事件発生 1
もう少しで、ぼくがこの世界に来て1ヶ月が経とうとしている。
母様は連日の辺境伯分家の訪問で、体調を崩してしまったみたい。
父様は仕事が忙しくて、この頃は騎士団本部に泊まり込み。
白銀と紫紺は毎日、冒険者のお仕事をして、ぼくみたいな小さい子がいても大丈夫な宿屋や下宿先を探している。
兄様とは、朝起きてご飯を食べるまでは一緒。夜、寝るときはぼくひとりで、いつのまにか同じベッドで寝ている。分家の人が帰ったあとに、できなかったお勉強をしているんだって。
ぼくだけ、何もすることがなくて、ぼけっと毎日過ごしている。
ママと一緒だったときと同じ。あのときは、朝になったら寝て、日が沈む頃に起きてたけど。
今日も、朝ご飯に母様は来れない。
白銀と紫紺は、食べたらすぐにお仕事へ行く。
兄様もこの後は家庭教師とお勉強か、急なお客様のお相手だよね?
しょぼんと項垂れてる、ぼく。
セバスさんがいつものようにお客様の来訪を告げるんだ…。
て、あれ?なんか、兄様にメッセージカードを渡してるね?
「ああ、よかった。今日は僕とレンは街に出るよ。マーサ、母様に許可をもらってきて」
はい、と軽やかな返事とともにマーサさんが食堂を出て行く。
「レン。前に街で洋服を作ってもらうのに採寸したの、覚えてる?」
「……あい」
採寸したね、そういえば。あの大量に洋服を買ったお店でしょ?
「店から洋服ができたとの連絡がきた。今日は店に行って少し街を歩こう」
兄様がぼくを膝抱っこして、にっこり笑う。
「いいの?」
だって、お客様が来るんじゃないの?
いつも青白い顔の母様と固い表情の兄様がお相手してるのに?ぼくと出かけていいの?
「行こうよ。レンは、嫌?」
「ううん。……、…いきたい」
もじもじして、小さい声で言ってみる。
兄様はぼくの頭をよしよしと撫でて、セバスさんに命じる。
「セバス!僕とレンは今日は街に行く。母様も外に出ていることにして休ませろ。それでも何か言うようなら、騎士団本部の父様の所へ案内すればいい」
「かしこまりました」
「セバスとマーサは同行できないから、護衛を少し増やしてくれ」
「はい」
あ、そうだね。白銀と紫紺もいないもんね。
あとで、一緒に行きたかったって怒られそう。
兄様とセバスさんは、馬車の手配や同行者の確認をして、ぼくたちの身支度のためメイドさんが呼ばれた。
え、さっき着替えたばかりなのに、お出掛け用にまた着替えるの?
貴族って…たいへんだね。
ガタンゴトン。
揺れる馬車の中にはぼくと兄様。護衛の騎士さんとメイドさんが乗っている。馭者さんの隣にも騎士さんが座って、他の騎士さんは並走する馬に乗っている。
いつか来たときみたいに、馬車の預かり所に馬車を預けて、馭者さんには待っててもらう。
「洋服の確認をしたら、どこかで甘い物を食べて帰ろう」
「いいの?」
「ああ。母様たちにも買っていけば、怒られないさ」
パチンとウインクする兄様。
そのあとも、噴水広場に大道芸人がいるから見学しようとか、騎獣を扱っているお店を見に行こうとか楽しい計画に、胸がワクワクする。
ただ、採寸して作ってもらった洋服の量がすごくて、びっくりしました。
母様……いつのまに?
「こり…なぁに?」
兄様とお揃いで作ったらしい部屋着なんだけど……。これって着ぐるみみたいなんだけど…。
「母様……」
兄様も絶句です。
うーんと、フワフワモコモコの素材で三角犬耳とふさふさ尻尾がついてるツナギみたいな服。もうひとつは丸い耳と細長い尻尾付き。
「あー、しろがね。しこん」
たぶん。母様は白銀と紫紺に合わせた服を作ってもらったんだ…。
これって、コスプレ?
「レンはかわいいけど…。僕の分もあるよ」
兄様の肩がガックシ落ちました。
諦めなきゃ、兄様。ぼくひとりで、コレを着るのはちょっと恥ずかしいよ。一緒に着ようね!
お店を出るときは山盛りの荷物。
今日も騎士さんが先に馬車に運んでくれる。
「僕たちはあの店にいるから」
兄様が指差すお店は、ピンク色の装飾がされているスイーツ店だ。
「はい。わかりました」
騎士さん二人が両手に大荷物で離れていく。
僕は兄様の膝抱っこで移動。
そのとき、兄様の車椅子を押していた騎士さんが、隣を歩くメイドさんに
「あ、忘れ物をしてしまいました。お店に取りにいってもいいですか?」
「それでは、わたくしが行ってきます。何をお忘れに?」
メイドさんは騎士さんの忘れ物を取りに小走りでお店へと戻る。
ガッ。
すると、横の路地に車椅子の進路を急に変えて、騎士さんが走り出す。
ガコンガコンと揺れる車椅子。
兄様がぼくをぎゅっと抱きしめながら声を上げる。
「どこに行くつもりだ!」
「うるさい。黙っていろ!」
騎士さんは兄様に乱暴にそう言うと、路地を抜けてさらに通りを早いスピードで駆け抜ける。
こちらの通りは人通りが少ないのか、誰にも見咎められなかった。
「いいか。声を出したらガキを殺すぞ」
騎士さんの怖い脅しに、兄様は唇を噛んでますますぼくを抱きしめた。
いくつもの角を曲がって辿り着いたのは、人気のない荒地に停まっている黒い馬車。
その馬車から人が出てきて、ぼくは兄様から取り上げられ、ぽいっと馬車に放り投げられた。
「いちゃい!」
ゴンと頭を強く打つ。
そのあと、馬車に兄様が投げ込まれたようだけど、ぼくは打った頭が痛くて痛くて、いつのまにか意識を失ってしまっていた。