事件発生 5
僕の名前は、ヒューバート・ブルーベル。
ブルーベル辺境伯領騎士団の団長を父に持つ12歳の男子。
父譲りの金髪と碧眼。剣の腕も父譲りで僕はそれが誇らしかった。
玩具の剣は3歳の頃から振り回し、5歳には騎士団の練習に混ぜてもらったりしていた。
将来の夢は、従兄でもある次代の辺境伯に仕える騎士になること。
それは、確実に訪れる未来だったはずだった。
4年前に馬車の事故で足を怪我するまでは……。
両親も叔父も祖父母も、僕の足を治そうと伝手を頼って、いろいろな治癒士の元に連れて行ってくれた。
とうとう、国王陛下まで動かして大神官の治癒魔法まで。
それでも、治らなかった僕の足。
騎士になれない。
それだけでも僕の心を打ちのめしたのに……。
僕のせいで母様まで悪く言われた。もともと父様と母様の結婚は、辺境伯分家から反対されていたんだ。
ただ…母様が戦えないって理由だけで。
だから、僕が立派な騎士になって、いずれは父様のように騎士団の団長になって、父様と母様の結婚は失敗じゃないって証明したかった。
でも…この動かない足じゃ……ダメだ。
従兄は「将来、自分の右腕となって働けばいい」と励ましてくれた。
僕も文官として、ブルーベル辺境伯領を支えて行こうと思った。
それでも……。
父様が小さい男の子を家に連れてきたとき、僕は複雑な気持ちだった。
前もって伝令の騎士が「落ち着いたらすぐに辺境伯家に引き取ってもらう」と説明していたけど、「養子として迎えるわけじゃない」って言ってくれたけど、やっぱり不安になった。
連れてこられたレンは随分小さい子で、艶のある黒髪に大きな黒い瞳のかわいい男の子だった。
ふくふくとした手足も愛らしい子で、僕たちを少し怯えた目で見るのが哀れにも思えた。
危険な森に捨てられた子で、神獣と聖獣に愛された子。
とっても小さな……守ってあげなきゃいけない子。
僕は一目見て、レンが大好きになった。
兄として守ってあげよう。
この子なら全てを譲ってもいいかもしれない。
そう思えるほどに、レンはかわいい良い子で、僕たち家族に暖かな温もりを運んできてくれたから。
だから……、レンのためならいいんだ。
レンなら僕がいなくなった後も、父様と母様を僕の代わりに愛してくれるし、神獣フェンリルと聖獣レオノワールが一緒だし。
だから、僕のどうしようもない命を使うならここだと思う。
レンを守るために。
弟のために。
僕はこの命を捧げるよ。
だから、お願い。僕の大好きな人たちを、僕が守るはずだったブルーベル辺境伯領を……託していいかな?
レン……。
僕の弟。大好きだよ。
泣かないで……。
みすぼらしい小屋の中で、大きな銀色の狼と小さな子供がひとつの命を留めようと声を上げている。
紫紺は、ペロッと爪に着いた悪党の血を舐めながら、悠然と小屋の中に入って、同朋と愛し子の様子に首を傾げた。
「どうしたの?レン?」
「紫紺。ヒューが……」
白銀が情けない顔で振り向くのを、怪訝な顔で見やり、床に寝たままのヒューバートを二人の間から覗き込む。
「え?ど、どうしたのよっ。ヒューのこの怪我!」
「すまん。ちょっと……遅かったみたいだ」
ヒューバートは俯せに床に倒れたまま動かない。
かなり強い力でレンが揺すぶり、「にいたま」と呼びかけるが、ピクリとも動かない。
それなのに、背中の傷からはトクントクンと赤い命が零れ続けけている。
「まずい、まずいわよっ。アタシたちは治癒魔法使えないし……。生きた奴なんて、もういないし。街まで戻るまでヒューが持つかどうか・・・」
「ああーっ!どうしよう、どうしよう。どうすれば、いいんだー!」
狭い小屋の中で、ウロウロと二人は右往左往し始める。
「ぐすっ、にい、たま。にいたま、おきて。おきて。ふえっ」
ゆさゆさ。ゆさゆさ。
ぼくの背中から離れる一瞬、目を開けた兄様が、ふわっと柔らかく微笑んだ。
そして、その目はもう開かない。
ぼくを見てはくれない。
白銀も紫紺も助けられないって……。
ぼく、どうしたらいいの?
次々に胸に熱いものがこみ上げてきて、しゃくり上げるけど、止まらなくて。
兄様を呼んでも答えてくれなくて。
ぐすぐす。
『あっ、いずみにいけば、ひゅー、なおる、かも?』
パタパタと兄様の周りを飛んでいたチルが、突然ひらめいたと手に拳をポンッと打った。
「いじゅみ?」
『ああ。おれたち、ちゆ、つかえないけど。おうさまなら、できる!』
チルの存在に今、気が付いた白銀と紫紺は「王様?」と顔を嫌そうに顰める。
「その王様って……精霊王のこと?」
『レン、いずみに、いくぞ!はやく、はやく。ひゅーが、しんじゃうぞ』
「やー!いく!いじゅみ、いく。しろがね!しこん!」
ぼくとチルが真剣な顔でふたりを見ると、紫紺が諦めたようにため息を吐いて、前足をチョチョイと動かす。
風が徐々に集まって兄様の体を浮かすと、ふよふよと白銀の背に乗せる。
その体が落ちないように、兄様の手足を縛っていた縄でぐるぐると巻き付ける。
「きつく巻けば、止血にもなるでしょ。行くわよ、白銀」
「ぐぇっ!は……腹が苦しい」
ゲシッとお尻を紫紺に叩かれて、白銀はヨロヨロと小屋から外に出る。
「レンはアタシが運ぶわ」
カプッと後ろの襟首を噛まれて、ぷらんとぶら下がって運ばれる、ぼく。
『じゃあ、あんない、するぜ』
チルが白銀の頭の上に乗って、両手に白銀の毛を掴んでハンドルのように指示を出すつもりだ。
「……。はーっ、ヒューのためだ、しょうがない。おい、チビ。どっちに行くんだ?」
『まっすぐだ!』
すっかり日も沈み暗闇に包まれた木々の間を示すチル。
白銀と紫紺は、ダッとその闇に向かって駆けだした。