クラク森へ 1
セバスの婚約者であるセシリアさんは、研究室に設けられた仮眠室のベッドでお休み中です。
うん、白銀と紫紺たちが神獣フェンリルと聖獣レオノワールで、真ん丸小鳥が神獣フェニックスです! て紹介したら顔を引き攣らせて笑っていたけど、白銀と紫紺が挨拶で喋ったらバタンとその場で倒れました。
床に頭を打つ前にセバスが助けていたけど、精神的ショックまではフォローできなかったようです。
「大丈夫です。気を失うこともセシーにとっては、日常茶飯事です」
そんなこと言われてもちっとも安心できないよ? セバスの婚約者さん……本当に大丈夫かな?
「ヒュー、レン。心配するな。本当にいつものことだから」
アルバート様が部屋の主人が居ないのに、ムシャムシャとお菓子を食べてグビグビお茶を飲んでいる態度なのはどうなの?
「うん。ちょっと意外だったかな、セバスの婚約者」
兄様がハハハと乾いた笑いを漏らして、落ち着くためにひと口お茶を飲みました。
「ティーノ兄にとっては運命の女性だよ。ティーノ兄は自分が完璧だから、自分と同じようにしっかりしている女性より、つい世話をやいてしまう生活能力に乏しい人が好きなんだよねぇ」
「あー、ティーノはなぁ。だからハー兄じゃなくてギル兄に仕えているんだもんなぁ」
ぼくと兄様はアルバート様から出てきた父様の名前に、顔を見合わせて目をパチクリとさせました。
「それってどういこうこと?」
「あれ? ヒューは知らないのか?」
アルバート様がひょいと眉を上げて、セバスがセシリアさんの様子を見にこの場に居ない間に、ぼくたちの知らない昔話をしてくれた。
明日の朝からクラク森に行って神獣か聖獣探しの調査です。
あの後、ヒョロヒョロに萎れたセシリアさんに別れを告げて、領都内でトップクラスのお宿に来ました。
ご飯も食べたし、お風呂も入ったし、明日に備えて早く寝ます。
「しろがね、しこん、しんく、おやすみ」
「おやすみなさい」
「おやすみ」
「……」
真紅はぼくより早く寝てしまったみたい。
「にいたま、おやすみなさい」
「レン、おやすみ。よい夢を」
チュッとぼくの額にお休みのキスをしてくる兄様に、フフフと締まりのない笑顔を返して夢の中に行ってきます。
「レン……。疲れてたんだね。あんなに馬車の中でも寝ていたのに、こんなに寝つきがいいんだもの」
「そりゃ、そうだろう。今日はお昼寝もしなかったしな」
僕はレンの頭を二、三度名残惜し気に撫で、アリスターと共に部屋を出た。
各客室の中央にある居間では、アルバート叔父様が仲間たちと既にお酒を飲み始めているが、明日は朝早いのに大丈夫なのだろうか?
「……大丈夫です。ワインをグラス三杯までと言い含めてあります」
「そう」
セバスが僕とアリスターに紅茶を淹れてくれる。
「セバスも座って。みんなで明日のルートをチェックしよう」
僕とアリスターがソファーに座ると、アルバート叔父様は片手にワイングラスを持ったままで、アイビー国の地図をテーブルに広げてくれた。
「おや、白銀様」
セバスの言葉に後ろを向くと、レンが眠る部屋から白銀がスルリと扉を抜け出てきていた。
「俺も混ぜろ。一応、相手は同族だからな。油断して万が一があってはたまらん」
ふんす! と鼻息を荒くして、何故かアルバート叔父様とリンの間に体を捩じりこませる。
「うおおっと」
「あああっ」
もうちょっとで、赤ワインを地図の上にぶちまけるところでしたね、アルバート叔父様。
セバスが無表情のままでワイングラスをアルバート叔父様から取り上げていた。
たし、と地図の上に白銀が前足を載せる。
「で、どこをどう通って行くのだ?」
僕とアリスターも身を乗り出して地図を覗きこんだ。
まだ日も昇りきらないうちに宿を出るぼくたちは、宿の人に用意してもらった朝ご飯と昼ご飯を鞄に入れて、ザックさんとミザリーさんが用意してくれた馬車に乗り込む。
ぼくはまだちゃんと起きれてないから、あっちにフラフラ、こっちにフラフラしちゃう。
「レン、抱っこしてやろうか?」
親切で申し出てくれているのではなくて、ぼくを揶揄うつもりなのはわかってますよ、アルバート様。
「……じょうぶ」
大丈夫、大丈夫。
馬車に乗ったらまた眠れば、クラク森に入る頃にはしゃっきり目が覚めるはずです。
兄様に手を引かれ、白銀にお尻を押されて馬車へと乗り込もうとしたぼくたちに「あ、あの!」と女の子が呼び止めました。
「ん? 誰だ」
ぼくと兄様の前にサッとアルバート様とリンが庇うように立ち、声をかけてきた女の子に厳しい目を向けます。
「あ……あのぅ。えっと……」
「君はセシーのところにいた?」
セバスが馭者席から降りてきて、その女の子の側へ走り寄りました。
ぼくも兄様の背中越しに顔を出して、その女の子を窺い見ます。
顔を真っ赤にして生成りのワンピースの上からしている白いエプロンを両手でギュッと握って緊張している知らない女の子。
エプロンを握る両手には、人族にはない鋭く大きな爪があって、ぼくはビックリしてしまいました。