馬車の旅 4
ゆさゆさ……。
誰かに肩を優しく揺さぶられて、固く閉じていた眼をそおーっと片目ずつ開けてみる。
「レン、大丈夫?」
兄様がぼくの顔を覗き込んで、心配そうに顔を歪めていた。
「あい。だいじょーぶ」
右足、左足、右手、左手、頭を順番にブルブルさせても、どこも痛くないです。
「ヒュー、レン。母上も大丈夫ですか?」
ぼくと兄様の体の上に負ぶさっていたナディアお祖母様と父様が体を起こした隙間から、キラキラと陽光が降り注いだ。
「んゆ?」
さっきまで居た殺風景な教会と似ているけど、天井近くの天窓には綺麗な色のステンドグラスがあって、神獣と聖獣が描かれたタペストリーも飾られているよ。
父様は、ナディアお祖母様に手を貸して立ち上がらせると、アドルフとレイフ、アルバート様たちの様子を確認しに動いた。
「にいたま。ここ、どこ?」
「王都近くの転移門だよ、きっと」
ぼくたちの会話を耳にしたナディアお祖母様が「無事に転移できたみたいですね」と、ニッコリ微笑んでくれた。
そこへ、紫紺がトテトテと軽い足取りで近寄ってくる。
「まったく、魔石に充分な魔力が充填されてないから、転移できないところだったわ。……ちょっとアタシも力を入れすぎちゃったけど」
んん?王様から戴いた魔石の魔力が足りなかったから紫紺が魔力を補ってくれたけど、魔力が強すぎたってこと?
「さあ、移動しましょう」
ナディアお祖母様が扉の近くに垂れている紐を引っ張るとカランカランと鈴の音が響き、外から鍵が外され扉が大きく開かれた。
なんとか、ホワイトバート公爵領地にある転移門から王都に近い転移門へ移動ができ、王都の辺境伯家からの迎えの馬車に乗り換えることができた。
通常の転移では感じられない揺れと衝撃に、母上とヒュー、レンの体を守るだけで精一杯だったのが、情けない。
俺と同じく滅多に転移魔法など経験しないアドルフとレイフも、アリスターとディディを守るように屈んだだけだったし。
さすがなのは、アルバートたちだな。
あいつら冒険者たちは、ダンジョンに潜っているからボス部屋に設置された脱出用の転移魔法に馴れているんだろう。
噂では、ダンジョンの転移魔法は、魔法制御が荒く、初めて経験するとかなりの確率で転移酔いを起こすそうだ。
あの酷い揺れの中で立ってリリとメグを守り、周囲を警戒していたアルバートは、我が弟ながら頼もしく見えた。
気になるのはヒューの青白い顔だ。
紫紺が発した「魔石の魔力が十分ではなかった」という一言から、いろいろと考え正しい答えを導きだしてしまったんだろう。
迎えに来た辺境伯の紋章付きの四頭立ての馬車に俺たち家族と白銀と紫紺、真紅が乗り、もう一台の二頭立ての馬車にアルバートたちが乗り込む。
アドルフたち騎士は馬に騎乗して並走だ。
今日は近くの村の宿で一泊して、翌朝王都に向けて出発する。
なるべくヒューと目を合わせないように、つらつらとそんなことを考えていたのだが、血の気を失った顔色のまま鋭い視線でヒューが「父様」と俺を呼んだ。
「父様」
「な……なんだ、ヒュー?腹でも減ったか?」
ヘラヘラと笑って応えてみたが、ヒューは小さく頭を左右に振った。
「ホワイトバート公爵家のことです。今回の嫌がらせは……僕のせいですか?」
「ヒュー」
ヒューの泣きそうな弱々しい声に、俺の胸はツキンと痛みを覚えた。
「僕の怪我が原因ですよね?」
「違う!違うぞっ!そんなことは絶対にない!」
俺はヒューのまだ細い両肩を掴み、目をしっかりと合わせ否定する。
五年前の馬車の事故で、ヒューの足は治らない怪我を負い車椅子での生活になってしまった。
父上が国王陛下に嘆願してくれ、教会の大神官の治癒魔法を受けることができたが、治らなかった。
しかもその後、王家の侍医であるホワイトバート公爵本人の治癒魔法も受けたが、やっぱり治らなかった。
大神官の治癒魔法で完治しなかったことは、だいたいの貴族は知っているが、王家の侍医でさえも治せなかったということは秘されている。
しかし、噂というのは出回ってしまうものだ。
大神官に面と向かって揶揄することはできないが、そこは貴族社会。
ホワイトバート公爵家の治癒能力に陰りが出たと社交界に噂が広まったのだ。
いや、ヒューバートの怪我が治らなかったのは本当だし、ブルーベル辺境伯が率先して噂を流したわけじゃないのに。
公爵本人からは、「気にしていない」との言葉をハーバードは貰っているが、あの家の使用人たちは根に持っていたんだな。
「でも……。僕はホワイトバート公爵家の誘いも断ってしまいましたし……」
「あー」
俺はヒューの両肩に手を置いたまま、天を仰ぐ。
そういえば、怪我が治ったあとに、どうして治ったのか子細に調べたいとの申し出を断ったなぁ。
でもなぁ、せっかく足が治って嬉しそうにリハビリしている息子を、馬車で四日もかかる場所へ行かせられるか?
しかも調べたいって、俺の息子は実験動物じゃねぇーぞ!
だいたい、治癒魔法ではない方法で治った痕跡を調べてどうすんだよ?
そもそも、治したのは水の精霊王とレンだし、そんなこと教えないけど。
へにょんと情けなく眉を下げてしまったヒューの頭をやや強い力で撫でて、俺はニカッと笑ってみせた。
「お前のせいじゃない。今回のことは、あいつらの性根がもともと悪いんだ!」
「父様」
フンッと腕を組んで鼻息を荒くする俺の額にビシンと衝撃が走る。
「アイタタタ」
「まったく、子供に気を遣わせてどうするのですか?だいたい、貴方が爵位を授かるのを渋っているからこうなるのです。だから、あんな三下に貴族もどきと笑われるのですよ?」
「はあっ。すみません。爵位のことは王都から戻ったらアンジェと相談して決めます」
まあな、ブルーベル辺境伯家の分家を幾つも取り潰したあと、ハーバードからも頼まれていたんだ。
そろそろ、爵位を得て分家としてブルーベル辺境伯家を支えてくれって。
でもなぁ、俺が爵位を得てしまうと、ますます俺の後を継ぐことを危惧されていたヒューへの風当たりが強くなると思って、避けていたんだよなぁ。
騎士爵は持っているし、アンジェも気にしなかったし。
確かに辺境伯家を継いでいない俺は、騎士爵を持っていてもほぼ平民だから、貴族もどきと笑われても仕方ない。
けれど、ヒューも足が治って騎士になれる技量もあるし、爵位を継ぐ立場になっても見劣りはしないだろう。
でもなぁ……俺が面倒で嫌なんだよなぁ……貴族って。
うんうーんと考えていたら宿泊予定の村に辿り着き、あれよあれよと食事を済ませベッドの中に入っていた。
もう、いいや。
難しいことは、後で考えよう。
……そういえば、レンは馬車の中でやけに大人しかったな……その反面、真紅がピヨピヨ、白銀と紫紺がガルルッとうるさかったが……喧嘩してたのか?