救出作戦 1
そして、土の精霊王様の苦し気な呻き声を最後に魔物ワームが掘ったと思われる地下通路の最奥は沈黙に包まれた。
土壁の窪みに小さな体を押し込め、恐怖にブルブルと震えボタボタと涙を零すだけだったドロシー嬢が、腕の中の土の精霊――チャドに請われるままに足を踏み出したのは随分と時間が経ってからだったらしい。
「土牢に閉じ込められた、せ、精霊王様のお姿はお労しく、ま、真っ黒だった足先はその範囲を広げ、膝下まで肌は黒く染まっていました」
土の精霊王様はドロシー嬢の声には反応しなかったが、チャドの泣き声に僅かに頭を持ち上げ「逃げよ」と命じた。
ドロシー嬢は何もできない自分にまた涙を溢れさせながら、精霊王様に謝り謝り、地下通路を脱出した。
「でも、誰に助けを求めればいいのか……。周りに疎まれ獣人の子たちに虐められているあたしの言葉を誰が信じてくれるのか……。困っていたときにチャドが、邪気を払えるのは神獣様か聖獣様しかいないと。そ、それで……そのぅ……」
何度か聖獣がいると噂のクラク森まで訪れたが、森の中に入ることはできなかった。
「す、すみません! ま、魔物と会ったら、ど、どうしようって思って……」
ドロシー嬢がたとえ無謀の勇気でもってクラク森の中へ入っていっても、聖獣ホーリーサーペントは人が怖くて結界の中に閉じこもっていたから、詰まるところ会うことは叶わなかっただろう。
本来、魔物が蔓延る森に入るなら護衛が必要だ。
でも、彼女の周りにはアリスターが軽蔑しているような輩が多く、獣の特徴をその手に宿す彼女に協力してくれる者などいなかったか、彼女がそんな親切な人はいないと思い助けを求めなかったのか……。
僕はふうーっとドロシー嬢に気づかれないようにため息を吐く。
正直、僕の手に余る案件だと思うよ。
「でも、セシリア先生からブリリアント王国から婚約者様とその家のご子息たちが来られると聞いて、あ、あたし……」
ドロシー嬢がチラリとレンへ目を向ける。
正しくは、レンの隣に座る神獣フェンリル白銀と聖獣レオノワール紫紺にだろうけど。
「ちゃんと土の精霊王様の話をして助けてくださいってお願いしようと思ってたんです! でも、でもでも……」
やっぱり怖くてと誰にも聞こえない小さな声で呟くドロシー嬢に、周りの大人は困惑顔だ。
子供の相手は子供にと考えていたのに、その子供が同じ年ごろの子供に恐怖心を持っているのだから。
さて、これからどうしようかと頭の痛い問題に眉間にシワを寄せる僕にレンが「にいたま」と袖をかわいく引っ張る。
「どうしたの?」
「なんで、しろがねとしこん、せーれーおうさま、たすけられる?」
コテンと頭を傾げて、きゅるるんな瞳で僕を見つめるレン。
「そうだね……。たぶん精霊王様の身を蝕んでいる邪気は同類の浄化では祓えないのでは?」
レンの頭をよしよしと撫でながら紫紺に視線を合わせると、紫紺がコクリと頷く。
「ええ。たぶん、そうだと思うわ。浄化で祓えるのは所詮、人が掃き出す瘴気にアタシたちの神気が混ざったもの。邪気は……言ってしまえば神気そのものが変異したもの。邪気は落ちた神の神気のことだと思うわ、たぶん」
堕ちた神などいないからわからないけどね、と紫紺はプルプルと頭を左右に振りながら言い捨てる。
白銀はまったくわかりませんって顔をして神妙に話を聞いているが、その頭の上の神獣フェニックスは興味ありませんとばかりに大欠伸をしている。
「ふむ。さてどうすればいいのかな?」
本当に困ってしまった。
アイビー国の農作物の不作について、原因と噂されている聖獣ホーリーサーペントの説得に来たはずの僕らに、精霊王救出は予定外にも程があると思うよ?
兄様がうむむと難しい顔をしていて、ドロシーちゃんは泣きそうな顔でぼくを見ていて、紫紺がうんざりとした顔をしている。
なんだか話がややこしいけど、精霊王様を助けるには白銀たちが頑張らないといけないらしい。
ドロシーちゃんの話を聞いていた水の精霊王様と火の精霊王様のお顔がとっても怖いことになっているけど、「邪気」は精霊王様同士では助けられないものだから、今回は白銀たちに頼ってほしい。
でも、どうやって精霊王様を助けるの?
ぼくも難しいことを考えてますよ、とばかりに腕を組んで頭を右に左に捻ってみるけど、どうしたらいいんだろう?
「いろいろ考えてもしょうがねぇだろう。できることからやっていこうぜ」
バンッと両手を合わせる小気味いい音が、ぼくたちの意識をハッとさせる。
アルバート様とリンたち冒険者パーティーがニヤリと笑う。
「俺たち冒険者は無理はしない。いつでも自分たちができることを把握して余裕をもって行動する。じゃないと怪我するだけじゃ済まないからな」
「アルバート叔父様。しかし、できることって?」
兄様の眉がしょんもりと下がる。
「ああ? そんなの知らん。でもやることは整理できるだろう? まずは精霊王様の救出だ」
「……しかし、邪気となれば我らは役に立たんぞ」
水の精霊王様がボソリと不機嫌に言葉を落とす。
「ああ。精霊王様たちは精霊王様たちができることをやってもらうさ。邪気とやらは神獣か聖獣に任せればいい。なぁ、白銀様?」
アルバート様の急なご指名に、白銀の尻尾がピーンと立った。
「お、おうっ。任せておけ」
安易に引き受けていいのかな? ぼくはとりあえず白銀の顎下の毛を撫でておきます。
「他にやらなければいけないことはなんだ? ヒュー」
「……瘴気の浄化ですか?」
「そうだな。浄化のできる精霊たちを集めて浄化すれば、土地の状態も以前のように戻るかもしれない」
アルバート様は顎を手で擦りながら、忌々し気に後ろに聳え立つ石柱を睨みつけた。
「あの石柱がなければな……」
そう、土地の浄化をしてもあの石柱がある限り、無限に神気が混ざった瘴気は供給されてしまうのだ。
「壊すなら、六本を一度に壊さないと魔法陣が暴走するわよ」
紫紺の助言に場の空気がピキリッと凍りついたようだった。