後始末 5
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ありがとうございます。
王弟のアルヴィン様のお屋敷、グランジュ公爵邸を訪れたとき、その屋敷は悲しい黒いモヤに覆われていた。
ダイアナさんは、「愚かな人らしい欲望に塗れた瘴気だったわ」と言うけど、ぼくには胸が苦しくなるほどの悲しみしか感じられなかった。
「あんなにお優しかった奥様が……かわいそうに」
「旦那様と仲睦まじく過ごされていたのに、なんと憐れな」
「いつも苦しかったのかしら? まだお若いのに」
「愛していたのに……助けられなかった。ごめん、ごめんよ、エリカ」
悲しみに悲しみが重なって、黒いモヤモヤがモクモクと湧き出して、悲しんでいる人たちを覆いつくしてしまう。
黒い人型をした何かは、そんな人たちの側に近づいては何かを訴えるんだけど、声は届かない。
がっくりと肩を落として、ベッドに横たわるアルヴィン様の手を握る素振りを見せる。
なんとか、指輪を外そうとしていたのかもしれない。
黒い人型は、みんなの「穢れ」を自分に移していたけど、そんなちょっぴりの量では、みんなを元に戻すことはできない。
「そりゃ、そうよ。悲しみが増幅されていって、悲しむことに酔っているんだもの。悲しい自分がかわいそうって。いい迷惑よね」
ダイアナさんは、スパッと一刀両断にしてしまうけど、大好きな人がいなくなったら悲しいんだもん。
あの日、アルヴィン様の「穢れ」を浄化したとき、その黒い人型に付いていた「穢れ」も浄化された。
アルヴィン様の頭を優しく愛おし気に撫でていた、綺麗な女の人。
あのとき、ダイアナさんが教えてくれたのに、「悲しみはやがて昇華される」って。
なのに、どうしてみんなはまだ悲しいの?
「言ったでしょ? 彼女を悼んでいるフリをして、かわいそうな自分しか見ていないのよ。ある意味あの欲望の塊の女のほうが潔いいいわね。自分の欲望に忠実ってところで」
ダイアナさんは、ちょっと人に厳しい気がします。
ぼくの気持ちが、さらにしょんぼりしちゃうよ。
「本当に?」
アルヴィン様と宰相様が目を真ん丸にしてぼくに迫ってきました。
「なあに?」
「エ……エリカが……。私たちを守っていたって」
「あの子が、アルヴィン様を思って側にいたと?」
ぼくは二人の質問に大きく頷いて返事をしました。
「そんな……」
あれ? アルヴィン様が膝から崩れ落ちておいおいと泣き出してしまいました。
ど……どうしよう? 兄様。
「レン。大丈夫だよ。レンのせいじゃないから」
「……あい」
「鬱陶しいわね」
ウィルフレッド殿下の頭の上に鎮座していたダイアナさんがパタパタと羽を動かして飛び立つと、あっという間に人化しました。
ふわさっと長い髪を振り払って、冷たい視線をアルヴィン様に送ります。
「いつまで亡くなった者のことでメソメソしているの? 貴方が百万回謝ったら、その人は生き返るのかしら?」
「おいっ、言っていいことと悪いことがなぁ……って」
アルバート様が思わずダイアナさんへ食ってかかるのを、ナディアお祖母様が持っていた扇でペチンと叩きました。
顔面を叩かれて、アルバート様は撃沈しています……痛そう。
「悲しむことしか……もうできない。エリカのために研究していた薬草学も……もう、必要がなくなってしまったのだから……」
くぐもった声に、ダイアナさんは鼻で笑う。
「そうやって悲しんでるだけ? 亡くなった人は悲しむことも笑うこともできないのに? 生きている貴方たちは泣くだけなの?」
アルヴィン様は両手で覆っていた顔を不思議そうに持ち上げ、ダイアナさんを見る。
「貴方が愛した彼女は貴方が悲しんでいるのを嬉しがる人なの? あのときの彼女は、笑っていたわ」
「……エリカ」
そう、そう思うの! ぼくも、そう思うの!
「わらってほちいの! あやまるのやー。かなちいのもやー。わらって、しあわしぇになってほちいのっ!」
ぼくは両手を握って力説した。
ぼくが死んでしまって……誰か悲しむ人はいるのだろうか?
ママはどうなっちゃったのかな?
優しくしてくれた同じアパートに住んでいたおネエさんや、柴犬タロやおばさんは元気かな?
きっとエリカ様もぼくと同じだと思う。
優しくしてくれた人、好きだった人には、自分がいなくても笑って幸せでいてほしいと願うんだ。
だから……。
「わらって。えりかしゃま……よろこぶの」
アルヴィン様は真っ赤なお目目で口元を少し引き攣りながらも笑ってくれたのだった。
「はあーっ。この子に免じて大奮発よ」
ダイアナさんは二、三歩前に出て、両手を天に向かって掲げた。
口をモヨモヨと動かして何かを唱えると、彼女の足元からウヨウヨと黒いのが生えだしてきた!
「びゃあああ。にいたまーっ」
「うわっ!」
「ヒュー、レン。俺の後ろへ」
「ばかっ、ギル兄。まずは陛下たちを守るのが先だろうがっ!」
途端に部屋の中がギャーギャー騒がしくなるが、その黒いウヨウヨが捻りながら太い一本になり、そして一人の女性の姿に変っていく。
「エ……エリカ?」
呆然とするアルヴィン様と宰相様。
当然、ぼくたちもポッカーンです。
『アルヴィン。また泣いていたのね? 泣き虫なんだから』
クスクスと優しい笑い声が部屋に響く。
『お父様も、そんな情けない顔をして』
「エリカ」
そっとお互いが距離を詰めて、怖々とそれぞれの手を握る。
「すまない、エリカ。私は……君を守れなかった」
深く懺悔するように頭を垂れたアルヴィン様の頭を、彼女は握られた手を振り払いバシンと強めに叩いた。
「イタッ」
『ふふふ。あの子が言ったでしょ?謝らないで。笑っていて。私との楽しい思い出を胸に抱いて生きて。私はいつだって笑っていたでしょ?』
泣き顔を貴方たちに覚えていて欲しくなかったのよ? とエリカ様はウィンクをして茶目っ気たっぷりに話す。
「エリカ……。父を母を恨んではいなのか? お前を丈夫な体で生んでやることができなかった私らを」
『まあ! そんなこと考えたこともないですわ。大好きですよ、お父様もお母様も。だから……みんなには幸せになっていただきたいの』
「そろそろ時間よ。貴方たちは最愛の彼女をそんな情けない顔で見送るつもり?」
ダイアナさんの叱咤に、アルヴィン様と宰相様はハッとして、無理矢理に笑顔を作る。
『うふふ。二人とも凄いお顔だわ。ありがとう。エリカは幸せでした。いつまでも見守っているわ』
最後、エリカ様はアルヴィン様の頬に手を添えて、フワッと消えて行った。
「いまだけ……すまない」
アルヴィン様は我慢していた涙をブワッと流していた。
ずっと顔を上に向けて。