馬車の旅 5
転移魔法で移動したあと、アリスターやディディに大丈夫だったか声をかけたかったし、リリとメグが持っていた籠の中にいた真紅のことも心配だったけど、ぼくはじっとその場を動かないでいた。
だって、兄様がぼくの手をギュッと握っていたんだ。
兄様の顔は真っ白で、唇をキュッと結んでいて、とっても辛そうだった。
だから、ぼくは兄様の側を離れないでいたんだよ。
馬車に乗ったら、兄様は難しい顔でずっと黙っていて、なんか父様は白々しく窓の外を眺めてこっちを向かないし、ナディアお祖母様はそんな父様を横目で睨んでいるし。
どうしたんだろう?
そして、ぼくが気になっているのは、ぼくの隣に置かれた籠の中でピヨピヨと鳴いている真紅のこと。
<けっ。なんてお粗末な魔法なんだ!俺様がいるっていうのに、もっと丁重に運べよっ!>
うん、さっきの転移魔法がお気に召さないみたいだね?
でも、おかしいのは白銀と紫紺だ。
いつもなら「うるさい」と真紅をムギュッと踏んずけるのに、今は素知らぬ顔をして明後日の方向に顔を向けている。
なんで?
兄様と父様が難しい話を始めてしまったので、ぼくは邪魔をしないように白銀と紫紺たちの話を聞こうと思う。
<あんな転移魔法なら、白銀の魔法がマシだな。帰りはお前が転移魔法を使えよ>
どうして、こんな小さな体なのに白銀と紫紺に偉そうに命令できるんだろう?
ぼくが首を傾げていると、白銀がチラッと真紅を見てボソッと呟く。
「うるせー」
え?それだけ?いつもならもっと真紅に文句を言うのに?
<なんだよ、勿体ぶるなよ。ああ、でもお前の魔法は下手くそだからな、紫紺がやれよ>
「いやよ」
即答です。
でも……白銀と紫紺が転移魔法が使えるなんて知らなかったなぁ。
「ぼく、みたい」
ギョッとした顔で白銀と紫紺がぼくを見る。
「ダメ?」
コテンと首を傾げてお願いすると、白銀と紫紺の口元がウニョウニョして、耳がぺしょんと垂れた。
「レン。そのう……転移魔法はな……」
白銀がモゴモゴと言いにくそうに言葉を紡いでいると、真紅がバササバササと羽ばたきをする。
<あー、お前。転移魔法が使えなくなったのか?ハハハ、ざまぁだな。俺様のことを馬鹿にしているから罰が当たったんだ!>
ピーピーピヨヨと籠の中でゴロゴロ笑い転げる真紅。
ちょっと、態度が悪いよ?
「しんく、できるの?」
そんなに白銀と紫紺をバカにするなら、真紅は転移魔法が使えるんだろうか?
むくっと体を起こした真紅はあっさりと首を振る。
<いんや、俺様は使えない。しょうがないだろー、神気が足りねぇんだ!>
そうだね、君ってば今は小鳥の姿で本来の力の何分の一しか神力がないんだったね。
「ふん、昔だってマトモな魔法なんて使えなかったじゃない」
紫紺が尻尾をバシンと馬車の床に叩きつけて、低い声で真紅をバカにする。
<そこのバカ犬よりマシだ!>
真紅の翼に指し示されても白銀はいつもの不遜な態度を出さず、しゅーんと落ち込んでいるようだった。
「しろがね?」
ぼくが心配して、白銀の頭をナデナデすると、白銀はプルプルと震えたあと、キッと顔を上に上げてガルルッと吠えた。
「忘れたんだ!忘れたから使えないだけだ!」
「白銀っ!」
紫紺が白銀の口を慌てて塞ぎに動いたが、バッチシぼくの耳には届いてしまった。
「しろがね……まほー、わすれちゃったの?」
「うぐっ、ぐぐぐっ、ぷはあっ。そうだ、忘れた。だから思い出す!」
耳をピンと立てて凛々しくぼくに向かって宣言するけど、忘れちゃったんでしょ?
「うん。がんばってね!もしかして、紫紺も?」
紫紺はショボショボと耳もお髭も尻尾も下げてコクンと頷いた。
「だいじょーぶ。また、できゆ!」
ぼくは、紫紺の頭もナデナデしてあげた。
前はできていたなら、練習すればまたできるようになるよ!
それに、転移魔法で移動するより、フェンリルとレオノワールの二人は走るほうが楽しかったのかな?って思うよ。
それで、真紅はお空を飛ぶほうが楽しいんだろうね!
今日泊るお宿に着いて馬車を降りる頃には、兄様も落ち着いてたみたいだし、明日は王都だから早く寝なきゃ。
お宿のお食事はちょっとお肉が固くて「ウギギギッ」ってなっちゃったけど、リリとメグにお風呂に入れてもらって、白銀と紫紺のブラッシングもして、瞼が重くなったからおやすみなさい。
あー、瑠璃に転移魔法使ったのをお話ししたかったけど……もう眠いの。
兄様の隣で、おやすみなさい。
「寝たか?」
「そうね。でも、ヒューの眠りが浅そうだから睡眠魔法をかけておくわ」
白銀と紫紺は小さな子犬と子猫姿のまま、二人が眠るベッドへと乗りあがるとチョイチョイと二人の頬に前足で触れて魔法をかける。
白銀は顔をベッドの寝具の中に突っ込み、レンの首にかかっているペンダントを口に咥えてズボッと顔を出した。
「おい、瑠璃」
「瑠璃、ちょっと来てちょうだい」
白銀と紫紺が話しかけると、ペンダントからふわふわと陽炎が揺らめきたち人の形になっていく。
「どうした?お前さんたちが呼び出すとは珍しい」
呼び出した白銀と紫紺に顔を向けることなく、愛おし気にレンの頭を撫でて、聖獣リヴァイアサン、瑠璃が現れた。
「ちょっと……頼み事が……」
「そうなのよ。頼みたいのよ……」
二人のしおらしい態度に、ふむと顎に手を当てて向かい合う瑠璃。
「どうしたのじゃ?」
白銀と紫紺は子犬子猫姿というあざとかわいい姿を利用し、ペタッと頭を伏せた。
「「どうか、転移魔法を教えてくださーい」」
邪神へと堕ちる手前に眠りにつき、数多くの魔法を忘れてしまった白銀と紫紺。
創造神からは「そのうち蘇る」とお墨付きはもらったが、今、いますぐに、転移魔法を使えるようにならなければ!
だから、眠りにつくことなく、創られたままの能力を誇る瑠璃に頼むのだ、転移魔法を教えてくれ!と。
「いいが。儂の頼みも聞いてくれるなら」
瑠璃らしくなく、ニヤリと悪い笑みを浮かべていたと、他人事のように眺めていた真紅は、ずいぶん後になって二人に教えていた。
翌日の朝、出発準備を進めるギルバートに白銀と紫紺が後ろ足で立って前足を揃え、なにかおねだりをしているようだったとか。