困ったなぁとコテリ、首を傾げてしまう。
「冒険者ギルドでも対応できないほどなのか?」
「どうでしょうか。今はアルバート様たちのパーティーが滞在しているので、かなり高ランクの魔獣でも対応できると思いますが」
ギルバートは自分の執務室、ブルーベル辺境伯騎士団の団長室にある重厚な机の上で頬杖をついた。
横に控え、先ほどの質問に瞬時に答えたのは、執事のセバスティーノだ。
ソファーには、副団長のマイルズと第一から第三までの隊長、魔法師隊の隊長が座り、端っこにアルバートがお菓子をつまみながら会議に参加していた。
「うぐっ。なんで急に俺たちへ話を流すんだよっ、いじわりぃぞ。そもそも、ハーヴェイの森の異変はブルーベル辺境伯の管轄だろうが」
「……お前もブルーベル辺境伯家の一員だろう。馬鹿か?」
長兄のギロリした睨みに、末っ子のアルバートは首を竦める。
「とにかく、ハーヴェイの森の泉にて異変ありとなれば、我が騎士団が調査に行くべきだろう。それに、ほれ、ギルバート。その泉とは、例の泉なのじゃろう?」
本来、副団長であるマイルズが団長の名前を敬称なしで呼ぶことは規律上許されないが、マイルズは俺にとってもう一人の親父とも言える存在だ。
しかも、本来は親父と一緒に騎士団を辞するはずだったのに、若輩の俺を思って残ってくれているありがたい存在だ。
あと、レンの剣術の師範でもある……剣術なのか、あれ?
「うう、そうなんだよ。あの泉はヒューとレンが水の精霊界へと行った泉なんだ。なのに、いつの間に訳のわからん現象が起きて不気味な場所になっているなんて……」
ハーヴェイの森のやや奥にある、小さな泉。
以前はチルとチロの遊び場として妖精の輪があった神聖な泉。
今その場所は不気味な声? 音? が響き渡る異変が起きていて、旅人や冒険者たちに恐れられる場所へと変貌してしまった。
そしてその声の主なのか、正体不明な魔獣らしきものに襲われるのは不思議な事に、成人男性だけだという……。
「本当に何がいるのかわからんなぁ。はあーっ、調査団を組んで二、三日中には出発する。各隊長は派遣騎士を選んでくれ」
「ギル兄も行くのか?」
「当たり前だろう。こんな厄介な案件は他人に任せられん。あと、お前も連れて行くから」
「ええーっ!」