精霊の泉 1
白銀の足でほんの少し走った、森の中。
月明りにキラキラと輝く泉が、顔を出した。
ぽてぽてと泉の周りを歩いたところで、チルが白銀の毛を思いっきり引っ張り、『とまれー!』と叫んだ。
「イテテテテ」
ちょっぴり涙目の白銀は、頭をブンッと大きく振って、頭の上のチルを振り落とす。
『わわわわ』
ポテンとチルがぼくの両手の上に落ちてきた。
「ちる。おーさま、どこ」
紫紺に咥えられ体をプラプラさせて、両手の中のチルと顔を見合わせる。
ふよっとぼくの両手から飛び立って、泉の水面の上でぐるぐると縦に大きな円を描きだした。
『ふぇありー、さーくるで、むこうにいく。おーさま、よぶ』
チルが描きだす円の縁から水が湧いて、くるくると捩じりながら円を作り出していくのを、ぼくは口を開けて見ていた。
すごいなーと感心していたそのとき、バッビュン!と高速で飛んできた弾丸のようなそれに、チルのちいさな体は吹っ飛ばされていく。
「「「え?」」」
ぼくと白銀と紫紺は、三人揃って首を傾げた。
そこには、腰に両手を当てて偉そうに胸を反らすチロが……。
『おいていくな!』
お怒りモードでした。
チルはヨロヨロと飛んでぼくの背中に隠れる。
しょうがないので、白銀が兄様のことを説明すると、ますます眉を吊り上げる、チロ。
『なんで、はやく、おーさまのいずみに、いかないの?ばか、ばかばか!』
『ひぃぃぃ』
チルの悲鳴が……。
今、行こうと思ってたのに、邪魔したのはチロだよね?
ぼくがチルの頭をよしよしと撫でているうちに、チロはさっきチルが描いていた円を超高速で作り上げた。
円の縁には水が幾重にも巻き付き、キラキラと月明りを反射している。
『さあ、いくわよ!』
チロを先頭に、その円の中に飛び込んでいく。
ぼくは、少し怖かったけど紫紺に運ばれているので躊躇うことなく円の中へ。
目を瞑っていても分かる、明るさが違う。匂いが違う、音が違う。
何かが違う世界。
そっと目を開けると、さっきまでいた同じ泉のはずなのに、周りの風景は全て違っていた。
『ようこそ!精霊の泉へ!』
妖精の指示どおりの場所へ馬を走らせ辿り着いたのは、今はもう使われていないだろう木こり小屋と物置小屋だった。
しかも、そこは……。
「白銀たちか…」
幾人も人が倒れている。
体のあちこちから血を流して…。
馬から下りた俺は、連れてきた騎士に死体を一ヵ所に集めることと、ヒューバートとレンの捜索を命じた。
すぐ傍にある死体を検分してみたが、鋭い獣の爪で胸や背中を切り裂かれている。
ご丁寧に太い血管めがけて。
「ふむ……」
辺りを見回しても白銀たちの姿は見えない。
逃げた賊でもを追って、森の奥深くへと入って行ったのか?
俺は、念のため剣を片手に持ち、物置小屋の方へと足を向けた。
そこは、狭い小屋のなかに木箱が無造作に置かれていた。
奥に一人の男が倒れている。やはり血まみれで。
大柄な男は剣を持ったまま倒れていた。
何気なくその剣先を見ると。
「新しい…血のあと?」
白銀たちと交戦して、彼らに傷を負わせた?
いやいや、神獣フェンリルと聖獣レオノワールに、たかが小悪党が一太刀浴びせるなんて無理だろう。
ならば……この血は?
その場をよく確かめてみると、切られた金髪が散らばっているのと、その周りに獣の足跡、小さな子供の足跡があった。
ここに、閉じ込められていた?
この男が切ったのは何?
いや、誰?
なぜ、白銀たちはここにいない?
俺は答えが分かりきっているはずの問いを何度も頭の中で繰り返していた。
すでに絶望で膝をその場に付いていることも、道案内をしてくれた小さな妖精の姿が消えていることにも気づかずに……。
『おーさま!』
『おーさま!でてきてー!』
泉に着いてから、水面に向かってチルとチロは精霊王様を呼んでいる。
呼んでるけど、ちっとも応答がないみたいだ。
風があっても静かな泉は沈黙したまま。
ぼくは、紫紺に放してもらったあと、白銀の背中から降ろして俯せに寝かされている兄様の傍でずっと「にいたま」と呼びかけている。
こちらも答えてはくれないけど、呼んでいないと不安で不安で。
そのまま神様のところへ召されてしまいそうで……。
「にいたま」
「・・・にいたま」
そのぼくの声を消すほどの大声で、妖精コンビが、
『おーさま!』
『おーさま!はやく、でてこーい!』
「あやつ、俺たちがいるのがわかっているから、無視してるのか?」
「さあね。でもいい加減、姿を現さなかったら…やるわよ?」
キラーン!と自爪をにょきと出して、不敵に紫紺が笑う。
白銀もひとつ頷くと、体の周りにパチパチと小さな雷を纏わせる。
その殺気が泉の底に届いたのかどうか、ブクブクと泉の真ん中が泡立ち、水柱が立ち始めた。
『おーさま!』
チルとチロがその水柱を囲むようにふよふよ飛ぶ。
水柱はどんどん大きく高くなり、ザッブーンと泉全体を波立たせたあと、嘘のように静かな水面に戻る。
その泉の真ん中には、ひとりの男性が不機嫌そうに立っていた。
泉の上を。





