瘴気と浄化 3
瘴気というものは、誰人の心の中にも巣食うものである。
どんな聖人であっても心の内には、僅かばかりの隠したい悪しき気持ちがあるものだ。
妬み、恨み、憎しみとまでいかなくても、嫌い、羨ましい、悲しいという気持ちは自然と心に湧いてくるもの。
人族、獣人族、エルフ族、種族関係なく瘴気に侵される。
そう、それは我ら神獣聖獣でもじゃ。
しかも、我らはそれら瘴気をさらに強力にしてしまう神気とやらを持っているのでな。
厄介なのじゃ。
誰かが育て膨らました瘴気は、やがて他の人の瘴気と結びつき、さらに強く広く伝染していく。
同調というやつじゃ。
この瘴気に神気が混ざると、瘴気が薄い善人でさえ悪心を抱く者へと変貌させてしまう。
人が育む程度の瘴気は、徳の高い神官のお祓いで浄化することが可能だが、神気が混ざると人の手には負えなくなる。
そのため、創造神様は自分が創り出した神獣聖獣の不始末に精霊王を新たに創り出し「浄化」の力を与えた。
世界に蔓延し終結に向かっていた生命を救うため、精霊王は「浄化」の力を使い世界に秩序を取り戻したのだ。
多大な犠牲を払ってな。
そのとき、世界に重大な危機を齎した神獣聖獣たちは神界で呑気に眠っていたのさ。
わー、パチパチ。
ぼくは瑠璃の昔話に手を叩いて喜んだ。
兄様たちは神妙な顔をして聞き入ってたし、白銀たちはズズーンと落ち込んで隅に丸まりながら恨めしそうな顔を瑠璃に向けているけど。
「どうじゃ。瘴気のことがわかったか?」
瑠璃の問にぼくはコクリと頷いた。
「あい。ぼくにも、わるいきもち、ありゅ」
我がままなぼくは瘴気に心を汚されていたのかな? ぼくの瘴気が誰かを傷つけていたらどうしようって不安な気持ちになった。
「これこれ。そういう悲しい気持ちも不安な気持ちも程度が酷くなれば瘴気と変わるんじゃ」
ツンツンとぼくの顰められた眉と眉の間を突つく瑠璃の細い指が地味に痛いよ。
うーと口をへの字に曲げて両手で額を抑えると、瑠璃がハハハと快活に笑う。
「別に悲しくなってはいかんとか、不安になることが悪いとは言っとらん。ほどほどにじゃ。ほどほどに」
「ほどほど」
「そうそう。何もレンだけではないぞ。そこの兄も兄の友達にも覚えがあるじゃろ?」
兄様とアリスターは、うーんと腕を組んで考える。
「ああ、そういえば、僕より先にかわいい弟を馬に乗せたり、抱っこしたりする奴に恨めしい気持ちになったことがありますね」
……兄様、そういうことは清々しい笑顔でみんなに言うことじゃないと思う。
「ヒュー! お前、あれはしょうがないだろうがっ。そんなことで俺を恨むな!」
「そんなことじゃない。大事なことだ。レンと馬で二人乗り……楽しみにしていたのに……」
「にいたま」
しょんぼりしちゃった兄様にぼくはどうしようとあたふたする。
「ほうっておけ、レン。こいつ……ちっっっとも、しょんぼりしてねぇ」
アリスターがちょっぴりプンプンして兄様の肩をバチンと強めに叩く。
「アハハハ。ほらアリスターだって、今少し腹を立てているだろう? レン、みんなこんなものだよ。レンだけが悪い気持ちを持っている訳じゃないよ」
兄様はアリスターに叩かれながらも、ニコニコ顔でぼくの頭を優しく撫でてくれる。
「レンと初めてのことをアリスターに横取りされたことは許さないけどね」
「んゆ?」
なんか、兄様の背中からブワッと怖くて冷たい空気が溢れたような?
「兄はいささかお腹が黒いのう。まあ、いい。ところで、白銀たちよ。反省したか?」
「……ああ」
「精霊王たちへの詫は改めてするわ」
「ピーイ」
<俺様……悪くない>
「まあ、フェニックスちゃん。反省しなきゃダメよ」
なぜかお宿での瘴気講義に参加している蛇のお姉さん。
ぼくが無意識にお宿の花壇の土を浄化してしまったので、大騒ぎになりました。
まず、ぼくの「浄化」の力は神様――シエル様からのプレゼントという位置づけなので、力の封印の対象からは除外されているそうです。
なので、今のぼくの状態でも力を行使できてしまいます。
神官として禊をして修行して身につけた「浄化」の力ではなく、神様直々の譲渡なので、もちろん神気が混ざった瘴気を浄化できます!
つまり、土が侵されていた瘴気は神気が混ざった瘴気の可能性もあるとわかってパニックだったのです。
そして、誰の神気が混ざったのか? という疑問に考えるより先に行動に出たのは白銀でした。
「あのバカヤロー」
叫びながらクラク森へと駆け出していき、蛇のお姉さんを連行してきたのです。
「この国にいる神獣聖獣はお前だけだ! お前が瘴気に神気を混ぜたんだろう!」
白銀がものすごく怖い顔で責め立てるから、蛇のお姉さんはシクシクと泣くだけで、ぼくと兄様たちは困ってしまった。
そこでぼくが思いついたのは、白銀を抑えてくれてお姉さんのフォローもできて、瘴気のことを教えてくれる人。
それは、聖獣リヴァイアサンの瑠璃!
ぼくは瑠璃からもらった鱗のお守りをぎゅっと握って瑠璃を呼び出したんだ。
「瑠璃。ここの土の瘴気はやっぱり神気が混ざった瘴気と考えていいのかな?」
兄様が瑠璃に確認します。
「まあ、そうじゃろうな。ただの瘴気が作物に影響を与えるとは考えにくい。しかし……瘴気が蔓延っているならば、なぜそれらに敏感な妖精、精霊がのんびりとしているのか。しかも精霊王までもが気づかないとは。まったくもって異常なことじゃの」
ふーっと息を吐いた瑠璃はチラッとぼくの頭の上に乗っているチルを見る。
そういえば、いつも黒い靄に敏感なチルとチロが何も言わなかったなぁ。
「チル? しょーき、わからない?」
『……うーん、やばいしょーきは、ないぞ? でも、つちのなかは、わからん』
ふよふよとぼくの目の前に飛んで降りてきて、首を左右に振るチル。
「おい、ディディ。お前はどうなんだよ?」
「ギャウ、ギャギャ」
ディディの両脇に手を差し入れて持ち上げたアリスターに、首を振ってみせる火の中級精霊。
妖精や精霊も気づかない瘴気の蔓延がアイビー国の不作の原因なんだろうか?
「もし、意図的に広げた瘴気なら、またアイツが暗躍しているかもしれない」
兄様はギリリと唇を固く噛み締めて、唸るように呟く。
「あの、道化師の男が……」