クラク森へ 2
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クラク森へ神獣か聖獣の調査へ出発しようとしたぼくらの前に、セシリアさんの所にいたらしい女の子が訪ねて来た。
その女の子は、生成りのワンピースの上に白いエプロンをしていて、濃茶色の髪を三つ編みにして左右に垂らして、紅茶色の瞳を不安気に揺らしていた。
たぶん、兄様より年下で、ウィル殿下と同じくらいの年頃。
ぼくが気になったのは、その女の子の手だった。
緊張からか、白いエプロンをギュッと握ったその手には、大きくて鋭い爪と茶色の毛がふさふさと生えていた。
じーっと、その子の体にしては大きい手を見つめていると、ぼくの視線に気づいた女の子は、サッと両手を自分の背中に隠してしまった。
「んゆ?」
ぼくがその子に話しかけようと、隠れていた兄様の背中からぴょこりと出て行こうとしたとき、ポンッと肩を叩かれる。
「……アリスター?」
はて? アリスターがいつのまにかぼくと兄様の後ろに立っていた。
どうやら、セバスと一緒に馭者席に座っていたけど、見知らぬ来訪者を警戒してセバスとは逆方向から馬車を回りこみ、ぼくたちの後ろから状況を見ていたんだね。
ぼくの視線が離れたからか、その女の子はセバスの手に「こ、これセシリア先生からですっ」とバスケットを押し付けて、ダダダッと全力で駆け出して去ってしまった。
「あー、いっちゃったの」
ぶー、お話ししてお友達になれたのかもしれないのにぃ。
「ごめんごめん。でも、知らない女の子をじっと見るのはマナーが悪いぞ」
アリスターがコツンとぼくの額に拳骨を落とす。
拳骨は痛くないけど、知らない子に話しかけたらダメなの?
「……次会ったらちゃんと謝って、それからお話ししようね」
兄様がぼくの額をナデナデしながら、器用にアリスターを蹴っとばす。
「アイタタ。ほら、早く出発しようぜ。森に行くのが遅れると面倒だろう?」
そうだね、森に行っても今日すぐに神獣か聖獣を見つけることができないかもしれないし。
そうなったら、野営をして森に何日も籠らないといけないもんね。
ぼくは兄様の手を引いて馬車へと乗り込もうとした。
「アリスター、貴方も私と一緒に馬車の中へ」
「へ? でも馭者は?」
「アルバート様たちに頼みました」
確かに馭者席へと目を向ければ、アルバート様とリンが手を振っているし、ザックさんとミザリーさんは馬に乗っている。
「馬車の中で話しましょう」
「あ、はい」
なんの話? ぼくでもわかる話かな? 難しい話だったら眠っちゃうよ?
「なんだ、面倒な話か?」
「アンタは大切な話でも寝ちゃうじゃない。アタシが聞いておくわよ」
「いや、おい。俺もちゃんと聞くぞ! 俺だって頭を使って考えられるんだぞ」
白銀と紫紺が仲良く言い合いながら、ぼくたちより早く馬車に乗り込んでいく。
……真紅は白銀の頭の上で熟睡中だね。
馬車が動き出すとレンの体が不規則な動きで揺れ出す。
「ほら、こっちにおいで」
今日はレンが遠慮する前にひょいと自分の膝の上に載せてしまおう。
「にいたま?」
ちょっと不満そうな顔のレンもかわいいけど、僕は機嫌を取るためにレンの頭をヨシヨシと撫でておく。
「おいっヒュー。そのまま話を聞くつもりか?」
「耳があれば聞こえる。それにセバスの話というより、アリスターが話しておきたいことがあるんだろう? あの少女のことで」
アリスターは、ぼくの言葉に「うぐっ」とわかりやすく喉を詰まらせた。
「あー、レンは知らないようだったから教えておいたほうがいいかと思ったんだよ」
「んゆ?」
ぼくの知らないこと? とレンが首を傾げていると、その足元に座っている白銀と紫紺もレンと同じポーズをする。
「しろがね? しこん?」
「アリスターの話って何のことって思って。アタシたちも知らないこと?」
「神獣や聖獣が知らないかはわからん。でも、俺たち獣人の間の恥ずべき習慣ではある」
アリスターがフンッと鼻息を荒くして不機嫌そうに腕を組む。
珍しいなぁ、僕たちの前では崩した態度のアリスターだけど、父様たちやセバスの前ではキチンとしているのに。
「獣人の間でのことか? あの子供に何かあるのか?」
白銀がふさんと尻尾を大きく揺らすから、レンの興味が一瞬そちらに移ってしまった。
アリスターはちょっと口を尖らせながら話し始めた、獣人の間に生まれ忌み嫌われる者たちのことを。
「俺たち獣人はさ、獣の特徴があるだろう? この耳や尻尾みたいな。おい、レン。今は尻尾にじゃれるなよ」
テヘヘとかわいく笑って誤魔化すレンの悪戯な両手を僕の腕の中に囲いこんでおこう。
獣人のほとんどは、そのルーツが耳や尻尾の現れるのだが、極まれに他の部位に特徴が出る場合もある。
あの少女の手のように……。
「成りそこない……そう蔑む奴らがいる。あの子はたぶんモグラの獣人だろう。他にも足や皮膚、頭部全部が獣だったり。そういう人たちを同じ獣人が嫌うんだよ」
アリスターはやるせない気持ちを払うように、ガシガシと自分の赤毛を強くかき上げる。
「なりそこない……」
レンの小さな呟きが、酷く苦く耳に響いた。
「あの子はセシリアの研究室の手伝いを主にしているそうです。モンステラ伯爵領地では本当に幼い子だけが孤児院に預けられ、働けそうな子供は伯爵家が経営する農場や牧場に住み込みで雇われるそうです」
別にモンステラ伯爵が幼気な子供を無理に働かしているわけではなく、孤児院は小さな乳飲み子や体の弱い子を優先的に預かっていて、それだけで育てられる子供の限度数を越えてしまうせいなのだ。
そこからあぶれた子は、他の領地ではスラム街、貧民街に放置され、やがて犯罪へと手を染めてしまう。
モンステラ伯爵は、その負の連鎖を断ち切るために自分の農場や牧場で預かり、働きながら読み書き、計算を教えて、成人したら進路を子供自身に選ばせる政策をしている。
そのまま農場や牧場で働きたいのなら住む部屋を貸してやったり、開拓民としてこれからの土地へ派遣させたり。
読み書きなど勉強が好きな子には、文官や商人に紹介してやる。
「つまり、あの子は孤児なんだね?」
「……もしかしたら、親に捨てられたのかもな。あの手と爪を受け入れられなかったのかも」
俺は、そういう子供を何人も知っているんだと言葉を落とすアリスターは、その理不尽さに顔は怒っているが心の中では泣いているようだった。