王弟 5
力を使って意識を失ったレンの小さな体を横抱きにして、部屋の壁沿いに置かれた寝椅子へ移動した。
父様が足早に部屋の外に出てアルバート叔父様に何か指示をしている。
アルバート叔父様の返事が望んだものではなかったからか、怒号とともにガスッと蹴り上げた音が耳に入ってきた。
「……懲りないな、叔父様も」
ふうっと呆れたため息を軽く吐き出し、寝椅子にゆっくりと丁寧にレンの体を横たえさせる。
顔色も悪くないし、スピースピーと可愛い寝息も聞こえるし、大丈夫かな?
心配そうにポテポテと後を追ってきた白銀と紫紺も不安そうな表情でレンの様子を窺っている。
僕は、レンの寝顔に意識は集中しているけど、父様の言動にもちょっとだけ意識を向けてあるよ。
どうやらアルバート叔父様がお城に行き、アルヴィン様の様子を報告してジョスリン様たちを拘束するように伝令に行くんだね。
ついでに医師と神官の手配と、宮廷魔導士も連れて来るの?
あれかな? アルヴィン様の指輪から正体不明の黒い靄が出てきたけど、その指輪が怪しいんだろう。
レンを抱き上げるときに確認したけど、幅広の指輪は黒ずんで真ん中からパッキリと割れていた。
リンはブルーベル家王都屋敷まで戻り、使用人を幾人か連れてくること。
そうだね、このお屋敷には満足に動ける使用人はいないみたいだし、下手をしたらアルヴィン様と同様な状態かもしれない。
レンの少し汗ばんだ額を撫でていると、バタバタとうるさい足音が近づいてくる。
「ヒュー! 無事か?」
「アリスター。あれ? ディディは大丈夫なの?」
「ギャウギャウ」
ハアハアと肩で激しく息をしながら屋敷の前で待機していたアリスターが、部屋の中へと走り込んできた。
短い足をチマチマと必死に動かしたディディと共に。
『ヒュー! だいじょうぶー? ……ぎゃー! こいつってば、まだいるのー』
『ぎょええっ、チロはなせー、ぐるぢいぃぃ』
チルの首根っこを掴んで素晴らしいスピードで部屋に突っ込んできたのは水妖精のチロだ。
二人とも「穢れ」が潜む屋敷に入るのに躊躇していたから、アリスターと一緒に屋敷前で待っていてもらったのに。
「ディディが言うには、穢れが無くなったらしい」
「ギャウ!」
蝶とチロと巻き込まれたチルの追いかけっこを横目に、アリスターが胸を張ったディディを指差した。
「そうか。じゃあ穢れは無事に浄化されたんだね。よかった」
「……あんまり良くない。今、ミックさんとザカリーさんで屋敷に勤めていた使用人の人達の介抱している」
「やっぱり」
どうやら、使用人たちは「穢れ」のせいで動けなかったみたいだ。
「ザカリーさんは治癒魔法が使えるからな。ほんの僅かだけど体力回復の効果があるって」
「アルバート叔父様がお城から医師を連れてきてくれるし、リンが王都屋敷から使用人を連れて来るはずだ。それまで僕たちでなんとかしよう」
父様と一緒にグランジュ公爵邸の使用人たちへの対処をと思ったら、アリスターにガシッと両肩を掴まれて行動を阻止される。
「なんだ?」
「いいから。俺たちでやっておくから。お前はレンの側にいてやれよ。大活躍だったんだろう?」
僕はアリスターの言葉に首を傾げた。
レンが闇の精霊と共に「浄化」を行ったことは知らないはずなのに、なんで?
「あははは。見ればわかるよ。レンの奴、もの凄く満足そうな顔で寝ているじゃないか」
アリスターに指摘されてレンの寝顔を見ると、確かにふにゃと唇が弧を描いていてふくふくの頬は鮮やかなピンク色をしてて。
「本当だ」
ふふふ、かわいいね。
僕はアリスターに甘えることにして、レンの寝ている寝椅子の端に腰を下ろした。
「しょうがないわね。アタシがギルを手伝うわ。白銀はレンとヒューをお願いね」
「おう! 任せろ」
紫紺はヒュンと尻尾をひと振りさせると、ポワンと白煙とともに姿を人型に変えた。
ブルーベル騎士団とお揃いの騎士服に紫がかった黒髪を複雑に編み込んだ艶やかな姿だった。
「紫紺……」
「ギルを手伝ってくるから、ヒューはレンの側にいてあげて。白銀は……役に立たないから置いていくわ」
「おいっ!」
紫紺は「ふふふ」と笑うと、アリスターの腕を掴み颯爽とした足取りで部屋を出て行った。
残された白銀は、ストンと軽々とジャンプして寝椅子に着地するとレンの頭の上で丸まる。
ペロペロとレンの頬を舐めて「くぅん」と切なそうに鼻を寄せていく。
「はあーっ。これで厄介なことが終わればいいんだけど……」
アルヴィン様のことやグランジュ公爵のこと、ウィルフレッド殿下のこと、そして……。
チロと壮絶な追いかけっこをしている闇の上級精霊のことも。
……俺、帰れるのか?
あれから、アルバートが記録的な速さで城と往復してきた。
ちゃんと医師と神官と宮廷魔導士の派遣も、陛下から了承を得てきたらしい。
どうやらジョスリンたちの拘束を願い出たら、率先して王妃様がそれはもう恐ろしい笑顔で受諾してくれたとか。
……俺が行かなくてよかった。
リンも王都屋敷から使用人を連れてきてくれた。
今は、王都屋敷にはウィルフレッド殿下という王族が滞在しているからベテランばかりを連れてくることはできなかったが、しょうがない。
母上とフィルが鍛えた我が辺境伯家の使用人なら及第点だろう。
テキパキと手入れのされていない屋敷を次々と磨き上げて整えていく。
いや……掃除とかよりも、食事の用意をしてくれないかな? ちょっと、だいぶ、腹が減ったんだが……。
アリスターとミックとザカリーは使用人部屋で倒れていた使用人を広間に移動させ、介抱している。
紫紺が最初に指摘した通りに料理人二人と執事の一人はまだ動けていたが、とんでもなく衰弱していた。
ザカリーが治癒魔法をかけ、人型になった紫紺がポーションを飲ませていく。
……こいつらにも食事が必要だと思うんだが?
え? まずは水分だ? そ……そうだな。
使用人たちの部屋も不自然に物がなく、屋敷全体もいわゆる高級品が乏しい。
なのにジョスリンたちの部屋には、キラキラしい宝石や上級な布で設えた衣装。
絶対オーク夫人には理解ができないだろう芸術品が山のように発見された。
「……乗っ取りか?」
あのオーク夫人がグランジュ公爵家を乗っ取るつもりだったとしても、そんな知恵を誰が入れたんだ?
そもそも、アルヴィン様との再婚にも裏があるんじゃないのか?
じゃあ……ウィルフレッド殿下に接触していたのには、何の意味があるんだ?
「うがーっ! わからん」
腹が減っているから頭か回らないんだ!
イライラしながらジョスリンの部屋を漁っている……いや捜索していると、どこかで見た幅広な無骨な指輪と黒皮の手帳が目に入った。
「ん?」
指輪には直感で「触るな」と思ったから足でひょいと横に避けて、手帳をパラパラと捲る。
「こ……これは!」