紫紺の場合 ~聖獣レオノワールの場合~ 1
目が覚めた途端に眉を顰めたわよ、アタシ。
だってとっても、うるさかったの。
アタシより先に創られていた神獣同士の仲の悪さが原因で神界は喧嘩三昧の毎日らしく、創造神の泣き声と神使たちの怒声で溢れていた。
アタシは聖獣として三番目に創られたのよ。
その頃には、さすがの創造神も慣れてきたのか、アタシは聖獣としての能力はもちろん、理性もバッチリだったわ。
アタシの後に創られた聖獣リヴァイアサンと呆れた顔で同朋の馬鹿騒ぎを見ていたわよ。
え? 参戦なんかしないわ。
血の気の多い馬鹿とやり合って、この美しい肢体に傷ができたら困るもの。
ある神獣が喧嘩の仲裁役だったけど、彼はいつも傷だらけだったわ。
そんな品行方正な聖獣だったアタシに、創造神ったら「出て行け」って言うのよ?
「ち、違うよっ。君には、ここ! ここに行ってもらいたいの!」
創造神が焦って説明するには、元々アタシたち神獣聖獣は、この箱庭の調和のために八方向を守護する役目を担うんですって。
最初に創られた神獣エンシェントドラゴンは峻厳な山の頂を、最後に創られた聖獣リヴァイアサンは広大な海を守護する。
アタシが守護する地は、最初は砂地よ、砂地。
生命の欠片も無さそうな不毛な地、砂漠地帯。
「うげーっ、ハズレだわ」
乾いた風とサラサラと形を変える流砂、照りつける太陽と凍える闇夜。
想像しただけでうんざりしてしまう。
嫌々ながらも下界に行こうとしたアタシは、ある仲間から信じられない提案をされるの。
曰く、守護する地を交換しないか? って。
「いいの?」
「シエル様の了承は得た」
アタシは湧きあがる嬉しさを悟られないように冷静に承諾の返事をしたけど、尻尾はユラユラ揺れていたかもしれないわ。
アタシの守護する場所は砂漠の地から広くて深い森となったのよ。
深い森の奥の奥。
背の高い木々に囲まれた森に、ところどころ差しこむ暖かな陽の明かり。
清らかな気に包まれ、時々見つける花の可憐さや果実の芳しい香りにうっとりとする。
静かで落ち着いたアタシの守護する地。
「……ちょっと静かすぎるけど」
ここまで森の奥だと生育している魔獣は強いし、毒草も生えたりしているけど、聖獣レオノワールであるアタシには問題はない。
ただ、一人ぼっちなので、アタシの趣味に付き合ってくれる者がいないだけ。
「あの子……元気にしているかしら」
同じ聖獣仲間はどこの地を守護しているんだったけ? ふらっと遊びに行ってもいいのかしら?
「ふうっ」
アタシは今日も退屈と戦っていたの。
そんな日が、いや年単位かしら? ここにきてどれぐらいの時が流れたのかしら?
とにかく、いつもと同じと思って森を散歩していたアタシの目に飛び込んできたもの。
「あら、これなあに?」
ご自慢の魔力操作で器用に闇魔法の触手で摘まみ上げた小さい物? モノ? あれ、これってば人かしら?
触手にぐるりと胴回りを絞められているのに、小さな手足をバタバタと動かしている、アタシの足の高さにも届かない小さな生き物。
「あらあら、これ……小人?」
その小さなモノを闇の触手で目の高さにまで掲げて、珍し気にマジマジと観察する。
「ひっ」
心外だわ。
まるで恐ろしいモノと遭遇したような態度で、ぴるぴると震えて首を竦ませてしまった。
「なによ。食べないわよ、アタシ」
これでも聖獣なんだから、この地の守護者なんだから、そんな魔獣と同じ対応しないでちょうだい。
そろそろと瞑っていた眼を開けて、とっても小さな声でそれは呟いた。
「しゃ……喋った」
「それはこっちのセリフよ。アンタみたいな弱いのがなんでこんな森の奥にまで来たのかしら?」
見つけてしまったのならしょうがない。
どこかの魔獣に食い散らかされるのも後味が悪いから、アタシがアンタの集落まで送って行くわよ?
「ぼ、ぼくたちの集落はすぐそこです」
「嘘おっしゃい」
ここがどこだと思ってんのよ?
アタシの棲家だったら、たとえ伝説級の高ランク魔獣だとしても足を踏み入れることはないでしょうけど、ここはアタシの縄張りからは少し外れているのよ?
「ほ、本当です。ぼくたちの村は結界が張ってあるので」
わたわたと焦りながら弁明する小人の話に、アタシはますます首を傾げてしまった。
お世辞にも力があるとは思えない小人に、魔獣を弾く結界なんて張れるのかしら?
「そう。でも心配だからアンタを家まで送っていくわ」
「ええーっ!」
アタシってば優しい聖獣だから! 決して暇潰しではないのよ。
ルンルンと軽い足取りで小人の道案内どおりに進む。
さすがに触手でグルグル巻きにしていると心象が悪くなるので、ちょこんとアタシの首のところに座らせたわ。
しばらく進むと確かに体に纏わりつくような感触を感じてふと立ち止まる。
「だ、大丈夫ですか?」
「ええ。アタシには効かないわ」
ふむ、これは小人族が張った結界ではないようね。
力の感触がどちらかというと魔獣に近く、それも竜と同等の強さの者の力の残滓を感じる。
アタシは興味深く辺りの匂いをフンフンと嗅いだあと、その結界をすり抜けた。
「わわわっ! 本当に結界を抜けちゃった。ど、どうしよう」
小人の一人言が聞こえてきたけど、無視するわ。
アンタ、アタシが結界に止められて村まで同行できないと思ってたんでしょ?
ふふーん、聖獣レオノワール様を舐めないでね!
森の一角に張られた結界を抜けてしばらく移動すると、アタシの目の前には可愛らしい木の上のおウチと花々に囲まれた小人の集落が広がる。
「わああっ。かわいいっ」
思わずピンと尻尾も立ってしまうわ!
そう、そうそう。
こういうのが見たかったのよ! アタシの心が可愛いで満たされていくわ。
「あ……あのぅ」
首の辺りに座っていた小人が恐る恐るアタシに声をかけてきたけど、アタシは興奮していてそれどころではないの。
木の上に作られたおウチのサイズ感も可愛いけど、草花の汁で色を付けたのかしら? 屋根や扉は赤や黄色に塗られていてカラフルだった。
木の幹に刻まれた窪みは階段の代わりかしら? 腐敗防止の薬剤とは別に草花の汁で色が付けられていたわ。
アタシの姿に驚いてピタリとその場に止まっている小人たちの着ている服も刺繍が施されいて、とっても素敵。
あら、小人が持っている器は木の実の殻かしら? ただ半分に割っているだけじゃなくて模様が彫られているわ。
そして、あちこちの木の枝から垂らされているのは、色々な色で染められた紐? 蔦かしら?
「素敵だわ」
アタシは、綺麗ものや可愛いものが大好きなのっ。
ここまで同行した小人は、アタシの毛に必死に掴まりながらズルズルと自力で下まで降りていた。
「あ、あのっ、ここまで送ってくださってありがとうございます!」
ペコリと頭を深々と下げて、ガバッと勢いよく顔を上げる小人。
「ふふん。アタシはここが気に入ったわ。しばらくお世話になるわね」
バチコンとウィンクをしてあげたら、小人ったらぴるぴる震えて泣き出したのよ。
そんなに嬉しかったのかしら?
その後、時間が止まっていたようだった小人たちが一斉に騒ぎ出して、アタシは長老とやらと話をすることになった。
「……聖獣様ですか? 神様からここの地の守護を任されたと?」
「ええ。聖獣レオノワールよ。この森一帯がアタシの守護地なの。この集落が気に入ったからしばらく逗留したいのだけど」
にこやかにそう告げると、長老とその補佐たちは顔を寄せあってコソコソと話し合う。
そして、頭を下げて……土下座しているわね?
「も、申し訳ありません。森でリンジーを助けていただいたのには感謝しますが……。そのう、この村で聖獣様を……歓待するには……そのぅ」
顔色が土気色に変化していく長老の回りくどい話を要約すると、アタシの世話をすることが難しいとのことで帰ってほしいらしい。
嫌よ、アタシはここで綺麗と可愛いを堪能していくんだから!
「つまり、寝床と食料の問題が片付けば、ここにいていいのよね!」
ギンッと眼力MAXで念を入れたら、長老たちはコクコクと壊れた玩具のように首を縦に動かした。
ふふふ、言質は取ったわ。
「なら大丈夫。寝床はそこらへんで充分だし、食料は自分で捕れるわ。なんだったらアンタたちの分も捕ってくるわよ」
こうして、アタシは暇つぶしじゃなかった、趣味を堪能……でもなくて、小さくて弱い種族を守護する役目を全うするために小人の集落に居を移して楽しい生活を始めたの。
「なんで、僕がお世話係に……」
「よろしくね、リンジー」
アタシをここまで案内してきた小人のリンジーと一緒にね!