執事見習いのお姉さんのこと
泥に汚れたセシリアさんがむくりと起き上がり、心配して周りに集まったぼくたちを見て、顔を瞬時に赤く染めてしまった。
「ちが、違うのよ。いつもはもっとちゃんとできるのよ。ただバケツがそこにあって足をひっかけて、そ、そうしたら手に持っていた荷物を落としてしまって、それでそれで……」
ブンブンと勢いよく手を振りまわして状況説明してくれるセシリアさんだけど、その度にべしゃっべしゃっと泥が飛びます。
おっとと、危ない。
「セシリア先生。落ち着いてください。落とした物を拾って立ち上がりましょう」
ドロシーちゃんがふうーっと深く息を吐き出して、テキパキと指示を飛ばして動き出す。
バケツを拾って花壇近くの水場まで運び、セシリアさんが持っていただろうプランターを一つ一つ壊れていないか、チェックしていく。
「あ、ご、ごめんね。ドロシー」
セシリアさんも慌てて立ち上がり、周りに散らばったプランターを拾っていく。
「セシリア。それよりその泥汚れをキレイにしたほうがいい」
兄様がセシリアさんを呼び止めると、プリシラお姉さんが近づいてエメに何かお願いしている。
「いいよ、可憐なプリシラのお願いだからね」
パチンとウィンクしたエメはセシリアさんに【洗浄】の魔法をかけた。
「わあ。すごーい」
セシリアさんの周りがキラキラと輝いたかと思ったら、泥で汚れていた洋服もお顔もぺかっとキレイになりました。
「あ、ありがと。プリシラ。エメ」
まだ恥ずかしさに赤く染めた頬をしたセシリアさんが、くるっと回って自分の姿の確認をする。
うん、セシリアさんは相変わらずだ。
セバスはセシリアさんがブループールの街に来ると、すぐに教会で婚姻の届を出した。
つまり、二人はもう結婚しているんです。
ちゃんと二人を祝いたかったぼくたちは、セバスにぶーぶー文句を言ったけど、これ以上何かイレギュラーなことが起きて結婚が延期になったら我慢ができないから、とっとと届を出したんだって。
それを冷静沈着な無表情で言われたら、父様も何も言えなかったらしい。
でもでも、結婚式は母様プロデュースのもと、ちゃんと執り行うのでそのときはぼくも参加できるそうです。
楽しみだけど……セシリアさんってばドレス着て転んだりしないよね?
「大丈夫ですか? 何か派手な音がしましたけど?」
ひょこりと騎士団宿舎から顔を出したのは、薄緑色の髪の毛をお団子にして、切れ長の眼でキリリとした顔の知らない女性。
「だ、だあれ?」
サッと兄様の背中に隠れてこっそりとプリシラお姉さんに聞きます。
びくびく。
「えっ……私も知らないわ」
プルプルと頭を振ったプリシラお姉さんも二、三歩分後ろに下がる。
プリシラお姉さんは、ここに来る前に居た場所で虐められていたので、対人恐怖症気味なのだ。
ぼくも、怖い。
知らない人でも、ぼくには兄様や白銀と紫紺がいるから平気なんだけど、この女の人は右手に包丁を持っているんだもん。
ぼく……刃物はダメ……先端をこっちに向けないで。
プリシラお姉さんとぼくとでブルブル震えて体を小さくしていたら、白銀と紫紺がザッと前に出て「ウォンッ」「ガウッ」と吠えてくれました。
「きゃあっ!」
「ソフィア」
白銀たちの吠声に驚いたその女の人は、耳を塞いで悲鳴を上げしゃがみ込んだ。
その女の人の名前を呼んで駆け寄る兄様……え? 兄様の知っている人?
ぼくたちのお屋敷のガゼボにリリとメグに頼んでお茶を用意してもらった。
プリシラお姉さんたちとセシリアさんとぼくと兄様、そして……知らない女の人。
白銀と紫紺と真紅はリリとメグに「お菓子も」とかわいく強請っている。
「つまり、この人はセバスの兄でハーバード叔父様の執事、ティアゴの娘なんだよ」
兄様がコホンと咳払いを一つしてから教えてくれました。
そ、そういえば、セバスと同じ緑系の髪の毛で……顔もキリリとしていてセバスに似ている……かも?
「レ、レンでしゅ、よろちく」
まだ、ビクビクしてしまうのは、彼女が持っていた包丁をそのままここに持ち込んだせいだ。
「ソフィア。ティアゴから聞いているだろう? ぼくの弟のレンだ」
「ソフィアです。よろしくお願いします」
ガタッと椅子から立ち上がってキッチリ腰から曲げて深々とお辞儀をする女の人、ソフィアさん。
「いえ。私も父と同様ブルーベル辺境伯に仕える身ですので、ソフィアとお呼びください」
「ソ、フィアさ……。ソ、フィア」
恐る恐る名前を呼ぶと、まるでよくできましたとばかりに頷いて、また椅子に静かに座る。
「こちらは騎士団宿舎で働いてるプリシラ。セシリアは知っているだろう? そのセシリアの手伝いをしているドロシーだ」
「ソフィアです。よろしくお願いします」
今度は座ったままペコリとお辞儀。
そういえば、ティアゴの奥さんはバーナード君、ブルーベル辺境伯夫人のレイラ様の第二子の乳母を務めているはず。
元々は辺境伯家の料理人なんだけど、同時期に妊娠出産することになったから、今は乳母のお仕事をしているんだよ。
ん? もしかしてこのお姉さんは赤ちゃんのお世話のお手伝いに来たのかな?
たしか、ティアゴの子供はお勉強するために留学していると聞いていたような……。
「いいえ、違います」
リリとメグが淹れてくれたミルクティーをコクリと飲んだソフィアは、ぼくの予想をスパーンと否定した。
「じゃあ、どうして? まだ留学中だろう?」
兄様に後で聞いた話だと、兄様より一つ上のユージーン様は今は十五歳でソフィアさんはユージーン様より一つ上の十六歳だそうです。
「決まっています。主に仕えるためです」
決意を込めたセリフだったからか、ギンッと目力強めに見られてぼくはびゃっと飛び上がった。
こ、この人、無表情過ぎるんです。
でも、ぼくとたぶんドロシーちゃんが怖がったのに気づいたのか、ソフィアの眉がやや下がった気がした。
「主って……」
「我が家系は代々ブルーベル辺境伯家に仕え、支えるためにあるのです。私の主は、次代のユージーン様です!」
ババーンってカッコよく宣言したけど、あのユージーン様に仕えるの?
ソフィアが?
「にいたま。ユージーンさま、だいじょうぶ?」
今だって気が向いたままにあちこちへ行って、ハマったことには集中するけどすぐに飽きる、そんな自由すぎる人に、こんなカチコチな人が仕えるなんて、ぼく心配です。
「そ、そうだね。ユージーンはお祖父様に似ているからね」
兄様も苦笑するユージーン様の自由奔放な性格に、見るからに真面目なソフィアがペアだなんて、そういうのは水と油っていうだよ。
「なんだ、俺の話か?」
ガササッ、ガサッとなぜか植え込みを掻き分けて登場したのは、自由人なブルーベル辺境伯嫡男ユージーン様だった。