プリシラの場合
最初の記憶は曖昧で、でも幸せな時間に包まれていたような気がした。
はっきりと思い出せるのは、母さんが泣きながら私の手を引いて誰かから逃げている日々。
追われ追われて行きついたのは、海辺の小さな集落だった。
朽ちかけの小屋で母さんと二人、慎ましい生活。
やがて、病に罹り弱っていく母さんをひっそりと見送り、独りぼっちになった。
なぜか周りから蔑まれた私は、あまり外に出ないように隠れるように過ごした。
それでも、石が投げられ叩かれ蹴られ、怖い言葉をかけられ続けた。
どうして? なぜ?
でも一人で過ごす寂しさに、段々と感情が希薄になって私が私でなくなるような、もう……何も考えたくない。
そんな辛い日々に全てが麻痺していた私が出会ったのは、明るい太陽なような女性、レイラ様。
この苦界から必ず助けるから待っていてと、私に微かな希望を与えて去って行った。
本当に? 私をここから出してくれるの?
レイラ様は嘘を吐いたわけではないけど、間に合わなかった。
この集落に住む悪辣な大人たちは、私を海に出没したクラーケンへの生贄にしようとした。
私……泳げないのに……人魚族だとレイラ様に言われたけど……泳げないのに……。
ああ、ここはなんて悲しくて惨い世界なのだろう……。
全てを諦めて、自分の命さえも諦めた私に手を差し伸べてくれたのは、小さくてかわいらしい手。
黒い髪のクリクリとした黒い瞳の、ふくふくとした頬をした男の子。
ただ、最初に出会ったのが海の中で、聖獣リヴァイアサン様が作られた防御壁に囲まれたところで、私は生贄だからと手足を縛られた状態だったので、パニックで助けにきてくれた人たちを思いっきり拒否してしまった。
そのまま、聖獣リヴァイアサン様、瑠璃様と彼らと一緒に海王国へ連れて行かれ、なぜか私の父さんの家族と出会うことができて、頭の整理もできないままに集落に戻り、レイラ様が約束してくれた通りに地獄の場所から抜けだすことができた。
本当に……一日で全てが変わってしまった!
そう、レイラ様との出会いも奇跡だけど、あの子……黒い髪のかわいい子供、レン君が私の運命を変えてくれた。
ブルーパドルの色鮮やかな街並み! ヒラヒラふわふわのかわいいお洋服! 冷たいお水に温かい食事!
「プリシラお姉さん」
「プリシラ」
私の名前を呼んでくれるお友達!
まぁ、そのぅ、神獣様と聖獣様には緊張もするけど、私の日々は明るい太陽の元、輝くようになったのだ!
「瑠璃様……この池はいいのでしょうか?」
ブルーベル辺境伯夫人のレイラ様に着いてブループールの街へとやって来た私は、辺境伯騎士団の騎士寮での仕事をしながら勉強を教えてもらい生活している。
ヒューバート様のお友達のアリスターさんの妹、キャロルちゃんとも仲良くなった。
辺境伯騎士団長様のお屋敷のメイドさんたちとも仲良くなり、いろいろと教えてもらったりお茶を楽しんだりと、私にしては人付き合いを頑張っていると思う。
そして、人魚族の守護聖獣様だからか、聖獣リヴァイアサン様、瑠璃様も何かと私のことを気にかけてくださるのだが……。
なんとか新しい生活に慣れた頃、ブルーパドルの街へと戻ることになった。
海王国にいる父さんの家族、ベリーズ家からの招待があったからだけど、人魚族で人魚王に仕えるベリーズ家に行くには海の中へ潜って行かなきゃならない。
潜って? 私の半分は父さんの人魚族の血が流れているけど、そんなに深い所まで潜れるかしら?
不安に思っていたら、瑠璃様が迎えに来てくださって防御壁に囲まれて海王国へと。
お祖父様やお祖母様、伯父様たちに甘やかされ、海王国のあちこちへと観光に連れて行ってもらい、私がぎこちなく笑顔を浮かべられるようになった頃、プレゼントと渡されのは……。
「水の、せ……、精霊様ですか?」
空中をゆらゆらと泳ぐ大きな青い魚は、中級精霊様だそうです。
「うむ。こいつらに頼まれて儂が見つけてきた。精霊力も強く常識もあるいい精霊だ。プリシラの護衛にちょうどいい」
瑠璃様の満足気な顔に何も言えなくなりましたけど、私に精霊様の護衛って大げさではないでしょうか?
呆気にとられ、精霊様のヒラヒラとしたキレイなヒレを仰ぎ見ていると、ポワンと人化されました。
確か……精霊様でも人化できる精霊様はかなり精霊力の強いと聞いた気がしますが?
「ふむ。なかなかいい子ですね。エメと呼ぶことを許しましょう」
「エ……エメ?」
うぐっ!
ただ、教えてもらった名前を口にしただけなのに、体全体の力が一気に抜け立ってもいられない。
恐ろしいほどの脱力感に意識も薄くなっていきます。
「おいおい。契約するならすると言いなさい。プリシラの魔力が枯渇してしまった」
魔力の枯渇?
ああ……それは大変です。
そうして、知らない内に水の中級精霊エメと契約した私は、その代償として魔力枯渇状態になり、ベッドの住民となったのでした。
私のせいで予定より大幅に遅れてブループールの街へ、前辺境伯夫人のナディア様と戻ってきました。
そして、瑠璃様がエメ用にと作ったのは騎士団の演習場の端っこの池。
それも、皆さんに無断で作られました。
「ねえねえ、リヴァイアサン様。この池の水、塩分を足してもいいかな?」
「なんじゃ。お主は水の精霊じゃろう?」
「うーん、ずっと海にいたからねぇ。海水じゃないとしっくりこないから。えいっ」
……ごめんなさい、私の契約精霊のせいで勝手に池を作っただけでなく、塩水の池になってしまいました。
オロオロとする私に、レン君といつも一緒にいる紫紺様がポンポンと尻尾で背中を叩いて慰めてくれます。
「いいのよ。あれ、瑠璃が自分のために作った池だから……」