アイビー国へ 6
モンステラ伯爵様のお屋敷を囲む丘の全てが、伯爵様が経営する農場や牧畜場になっていて、セバスの婚約者が働く研究室は伯爵様のお屋敷の裏手にある、そうです。
ここの畑も農作物の出来がイマイチなのか、畑に出て働いている人たちの姿がチラホラと見える程度で、はっきり言って寂しい風景です。
ギュッと兄様の手を強く握ると、兄様もギュッと握り返してくれました。
「あそこですね」
アリスターが指差す方向に、木造平屋の建物がありました。
「俺、先に行って声をかけてきますね」
タタタッとディディを小脇に抱えたアリスターが走って行く。
「あーあ、セバスが怖い顔しているから、狼のガキが気を遣いやがった」
アルバート様がセバスを揶揄うようにすると、便乗したリンが大げさに息を吐いてみせました。
「ティーノ兄。愛しい愛しい婚約者と久しぶりの対面なんだから、もう少し機嫌よくしてよ」
ピタリとセバスの足が止まると、兄様はぼくを素早く抱っこして避難します。
避難? え? なんで?
でも白銀と紫紺も無言でセバスたちと距離を取るし、ザックとミザリーもススッとその場を離れて行く。
「……おまえらっ」
ひっくい声が出ました! セバスからもの凄く低い声が出ました!
「「ひっ!」」
そして、バキッ、ドゴッと音が聞こえてきますが、ぼくの両目は兄様の手で塞がれてしまったのです!
「にいたま? にいたま、どうなってるの?」
「いいんだよー。レンは見ない見ないだよ」
兄様の声がちょっと震えてるような?
「バカだな、あいつら。セバスに敵うはずがないのがわかっているのに」
「弱っている今ならマウントが取れると勘違いしたんじゃないの?」
「ピピイ」
<ボコボコにやられてるけどな>
なんか、不穏な言葉が白銀たちから聞こえるんだけど? 喧嘩はダメだよ。
「ティーノ!」
んゆ?
アルバート様とリンの命乞いとは別に、女の人の声が聞こえたよ。
「にいたま」
ぼくの目を塞いでいる兄様の手をペチペチ叩きます。
「あ……うん。ほら」
見えるようになったぼくの目には、研究室と思われる建物から出てきた女性が、こちらに大きく手を振って走り寄ってくるのが見えます。
走って、走って、なんか走る速度が遅い気もするけど、走っている女の人が、何もない所で躓いて転びそうになってます!
「あぶにゃい!」
あんなに勢いよく転んだら痛いよーっ。
目を瞑って体を強張らせていると、兄様がポンポンと頭を軽く叩いて「大丈夫だよ」と教えてくれました。
「んゆ?」
そおーっと瞼を開けると、転びそうになった女の人の体を支えるセバスの姿が。
「ほーっ」
無事だったみたい、よかった。
「あ、ご、ごめ、ごめんなさいっティーノ。あ、ああ、きゃあっ。あー、ごめん、ごめんなさいっ」
……、転びそうになったところを助けたセバスに謝って離れようとして、自分のスカートの裾を踏んづけてまたまた転びそうになったから、セバスが腕を捕まえて助けてあげて、それにまた謝って頭を深く下げたら、そのままバランスを崩してセバスに抱き着いて顔を真っ赤にしている、その人がセバスの婚約者さんですか?
「……なんか、想像と違ったね」
兄様の言葉に激しく同意します。
あれれれ?
「ご、ごめんなさいね。恥ずかしい所を見せてしまったわ。改めましてモンステラ伯爵様の農場で土壌研究をしています、セシリアと申します」
セバスの婚約者、セシリアさんはセバスが淹れたお茶を前にぼくたちに挨拶をしてくれました。
この研究室に戻る前に何回も転びそうになったし、この研究室の中も雑然として……うん、お茶の場所もわからない有様だったけど、セバスがテキパキとリンをこき使いながらお茶を用意してくれました。
「相変わらずだね、セシー。一人で隣国に行って仕事しているから、もう少ししっかりしていると思ったけど」
ズズーッとセバスが淹れたお茶をスンッとした顔で飲むアルバート様。
「お、お恥ずかしい。い、いつも、もう少しマトモなのですっ! ただ、その急にティーノが来たので、そのっ、えっと」
セシリアさんは壊れた玩具のように左を見て右を見て、顔を赤く染めながら言い訳をしていますが、ぼくはもうわかっています。
この人は、ドジっ子タイプです!
「えーっ、でもセシー。ティーノ兄が今日来るのは前からわかっていたでしょ? ちゃんと知らせも送ったし伯爵様からお話もあったでしょ?」
リンが冷静にセシリアさんにツッコミます。
「ええっ、えっと、はい。教えてもらってました。でもでも、あのぅ今日のことだと思っていなかったというか、忘れていた、いえいえ、違います! えーっと、勘違いしていた? ううん?」
セシリアさんは顔を動かすだけでは足りなくなったのか、激しく手を上下左右に振り回し始めました。
そんなに暴れると危ないですよ?
「だからっ、そのですね。えっと、あ、あ、きゃあ!」
ガチャンと振り回した手がカップに当たり……そうになったけど、セバスがひょいとカップを避けました!
「セバス! すっごい!」
ぼくは思わずパチパチと拍手したけど、セシリアさんは真っ赤の顔をさらに赤く染めて俯いてしまいました。
「セシー。落ち着いてお茶を飲んで。ほら、このお菓子も美味しいから食べなさい」
「……はい。ありがとう、ティーノ」
セシリアさんは、両手でカップを持って慎重に一口、お茶を口に運びました。
「ところで、こちらのお子様たちはどなたですか?」
あ、ぼくたち自己紹介するのをすっかり忘れてました。
でも、白銀たちのこと正直に話して大丈夫かな? 神獣と聖獣ですって紹介してセシリアさんパニックにならない?
ちょっと、ぼくは心配です。