白銀の場合 ~神獣フェンリル~ 2
その争いは、どれぐらい長い間続いたのだろう。
命の終わりがない俺にしてみれば瞬く間なのだが、限りのある命の者にとっては一生でも足りない時間が流れた。
交流を持っていた人里に反撃し、同族の骸を取り返した人狼族の進撃は止まらなかった。
里で犠牲になった者たちの酷い有様に怒りの感情が高ぶり、そのまま里を治める領主の領地全部、その地方、その国の王都へと攻め進んでいった。
もちろん、こちら側も犠牲は出た。
物を言わなくなった冷たい姿で戻ってくる者を挟んで、アランと長たちの言い争いも激しくなる。
俺はアランに内緒で、人狼族の戦士たちと契約を結び戦力の底上げを行っていた。
だって、アランは俺に争いに参加するなって止めるんだ!
俺だって仲間のために戦いたいのに。
長たちは、アランのいないときに俺がいる洞穴までやってくる。
この広い洞穴……もう洞窟だな、これ。
ここには、避難している子供の人狼族と子供の世話をする若い者、戦いに参加できない年寄りがいる。
俺のところにいれば守ってやれるしな。
長たちは、子供たちにいかに勇敢に人狼族が戦い、広い地を占領したのかを身振り手振りで話している。
子供たちも夢中で、その話を聞いているんだ。
今や、人狼族をトップに狼系の魔獣を集めて、一国に匹敵するほどその仲間を増やしていた。
「我らに豊かな土地を」
「安心して生活できる場を」
「子供たちに全てを委ねるために!」
長たちは洗脳するように毎回同じ言葉を放っていく。
そして、大神である俺の前で平伏し懇願していく。
「どうか、大神様も参戦を。我らの犠牲を減らすこともできます。戦いを早く終結させることができます」
そうなんだよなー。
俺もそう思うんだよなぁ。
俺が参戦したら、一瞬で終わるぜ?
たかが、人族の騎士団なんて片手もいらないし、魔法が得意なエルフが束になっても俺の魔力に敵うわけがない。
でもなぁ。
「ダメだ。アランが許さん」
そうなんだよ、アランが反対しているんだよ。
この言葉を告げると必ず長の顔が渋面になるのもわかる。
今の人狼族の長はお前だもんな。
でも、俺が契約を結んでいるのはアランなのだ。
長たちはしょんぼりして洞窟をぞろぞろと出ていく。
決まって、この後は子供たちの不満ブーイングの嵐だよ。
見るからに強くて頼もしい俺が、洞窟で丸まっているだけなのが不満なんだろう?
俺だって、パーッと活躍したいぜ。
でも、ダメ。
子供たちが頬を膨らましているのを宥めてくれるのは、いつも年寄りばかりだ。
「争いなんて必要ないんだよ」
「俺たちには、この雪山と森があるじゃないか」
……そりゃ、俺だってここにみんながいれば、それでいいと思うよ。
ピクン。
血の匂いだ。
これは……誰の血だ?
俺は伏せていた顔を上げて、ふんふんと匂いを嗅ぐ。
「お前たちは、ここにいろ」
俺の周りに集った年寄り狼たちに命じて、俺は洞窟から外に出ていく。
クンクン。
「こっちは……」
人狼族の集落がある方向だ!
俺はダッと駆け出した。
「どういうことだ……これは?」
荒らされた集落。
怪我した奴らの呻き声。
「大神様! 襲撃です。 日が明けぬうちに奴らは攻めてきました。そして……アラン様たちを連れて行ってしまったのです」
「なに?」
アランが連れて行かれたと?
「長たちが今、奴らの後を追っています。今まで大神様には告げてませんでしたが、此度の戦いの相手には神獣様が味方していると……」
神獣が味方しているだと?
誰だ? エンシェントドラゴンは人などが住めぬ地を守っている。
リヴァイアサンは海の中だ。
他の種族に肩入れするなんてフェニックスか? それとも……。
俺は一声吠え、その場から駆け出した。
今は、アランを助けることが優先だ。
俺から仲間を奪うなどできるわけがないと、思いしらせてやるっ。
どれだけの地を駆け抜けただろう。
山も越えたし川も過ぎたし、人のいる村も町も幾つも駆け抜けた。
そして……俺が見つけたのは……。
「悔しいです大神様。あやつらは神獣様の力を使い、我が父をこのような姿にっ」
長が泣いている。
争いが始まってからは、喧嘩ばかりだった長が、アランの体に縋り付いて泣いている。
知っていた。
俺との契約がブツリと切れたときから、もしかしてと危惧してはいた。
でも……。
「ガオオオオオーンッ!」
俺の体から膨大な量の魔力が放出される。
バリバリバリリリ! 辺り一帯に雷が轟音と共に放たれた。
味方の狼たちを除いて黒焦げの躯が重なりあって積まれていく。
何も考えたくない。
ただ、ひたすらアランを殺した奴らを雷で焼き払った。
「我ら人狼族が戦うのは、大神様、神獣フェンリル様の楽園を築くためである!」
「神獣フェンリル様の元へ集え! 彼の方のためにその力を奮うのだ!」
やいのやいのうるさい。
俺はアランの仇をとるのだ。
「大神様。静まりたまえ。子供たちまでが争いに参加してしまいました」
「大神様。あの森にいた爺さんも婆さんも死にました。どうか、森に戻ってきてください」
ガルウウ、ガルルルルルーッ!
なぜだ! なぜ俺から大事なモノを奪っていくんだっ。
子供たちのじゃれる笑い声も、ジジイやババアのうるさい小言も……もう聞こえねぇ……。
力を思うままに奮い、魔力を放ち雷を堕とす。
幾年、そんな時を過ごしたのだろう……。
もう、正気を保っていられる時間が短くなっている。
そんな神獣からただの獣と成り下がる寸前の俺の耳に届いたのは、裏切りの言葉だった。
「長もよくやるな。自分の親を殺しておいて、大神様を利用するなんて」
「だが、大神様の参加で厄介だったトロールたちの部族を滅ぼすことができた。ふふふ。知能の低いトロールに人質をとるなんて企みができるはずなどないなのに」
「大神様もまさか長に騙されるとはな……」
な……に?
アランを殺したのは……あいつらではなかった?
長が、同じ仲間である人狼族である長が……殺した?
俺を……この争いに参加させるために……。
「うっ……」
頭が痛い……痛い……割れるように痛い!
「ガァアアアアアアアアアッ!」
天に向かって咆哮した俺の体から黒い靄が沸き立つ。
モクモクと湧き出したその黒い靄に埋まれる俺の白銀の体は足元から黒く染まっていく。
ガアアアアアアッ!
喉が裂け、血が口から溢れようとも、叫ぶことを止められないっ。
アラン、アラン、アラン。
俺が寂しかったことに気づかせてくれたアラン。
俺に仲間を与えてくれたアラン。
俺に守ることの意味を教えてくれたアラン。
ガアアアアアアアアアッ、ガルルルルルルッ!
体から魔力だけでなく、神気まで抜けていく。
その神気は黒い靄と混じり、傍にいた狼たちへ、敵へと渡っていく。
もう……何も考えられなかった。
ただ………………闇に堕ちていく。
「フェンリル。さあ、お眠り」
優しい声。
思い出す、この世界に生まれてきた日のことを。
同じ優しい声で誘われた「さあ、起きなさい」と。
俺は自分の禍々しい眼をそっと手で塞がれて、瞼を閉じる。
「もう……いいんだよ。ゆっくり休みなさい」
ああ……。
もう、こんな悲しい世界にはいたくない。
目覚めなくてもいい。
このまま……俺が消えてしまえばいい。
何も守れなかった……出来損ないの神獣なんて……。