土の精霊 1
いつの間に移動していたのか、目を覚ますとモンステラ伯爵邸近くの農場、その端にあるセシリアさんの研究室にいました。
あら、びっくり!
パチパチと瞬きをして左右上下を見回していると、ぼくが目覚めたことに気づいた兄様が寝ていたぼくの体をよいしょっと抱き上げる。
「起きたんだね、レン」
「あい」
抱っこされながらみんなが座っているテーブルへと連れて行かれます。
兄様の隣の椅子に丁寧に座らされると、正面に座るセシリアさんと目が合いました。
「ふふふ。疲れちゃったのね。ティーノってば、こんな小さな子まで森に連れて行くなんて、危ないわよ?」
「案ずることはありません。レン様には、この世界で最強の護衛が付いてます」
しれっと言うと、セバスは目線で獣姿でお座りしている白銀と紫紺を示す。
「あ……そう、だったわね」
反対に、セシリアさんはスウーッと視線を白銀たちから逸らす。
セバスは自分の愛する婚約者が、まだこの可愛らしい尊貴な存在に慣れていないことを察知し、さりげなく話題を変えてみせる。
「これは、頼まれていた土です。聖獣様が張った結界内の土と植物と、普通の森の土と植物を採取してきました」
はい、と幾つかの小瓶をセシリアさんに手渡すと、ぼくらが気付かないほどのスムーズさで研究室の奥へと彼女を誘った。
研究室へいそいそと小瓶を持って行くセシリアさんを目で追っていると、こちらを覗く大きな手と朝に会った女の子のビクビクと怯える顔が映る。
ぼくは、馬車の中で聞いたアリスターの話を思い出し、座っていた椅子からぴょんと飛び降りた。
「レン?」
兄様の制止の声も無視をして、テケテケと彼女の元へ走っていき、深々と頭を下げた。
「ごめんなさい! あさ、ジロジロみて、ごめんなさい」
自分の足の爪先が見えるほど頭を下げて彼女に謝ります。
「えっ! ええ?」
動揺する女の子の声に、チラッと視線を上げてぼくはもう一度ごめんなさいと謝った。
「い、いいんです! いいから、頭を上げてくださいっ」
悲鳴のような言い方に、ちょっとひっかかるけど、ぼくは頭を上げて女の子の顔を真っすぐに見た。
「ぼくは、レン・ブルーベルでしゅ!」
初めての人には自己紹介をちゃんとしないと、お知り合いになってお友達になることができないのです!
「へ? あ、あ、あたしは……ド、ドロシー、です」
んん? 段々声が小さくなるから聞こえにくかったけど……。
「ドロシーちゃん?」
「あ、はい。そうです」
ぼくはニコーッと顔が笑うのが止められないまま、スッとドロシーちゃんの前に自分の右手を差し出しました。
「え?」
ドロシーちゃんはぼくの顔と右手を交互に見ますけど、握手ですよ?
「ドロシー。あなたも手を出して。お友達の握手をレン様としましょうね」
ぼくたちのやりとりが気になったのか、研究室からセシリアさんが出てきて、ぼくたちの横にしゃがみ目線の高さを合わしたら、ぼくの右手とドロシーちゃんの右手を握手させようと手を伸ばす。
「で、でも。あたしと握手したら……。けが、しちゃう」
俯いて、自分の大きな手を胸に抱くようにするドロシーちゃんに、セシリアさんは優しい声で促した。
「大丈夫よ。ほら、手を開いて。ここにレン様の手をこうして」
セシリアさんの介助付きでドロシーちゃんと握手することができました!
「むふっ。これで、おともだち」
「え? お友達?」
そうです。
ぼくが難題なミッションをやり遂げたような満足顔をしていると、ポフンとアリスターが頭を叩き、白銀と紫紺が尻尾をフワンとぼくの腰に巻き付けました。
「さあ、仲直りが終わったらテーブルに戻ろうね。セバスがお茶を淹れてくれたよ」
その途端、「クウッ」とぼくのお腹の音が鳴りました。
「ううっ。はずかちい」
真っ赤に染まったぼくの顔を見て、みんながにこやかになり、ドロシーちゃんも交えて暫しお茶とお菓子を楽しんだのでした。
セシリアさんによる、クラク森から採取してきた土とかの分析が終わりました。
なんとなく、ゴクリと唾を飲み込んでしまうほど緊迫した雰囲気に包まれています。
「ピーイ、ピイィィィ」
あ、真紅は寝ています。
寝言なのかな? いびきなのかな? 呑気だなぁ。
「やっぱり。ここの農場の土よりは良い土だったわ」
土を少し盛った白いお皿がカチャンと、テーブルの上に置かれます。
「聖獣様の影響でしょうか?」
「……わからないけど、良い土である条件がわかった気がするの」
セシリアさんは、今までみたこともないぐらいキリリと顔を引き締めて、一枚の紙をペラリと出しました。
「土の中に含まれる魔力量……ですか?」
兄様がセシリアさんが出した紙をじっくりと見ながら、顔を強張らせていきます。
「ええ。アイビー国で不作の土地では、やっぱり畑の土の魔力量が著しく減少していたの。ここモンステラ伯爵領地の畑も年々減少していたわ。ただ、他の土地よりもその減り方が緩やかだっただけ。でも、この聖獣様の結界内の土は以前と同じ魔力が含まれていて、それ以外の森の土は人里に近づけば近いほど含まれる魔力は少なくなっている」
「うーん。農作物の出来に土の魔力が関係しているのは知っているが、そもそも土の魔力が減少している原因がわからないとな……」
アルバート様は椅子をギコギコ揺らし天を仰ぐ。
「……やっぱり、真紅みたいにあいつが周辺の魔力を奪ってんじゃ……」
「そんなわけないでしょ。流石にそんなことしていたらアタシたちが気が付くわよ。たぶん」
紫紺……たぶんって言っちゃダメ。
みんなが難しい顔でうーんと唸っているから、ぼくも真似して腕を組んでうーんと唸っておいた。
土に含まれている魔力が少なくなる原因って、なんだろうね?
単純に土の栄養が足りないとかじゃないの?
でも、野菜とかができなくなったときに、肥料とか足すことはとっくにしているだろうし……。
このとき、みんながそれぞれに考えこんでいてドロシーちゃんの様子を訝しむ人がいなかった。
彼女は何かを気にするようにキョトキョトと視線を飛ばし、体を小さく縮めるように固くしていたのに。
何か秘密を守るみたいに。