精霊の泉 2
ブルーベル辺境伯領において分家筆頭は、伯爵位を持つ白髪の翁だ。
息子に爵位を譲らずに、長い間権威を独占し分家をまとめ上げ、裏で色々と画策している狸爺だ。
もともと前辺境伯の時代から不平不満をため込んでいたのだが、息子の嫁に裕福な侯爵の三女を迎え、王都の貴族たちと縁を結んでから、野心が止まらなくなっていった。
しかも、孫は幼いころから出来が良かったため、五歳の頃に王都へ居を移し英才教育を始めさせた。
勿論、次期辺境伯に相応しく剣術も習わした。
ようやく、始まるのだ、ここから。
分家筆頭の地位を脅かす現辺境伯の兄、騎士団団長のギルバートから愛息子の将来を奪い、現辺境伯からは嫡男の命を奪う。
そうして、ギルバートの息子を次期辺境伯に推挙し、我が孫をギルバートの養子にする。
あとは、何年か後にギルバートの息子の無能を訴え、孫を辺境伯に繰り上げさせればいい。
ほとんどの分家は掌握済みだ。
前辺境伯がうるさく文句を言うかもしれないが、剣も握れない孫を庇ったところで国王からも領民からも相手にされないだろう。
ふふふ。
辺境伯など、切っ掛けにすぎない。
そのあとは、王都に出て……。
ふふふ、ははははは。
伯爵の執務室で極上のワインを味わい、輝かしい未来に笑いが止まらない老爺の耳に蹄の音が聞こえた気がした。
「?」
広大な庭の向こうを走る馬の音など、聞こえるはずがない、不思議そうに首を傾げたあと、ワインを口に運ぶ。
色の濃い瓶の中のワインが、迫る軍馬が立てる地響に揺れていることにも気づかずに。
泉の上に立つお兄さんに向かって、白銀と紫紺はふたり揃って鼻を鳴らした。
「早く出てきなさいよー!一大事なのよ!」
「けっ、相変わらず、いけ好かない奴だ」
「…お前ら、わざわざ我の地に赴いておいて、何を言っている。こちらこそ目障りだ。さっさと去ね!」
美麗なお兄さんの額に、ピクピクと青筋がいくつも現れた。
ぼくは、そんなやりとりを放っておいて、兄様の怪我を凝視している。
神様に異世界へ転生や転移された主人公は、いわゆる「チート」といわれる能力をもらっていた。
ぼくはシエル様に何かもらった覚えはないけど、チルが「面白い力」って評してたし、魔力が多くないと妖精とかは見えないらしいので、ぼくには魔力がいっぱいある、はず。
兄様の怪我……ぼくが治せないかな?
両手を兄様の背中に当てて、目を閉じて自分の中の力を探ってみる。
よく、魔力は体に流れる血のように巡っているとか、お腹の下の丹田という場所に力を感じるというが、どうだろう?
んー、よくわからない。
とりあえず、兄様の怪我が治るイメージを持って、自分の両手から力が流れるように念じる。
「ぐむむむむぅ」
眉間に皺が出て、鼻のまわりもくちゃってなって、奥歯を噛みしめる。
治れ治れ治れーっ。
イメージが大事だよね?背中の傷がなくなって、元気に動けるようになった兄様をイメージ!
どれぐらい、そうしていたのか……。なんだか掌から温かい何かと時々熱い何かが流れているような?
その何かはちゃんと兄様に注がれているような?
「むむむぅ」
集中!集中!
「きゃーっ!」
紫紺は何気なく、大人しいレンの様子を見るために顔を向けた。
向けた瞬間絶叫した!
「な、なんだ」
精霊王と何百年ぶりの口喧嘩真っ最中だった白銀は、紫紺の叫び声に尻尾をぶわっと膨らませて驚いた。
「あ……!あれ!レンを見て!あの子、ヒューに魔力を注いでる……」
「あ?そんなこと、レンができるわけ…な…い…。えっ?」
ふたりの目には、紅葉のようなぷにぷにのレンの手から魔力がヒューバートに注がれている異常な光景が……。
それどころではない。
「あ、あれ…。生命力も注いでないか?」
「ぎゃーっ!!」
紫紺が男らしい絶叫をあげた。
思わず、精霊王も耳を塞ぐほどの。
「死んじゃう!死んじゃうわよっ!レンみたいな小さな子供が生命力あげたら、死んじゃうわよーっ!」
ふたりは慌ててレンの傍へ駆け寄って声をかける。
「レン!」
「レン!」
しかし、集中しているレンの耳にふたりの声は聞こえない。
むしろ、ちゃんと自分の力がヒューバートに注がれていることが嬉しくてさらに力を込める。
レンを傷つけないように、そっと前足でレンの体を揺さぶるが……無視だ。
最悪の想像に顔を青褪めさせるふたりに、泉の上からスイーッと移動してきた精霊王が、面白そうにマジマジとレンを観察している。
両肩にそれぞれチルとチロを乗せ、ふたりの妖精からレンとの出会いを聞きながら。
「ふむ。面白い童よ。……そうか、あの方の力の残滓を感じるぞ。なればこそ、こ奴らが契約しているのか……。ふむふむ」
精霊王はパチンと指を鳴らし、レンからヒューバートへの力の譲渡を力業で遮り、ヒューバートの体を薄い水の膜で覆ってしまう。
レンが驚いて振り向くと、人外の美しさの麗人が、意地悪そうに口を歪めて笑って自分を見ていた。