真紅の場合 ~神獣フェニックス~ 2
出会ったときはまだ子供だったリオとレオが、鬼人族として初陣に出て数年。
俺様はセルマに挙動不審を笑われ、長たちと昔話に興じ、寂しい夜にはセルマの子守歌を聞いて眠った。
結果、リオとレオは無事に帰ってきた。
その日の宴には、二人は自分の武勇伝を興奮して何度も何度も村のチビたちに話して聞かせていた。
「なんだい。リオとレオが帰ってきたのに、浮かない顔だね?」
セルマが渡してくれた皿には、こんもりと兎の肉が盛られている。
<うん。リオとレオと一緒に行った奴ら……全員で戻って来なかった>
リオとレオを引率するように出て行った鬼人族のうち、戻って来ないかったのはたぶん二人。
俺様と特に親しかったわけじやないけど、同じ村で過ごしていれば言葉は交わすし、酒も飲み交わす。
「そんなことかい?」
セルマのあっさりとした態度に、俺様は眉間をギュッと寄せてみせた。
「そんな怖い顔をすんじゃないよ。アタシたちは戦闘種族だよ? 村に帰れないことだってあるさ。それでも戦うことを止めれない業の深い種族なのさ」
セルマは俺様の頭を乱暴に撫でると、持っていた徳利から直接グビグビと酒を飲む。
<……悲しくないのか?>
俺様にだって悲しいなんて気持ちはわからない。
でも、創造神が創った俺様の中に、大切な人が死んだら悲しいという知識がある。
「そうだね。でも……アタシだったら、こうして戻ってきた奴らを囲んで酒を飲んで大騒ぎしてほしい。鬼人族に湿っぽいのは似合わないんだよ」
ニカッと笑うセルマの顔が、焚火の灯りに照らされてオレンジ色に染まる。
<そうか、お前たちはそうなんだな>
なら、俺様もそうしてやろう。
悲しむよりも、生還してきた奴らと喜び笑い、生きていることを実感する。
そして、またお前たちは戦いの場へと旅立つのだろう。
「次はアタシも行くよ」
<セルマ>
「子供も大きくなったし、アタシもまだまだ戦えるからね!」
戦うことで生きていることを、帰ってくる場所があることに喜びを、戦闘種族の鬼人族はそうやって存在してきたんだ。
<なら、俺様のお守りをくれてやろう>
それから俺様は戦いに赴く奴らに羽を一本ずつ渡してやることにした。
「アンタ……ハゲないかい?」
セルマの失礼な言葉に、頬をプックリと膨らましながら。
鬼人族の村で過ごして幾年過ぎただろう。
リオとレオはあれから戦いに何度も参加し、とうとう嫁まで連れて来た。
今の俺様の仕事は、奴らの子供の面倒をみることだ。
あれ? 俺様神獣だったよね? チビの面倒をみるために人化までしているんだけど?
セルマも何度も村を離れ、その度に笑顔で村に帰ってきた。
背中に大きい斧を背負って。
だから、戦いに行っても俺様の大切なモノは欠けることがないと過信していたんだ。
俺様の羽を持つ鬼人族は赤い羽根の軍団と恐れられていて、全員無傷で戻ってきたから……。
<ぐっ。ぅあああああああっ!>
なんだ? なんだ? この灼きつくような痛みと、四肢をもがれるほどの喪失感は!
「どうしたんだい?」
<セ……セルマッ>
どうしよう……これは、俺様の守りが断ち切られたことを意味する。
鬼人族が……俺様の大切なモノが……奪い取られた。
ぐったりと体を横たえた俺様の側で、長を中心に鬼人族が潜めた声でやりとりをしている。
先日、依頼のあった国で何かが起きたんじゃないのかと……。
そうして、仲間の安否と依頼を寄こした国の情勢を探るために、鬼人族の何人かが旅立つことになった。
その中にリオとレオがいた。
「神鳥様。俺たちの子供のことよろしく頼みます」
「鳥様。よろしくな! 俺たちのときみたいに木の実をなんでも食わすなよ」
<リオ。レオ>
鬼人族でも若く強い、そして判断力のある者たちが選ばれた。
屈託なく笑う二人に、俺様は何もしてやることができない。
俺様も行くと主張したのに、みんなに反対された。
また、俺様は見送るだけなんだ……。
「待っててくれ。みんなを連れて帰ってくるから」
ポンポンと労わるように頭に手を置かれる。
<……行ってこい。俺様が村を守ってやるから>
「「ああ。行ってきます!」」
――それが、二人を見た最後だった。
<あああああっー! ぐうっ、があああああっ!>
また、だ。
また、この感覚が俺様を襲う。
これで、何度目だ?
この感覚が何を意味するのかを、俺様はもう理解している。
俺様の守りを破り、鬼人族を奴隷にするために契約が結ばれたときに襲ってくる痛みだ!
最初の奴らは戻ってこなかった。
そいつらを助けに行った奴らも、その後に行った奴らも……戻ってこなかった。
「大丈夫かい?」
<セルマ……。また、だ。また……俺様の大切なモノが……>
ポロポロと涙を零し、身を捩る。
ああーっ、耐えられない耐えられない、この喪失に……。
「安心しな。今度はアタシが行くよっ」
<セルマ!>
だめだ、だめだ、絶対にだめだ!
止めようとした俺様の動きが、セルマの姿を見たときにピタリと止まる。
セルマ……?
「帰ったら酒を飲んで宴だよ」
フフフと優しく笑うセルマの赤銅色だった肌はどす黒く変わっていて、額からニョキと伸びていた金色の角は真っ黒に染まっていた。
<……セル、マ?>
村を静かに出て行くセルマを含む五人の鬼人族は、みんな黒い色を纏っていた。
「あれは……進化しましたのじゃ。鬼人族の進化は鬼神族、そして悪鬼ですじゃ」
<……悪鬼>
「悪鬼になれば、そのうち心も魔獣のように理性を失くす。あの者たちは今回が最後の旅路でしょう」
長の言葉が俺様の頭の中でグルグルと回るが、意味を成さない。
気がついたら俺様は大きな翼を広げ空を飛んでいた。
セルマたちの後を追って。
俺様がセルマたちの痕跡を辿って、ようやく見つけた頃には……全てが終わっていた。
その国の中心の広場のような所で、木に括りつけられたセルマの足元には、轟々と燃え盛る炎が。
<セ……セルマッ>
急降下でセルマの元へと飛んでいけば、俺様の姿を見た群衆が騒ぎ出した。
セルマは……十字に縛られた木に体を括りつけられ、既に絶命していた。
彼女の体はボロボロに傷つけられて、自慢の角はぽっきりと折られていた。
<セルマ。なんで……お前と俺様は特別なのに。お前は奴隷になんてならないのに>
俺様とセルマだけは契約が成されていた。
神獣との契約を上書きできる契約なんて、存在するわけがない。
怒りで目の前が真っ暗になり、俺様の中で何かが切り替わった気がした。
「ガアッ!」
吠えると足元の炎が一瞬で消え去り、そして新たに黒炎が周りに集まっていた奴らのいる所から噴き上がる。
人々の悲鳴、絶叫を聞きながら、セルマの後ろに積まれた黒い躯へと、セルマのように火あぶりにされた鬼人族たちへと近づく。
<リオ。レオ>
下の方に積まれた黒い消し炭の一部にミスリルで作った指輪があった。
結婚祝いで俺様が掘りだしたミスリルを贈ってやり、それで作ったリオとレオの指輪だ。
ポロリと涙が一雫零れた。
そこから先のことは、よく覚えていない。
俺様の体から黒い炎が放出されて、鬼人族を奴隷にして戦わせようとした愚かな国を火で焼き尽くし、その国と敵対した国もついでに焼き払った。
亡くなったみんなと一緒に村に戻ったら、誰もいなかった。
いや、違うな……生きている鬼人族は誰もいなかった。
戦力が手薄になったとあの国の奴らが村を焼き払いに来ていたのだ。
もちろん、そいつらも全て俺様が焼き尽くし骨どころか塵も残さず始末してやった。
<リオとレオの約束……守れなかった>
二人と約束したのに、チビたちを守るって……。
今までは鬼人族は報酬を金と酒と食料で要求していた。
だが、ここ最近では領地や地位、不可侵な土地を要求していたんだ。
俺様のために……。
<生き返らせなきゃ>
そうだ、生き返らせなきゃ。
セルマもリオとレオもチビどもも長たちも、みんなみんな生き返らせなきゃ。
俺様はバサササッと黒ずんだ翼を動かし、火山へと向かい飛んだ。
何度も何度も火口に飛び込む俺様。
だが、セルマたちが生き返ることはない。
だから、もっともっと飛び込む。
火口から溢れる溶岩はなぜか黒く、黒い煙は意志を持っているかのようにうねりながら地を這うように広がっていく。
俺様自慢の真っ赤な羽も黒く汚れ、尾羽からは黒い靄がモクモクと湧き出していた。
<まだだ。まだ、間に合う>
飛んで、飛び込んで、また飛んでを繰り返しす。
「フェニックス。さあ、お眠り」
優しい声。
黒い靄に巻き付かれ身動きができない俺様の頭を優しく撫でて、涙が止まらない目を慰撫する。
「もう……いいんだよ。ゆっくり休みなさい」
ああ……。
失くしてしまった……俺様は元に戻すこともできなかった。
だったら、目覚めなくてもいい。
このまま……俺様もみんなと同じところへ行きたい。
セルマの子守歌をもう一度……聞きたいよ……。





