瑠璃の場合 ~聖獣リヴァイアサン~ 2
どれぐらいの時が経ったのだろう。
子供が成長し大人となり、将来の自分への期待と周り大人への反骨心が育つ頃、あの三人は揃って滅多に儂の寝床に訪れることはなくなった。
ただ一人、キースだけは正式な王家からの使者として、度々王からの親書を儂のところまで届けにきていたが。
「聞いてくださいよ、聖獣様。クリフォードの奴、また単独で魔獣討伐に出かけたんです。まだ騎士団に入りたての新人のくせに」
今日もキースはプリプリと怒っているな。
「しかも、ペネロピまで一緒になって騎士団から脱走したんですよ! あんな態度で騎士団の団長になれると思ってんですかね!」
ビタンビタンとヒレを岩に叩きつけるでないわ、怪我するぞ?
キースはまだ少年っぽさが残る丸い頬を膨らませていた。
「そのうち落ち着くであろう。力がある若い者にはよくあることだ」
力試しのつもりなのであろう。
「それに、お主も悪いのだぞ? クリフォードの誘いを断って文官になるから」
「そ、それは……。俺はクリフォードを支えるのに必要な道を選んだんです。ペネロピが魔法兵として騎士団に入ると言うし……」
キースは、儂の指摘にしどろもどろに弁解を始めた。
「しかし、ペネロピよりお主のほうが魔法を行使するのが上手いし、槍術だって剣術だってクリフォードよりお主のほうが……」
「いいんですっ! 俺は好きで文官の道を選んだんですから。クリフォードが騎士団団長になれば書類処理で補佐も必要ですし」
キースの満面な笑顔を見て、儂は一つ大きく息を吐いた。
「それがお主の選んだ道なら儂は何も言わんが、ちゃんとクリフォードと話し合ったのか? 奴はお主が力を隠しているのも気づいておるぞ。そして、それを不満に思っておる」
「それは……」
キースの父親は王を守る近衛兵だった。
王を守るため、身を挺して庇いその命を失った。
その父親に報いるため王は幼かったキースを引き取り、自分の息子の従者とした。
キースには母親がおらず、父一人子一人の家族だったから、王の取り計らいに随分と恩義を感じているようだった。
「ふむ。一度ちゃんと話をしておけ。子供のときと違って大人になれば小さなすれ違いが大きな溝となる場合がある」
「……はい」
キースは、王への返事を受け取るとフヨフヨと力なく泳いで去っていた。
儂もやれやれと人化をとき、本来の姿で微睡ろうとしたとき、懐かしい神気を背後に感じた。
「おおっ! 久しいな」
「……リヴァイアサン。お前もどこぞの種族に肩入れをしているのか?」
神界で一緒だった神獣がぐわっと厳しい顔で儂に迫ってきた。
「なんの話だ? あの人魚族のことを言っているなら多少の庇護は与えているが、弱小種族の保護の意味でしかないぞ?」
弱いからと強い種族のやりたい放題にさせていたら、種族が次々と絶滅してしまう。
「海」を守護するよう命じられたらからには、「海」に生息する生態系も守らなければ。
「あ……そういうことか。すまなかった。あまりにも地上にいる仲間たちが目に余る行動を取っているのでな……」
久しぶりに会った神獣は力なくその場にドサッと座り込むと、くたっと四肢を投げ出した。
「いったい、あやつらは何をしているのだ?」
「それが……」
馬鹿なのか?
創造神が命じたのはその土地の「守護」であって、その地に住まう種族の守護ではないわっ。
しかも、その種族の一人と契約までして、地上の覇権争いに参加する勢いだと?
「だから、エンシェントドラゴンとリヴァイアサンは絶対に守護する地から動かないでくれ。ただでさえ地上はこれから争いが起きる」
「わかった。しかし、あやつらはどうするのか? 創造神に神界に連れ帰ってもらうか?」
「……。そうしたいが、創造神はあいつらを消滅させてしまうかもしれない」
確かに、神使たちは「失敗作」「出来損ない」と罵倒していたからな……その可能性は捨てきれない。
「俺は、仲間を失いたくない。だから説得して、なんとか争いへの参加を止めようと思っている」
「そうか。手伝いたいが……儂たちにはここを動くなと?」
「ああ。さすがにエンシェントドラゴンとリヴァイアサンまでもが動いたら、箱庭はお終いだから」
ハハハと乾いた笑いをして、神獣はグイッと体を伸ばし、海上へと昇っていく。
なんとも、面倒なことになったものよ。
「聖獣様。俺は地上へ行きます」
キースが儂を訪ねて急に不穏なことを宣った。
「どうしたのだ? 今、地上は戦乱の中。人魚国でも地上に行くことを禁止にしたと王から先の親書にあったと思うが」
「はい……。でも、クリフォードとペネロピが騎士団一隊を率いて地上へと行きました。地上にも人魚国の領地を広げてくると言って」
キースの顔は苦虫を百匹以上噛み潰したような顔だ。
「愚かな……」
「はい。俺はクリフォードを連れ戻しに行きます」
「王の命令か?」
キースはブルブルと勢いよく頭を左右に振った。
「いいえ。陛下からは捨ておけと言われました。でも、クリフォードは俺が守るべき主君なので!」
「父と同じ道をゆくか……」
キースは儂の言葉に誇らし気に微笑んでみせた。
「では、これを持っていけ」
儂は自分の剥がれた鱗の欠片を一枚、キースの手に乗せてやる。
「?」
「儂の魔力があるのでな。護身具の代わりにはなるじゃろう」
「ありがとうございます! あのぅ……もう二枚ください」
クリフォードとペネロピの分だろうと判断した儂は、欠片をもう二枚キースの手の中に与えてやった。
「では、行ってまいります! クリフォードとペネロピを絶対に連れ帰ってきます」
それが、キースの姿を見た最後だった。
儂は眠っていた眼を片目だけ開けた。
そこに立っていたのは、久しぶりに見るクリフォードとペネロピの二人だった。
満身創痍な姿に、儂は胸に痛みと怒りを感じたのを覚えている。
クリフォードは右目から左頬にかけて斜めに刀傷があり、右目は見えていないだろうし、利き腕の右腕は肩からなかった。
可愛らしい少女だったペネロピは顔にこそ傷は見えなかったが、体のあちこちに傷が残り、キラキラと光っていた水色のヒレはズタボロだ。
人型になったときには、左足の膝から下はないそうだ。
その体の傷や喪失よりも、二人の心は傷つき虚無の穴が空いていた。
「キースは死にました」
「そうか」
「お……俺たちを庇って死にました」
「そうか。……クリフォードよ、地上に行き何を得た?」
「ぐぅっ……。何も……何もです! 俺に着いてきた一隊は全滅し愛するペネロピも癒せぬ傷を負いました。そして……俺の半身は、俺を守り……笑顔で散っていきました!」
クリフォードはその場に泣き崩れた。
地上の馬鹿どもが海へと攻めこまないように、儂は強い魔獣のブラックシャークを地上に近い海域に配置させた。
人魚国が攻め込まれないように、強い魔獣に守らせたのだ。
人魚王も精鋭を連れ各地の集落や魚の狩場を見て回り、武器を作らせ子供にまでその武器を握らせ訓練を行った。
「海」を守るため、自国の民を守るため、それぞれが自分のできることをやり尽くしたのだ。
「なのに貴様は……。王子として生まれ民を守るどころか、守られて無様に帰ってきただけかっ!」
儂の一喝が流れを起こし渦を巻き、大波となって地上へと押し寄せるだろう。
「キースのっ、キースの分も俺は生きなければなりませんっ! あいつが俺に望んだ生き方をっ! たとえ恥辱に塗れても俺はあいつとの約束をもう、破りたくはないのですっ」
体全体で叫んだクリフォードの思いは、その場に居た生物が一斉に逃げ出すほどの気迫が込められていた。
「お許しください。あたしも一緒に罰を受けます。だからクリフォードをお許しください!」
ペネロピもクリフォードの隣に伏せ、儂に涙で汚れた顔を向ける。
「……儂が許すことではない。キースの命も背負うならば、人魚国に尽くせ」
儂は二人に背を向けた。
その後、人魚国に戻った二人は献身的に国に尽くした。
騎士としては戦えぬクリフォードは、一から勉強をやり直し、やがて兄王を支える知力の王弟と名を馳せるようにまで成長する。
王弟の妻なったペネロピは、豊富な魔力に驕ることなく、地上で培ってきた薬草の知識を活かし医療を伝えていった。
その後、臣籍降下した二人はベリーズ侯爵の地位についた。
二人の首には、聖獣リヴァイアサンの鱗の欠片のペンダントがあったという。
シャリンと儂は自分の右手首を飾る細い金属紐のブレスレットをいじる。
クリフォードが渡したこれは、キースが儂への贈り物として地上で買った土産だそうだ。
小さな石が幾つもあしらわれたブレスレットは、キースが「聖獣様の色だ」と眼を輝かして買い求めたものだという。
「そうでしたか。ベリーズ侯爵は代々宰相位に就く者が多いのですが、元々は冒険好きな好奇心旺盛な一族だったのですね」
「ふふふ。そうだな。ブランドンは先祖返りなのかもしれんな」
ベリーズ侯爵は情けなく眉尻を下げて、冷茶を一口飲んだ。
「ああーっ、では、もしかしてブランドンが地上に探し求めていった人魚族の遺跡とは……もしかして……」
「うむ。時代的にクリフォードたちが残した何かかもしれんな」
なんて、迷惑なご先祖なんだ……と愚痴るベリーズ侯爵に笑いが零れる。
「さて、儂は帰るぞ。定期的にプリシラのことは精霊から連絡がそっちに入ることになろだろう。何かあればよろしくな」
「もちろんです」
ベリーズ侯爵に見送られ人魚国を辞し、本来の姿に戻って悠々と海を泳ぐ。
戻るのは、あのときから変わらない儂の寝床だ。
今宵は、レンたちの夢ではなく、懐かしいあのときの夢を見る気がするな。
懐かしく悲しい、そして愛おしい三人の子らと過ごしたあの頃の夢を。