アイビー国へ 2
ガラガラといつも乗る馬車より大きな音を立てて、ぼくたちが乗った箱馬車は進みます。
ガタンゴトンといつもより大きく揺れてます。
「おっとと」
長く馬車に乗っているとお尻が痛くなるのですが、今日は体が右にコロリ、左にコロリン。
「大丈夫? 僕の膝に座ったら?」
コロコロと転がるぼくの体を支えてくれる兄様が何度も膝抱っこしようとするけど、ご遠慮申し上げます!
だって、ぼくもこの世界に来てそろそろ二年が経とうとしているのです。
ちょっと、母様に甘えていた最近のことは置いておいて、ぼくも成長しているはず。
大人に近づいているはずなのです!
ふんす! ふんす!
シエル様に創られたぼくの体はおよそ三歳位だったから、ぼくはもうすぐ五歳になる。
かわいい妹のリカちゃんもいるし、ぼくはお兄ちゃんとして自立するのです!
「まだ、早いよ?」
兄様がぼくの主張に待ったをかけるけど、ダメ!
「ううん。ぼく、もっとおおきくなってつよくなって、おとなになりゅの!」
「ピーイピイピイ」
<大人になるなら、まず上手に喋れ。赤ちゃん言葉じゃ大人なんて無理ムーリ>
「うっ」
真紅の的を射た指摘に胸がズキッと痛くなっちゃった。
その真紅は目を吊り上げて怒る白銀と紫紺にぎゅむと踏まれている。
「にいたま……」
「レン。まだ上手にお喋りできなくてもいいんだよ。少しずつ大きくなろうね?」
よしよしと兄様が頭を撫でて慰めてくれるけど、ぼくも真紅に指摘されなくても薄々感じていはいた。
ぼくって、成長止まってないかな? って。
この世界に来てから、身長があんまり伸びてないし、歩くときはよちよちしているし、舌ったらずの喋り方も直らないし。
シエル様、ぼくの体を創るときに失敗してないよね? 大丈夫だよね?
はわわわ。
「ぼく……おとなになれないかも……」
なんだか、悲しくて兄様の膝によじ登ってぎゅっとお腹のあたりに抱き着いて顔を兄様にぐりぐりと押し付けた。
「ふふふ。レンはいっぱい僕らに甘えてゆっくりと大人になればいいよ」
兄様がなんだか嬉しそうに笑っているけど、ぼくにとっては大問題です。
……今度教会に行ったらシエル様に問い質すことに決めました!
とにかく背はもっと伸びたいです。
ブループールの街の外壁門を出て、お祖父様たちが住むアースホープ領と沿うように馬車を走らせるとダイアナさんとの待ち合わせ場所の森が見えてきます。
アースホープ領に立ち寄ってお祖父様たちと会いたかったけど、我慢です。
アイビー国へのご用事が早く終わったら、帰りには立ち寄れるかもしれないと兄様が言っていたので、帰りに期待してます。
「あの森には、あまりいい思い出はないんだけどね」
兄様が鼻の辺りをくしゃと嫌そうに歪めました。
今から向かう森は、アリスターたちと出会うきっかけになった事件の現場だからかな?
道化師の恰好をした悪い奴とその仲間が、瘴気を放つ魔道具の笛を使って、魔力の多い子供を誘拐した事件。
アリスターの妹のキャロルちゃんは魔力も多いし、その歌声が不思議と魔道具の効果を倍増させることで、悪い奴らに操られていたんだよね。
妹を人質に取られたアリスターは、その悪い奴らの言いなりだった。
ぼく……はあんまり活躍できなかったけど、兄様と白銀と紫紺の活躍で悪い奴らから子供たちを助け出すことができたんだ。
その縁もあって、アリスターとキャロルちゃんはブルーベル辺境伯領に来て、ぼくたちと一緒に楽しく過ごすことができている。
ただ、その事件の主犯でもある道化師には逃げられちゃったんだけど。
兄様でさえ嫌な思い出の森なら、アリスターにとってはもっと嫌な思い出だろうから、大丈夫かな?
ぼくは、自分の乗る箱馬車の馭者席にセバスと一緒に座っているアリスターの気持ちを慮った。
森が近づいて、木々が増えてきた場所の辺りでゆるゆると馬車の速度が遅くなり、ガッタンと大きく揺れて停まった。
「ヒューバート様。着きましたよ」
セバスが馭者席から降りて馬車の扉を恭しく開けてくれる。
「ダイアナはいる?」
「……ええ」
ひょことぼくも扉から外へと顔を出してみると、アルバート様たちと話しているダイアナさんの姿が見えた。
「ウィルさま、いない」
キョロキョロと見回してもウィル殿下の姿が見えないから、お留守番かな?
「ヒュー」
兄様に気づいたダイアナさんがいい笑顔で近寄ってきた。
兄様の目が鋭く眇められる。
「あら、怖い顔。嫌ね、もっとかわいい顔を見せてほしいわ」
ダイアナさんはそんな兄様の態度も面白そうに笑って楽しんでいるみたいだ。
「図々しい女ね」
「強心臓だな。あれ? 精霊って心臓あるのか?」
白銀と紫紺が馬車に乗ったままぼくの後ろでヒソヒソと言葉を交わしている。
「レン。すぐに転移するからそのまま馬車に乗っていろよ」
馭者席から降りたアリスターが声をかけてきたけど、いつもと変わらない様子だね?
「アリスター?」
「ん? どうした? またケツが痛くなって泣きべそでもかいたか?」
ニヤニヤと笑ってぼくをからかうアリスターは、この森の不快な思い出などどうでもいいことのようだ。
「ううん。ちょっと眠い」
「そうか。転移してしばらく走ったら宿に着くからな。寝ててもいいぞ」
コクリとぼくは頷いた。
ダイアナさんがぼくたちを馬車ごとアイビー国の国境門近くまで転移させたら、目的地まですぐだ。
目立たないように、ぼくたちは入出国する人が多い正門ではなく、冒険者たちや地元の人が行商などで利用する通用門を通って国境を越えるつもりだ。
そのために、ぼくと兄様は商人の子供の恰好で、セバスはその使用人、アリスターたちが護衛の冒険者の恰好をしているのだから。
「さあ、転移するよ。アリスターも馬車の中にいるか?」
「いいや。俺はセバスさんと一緒に馭者席に戻るよ」
「ああ。頼んだ」
おうっと軽く手を挙げてアリスターは軽快な足取りで馭者席へと戻って行った。
「にいたま」
ぼくは再び兄様に膝だっこをされてトントンと背中を優しく叩かれている……うーん、眠い。
「レン。寝ててもいいよ。転移したらすぐだから。おやすみ」
「あい。……しゅみなさい」
アイビー国に入国する際、熟睡していたことを後悔することになるとも知らずに、ぼくは優しい眠りの世界へと誘われたのだった。