帰ってきたブルーベル辺境伯領 3
ブルーベル辺境伯屋敷の一室。
キィーンとした緊張感漂う辺境伯の執務室……のハズだったが、今は年若い男の愚痴が延々と続いている。
「おい、ハーバード。アレ……どうにかならないのか?」
執務室の端で、ブルーフレイムの街の代官エドガーとその弟で辺境伯側近のローレンスが向かい合っているのだが、出会ったときからずっーとローレンスの上司たちへの愚痴が止まらないのだ。
それも、かなり辛辣な。
しかし、彼の上司の当の本人であるハーバードもその執事のセバスティアゴも通常運転で涼しい顔をしている。
むしろ、俺の後ろに立つセバスからおどろおどろしい冷気を感じるぐらいだ。
弟のローレンスに対してコンプレックスを抱えていたエドガーも、さっきから「え?」「は?」と戸惑った言葉しか発していない。
しばらくぶりに会った弟の豹変した姿に驚いただろうし、自分が敬愛している辺境伯たちを罵倒する弟にも目が白黒するよなー。
ハーバードは俺の声かけにピクリと眉を動かして、右手でティアゴを呼び寄せる。
「茶を」
「かしこまりました」
ティアゴが扉の外に出たあと、お茶や焼き菓子を乗せたワゴンを押してメイドが何人か部屋に入ってくる。
セバスも手伝ってテーブルの上にセッティングが済むと、ハーバードがローレンスたちに座るよう勧める。
俺もどっかりとソファーに座る。
なんか、エドガーの顔色が悪いんだが……ローレンスはスッキリした顔をしているけどな。
「ところで、エドガー」
「はい!」
ビクンッと体を跳ねさせるエドガーの緊張ぶりが心配だ。
「よくブルーフレイムの街を治めてくれている。礼を言う。ありがとう」
我が弟ながら鉄面皮のままで礼を言うハーバードに苦笑する。
しかし、そんなハーバードからの賛辞にエドガーは頬をバラ色に染めて嬉しそうだ。
ハーバードは続けて、今後ブルーフレイムの街は今までの冒険者御用達の街から、温泉を目当てに観光客が数多く訪れること、その中には珍しもの好きな貴族も含まれること。
トラブルが起きることもあるが、代官として上手く対処してほしいとエドガーに語りかける。
エドガーも、ハーバードの言葉一つ一つに丁寧に返事をしながら、顔を引き締めていく。
そうなんだよな……ダンジョンを抱える街であるブルーフレイムは冒険者が多く訪れ滞在する。
それにあわせてか、街民も鷹揚ではあるもののちょっとガサツで小さい喧嘩などは日常茶飯事の揉め事だ。
そんな血気盛んな場所にできた「温泉」という観光地は、富を齎すこともあるがトラブルも起きるだろう……特にいけ好かない貴族と。
その問題の「温泉」は可愛い可愛い我が子のレンが造ったものだからなぁ。
「……だが、エドガーならさらにブルーフレイムを発展させることができると信じている」
「はい!」
うん……なんか丸いこと収まったみたいだな。
兄が褒められてローレンスの機嫌も直ったみたいだし……よかった。
「あ……私がローレンスを側近に選んだ理由が知りたかったのだな。理由は二つある。まず領地を治める能力はエドガーのほうが高かったからだ。もう一つは私の側近として……性格の悪いほうを選んだ。以上だ」
ハーバードは、紅茶をひと口飲む。
え?いや?はあ?お前、何言ってんの?
「え?……性格が悪い?……え?」
エドガーも困惑して、ハーバードを見て、ローレンスを見て、またハーバードを見てを繰り返しているよ。
「酷い主人ですね。ま、その理由は納得です。感情の窺えない機械のような辺境伯に死神のような執事、仕事仲間は口の悪い悪魔ばかりですからね!優しい兄上では胃に穴が空きますよ。ははは」
いや、それはいい笑顔で言い切ることじゃないぞ、ローレンス。
巻き込まれたくない俺は紅茶を飲んで、無言で焼き菓子に手を伸ばした。
エドガーへの誤解も解け、ブルーフレイムの街の騒動も解決して、さぁ、可愛い妻と子供の待つ屋敷に戻ろうとした俺にハーバードが待ったをかける。
「なんだよ」
「兄さん。レンがブルーフレイムの街から神獣と中級精霊を連れて帰ってきたそうじゃないですか」
あ、報告するの忘れてた。
「先ほどティーノから聞きました。タイミングがいいというか、悪いというか。兄さんにこれを」
ハーバードが机の引出しから出したのは真っ白い封筒に赤い封蝋。
その紋章は……。
「王家からの手紙?」
コクリと頷くハーバードは、俺の手にその厄介な物を乗せるとひそっと小声で耳打ちする。
「招待状です。しかもヒューとレンへの」
思わずぐしゃりと手の中の手紙を握りつぶした。
そもそもディディの声は兄様たちには聞こえない。
契約もしていないぼくが聞こえるのがイレギュラーなんだって。
でも、聞こえるんだもん。
ぶーぶーと膨れていると、アリスターが申し訳なさそうに謝ってくれた。
「ううん。がまんする」
だから、頑張ってキャロルちゃんと会話できるようになってください!
「しかし……何が悪いのか俺にはわからないんだ。俺とは会話できるからなー」
「それは契約者だからでしょ?」
紫紺がスパッと言い切るとアリスターはまたしょぼんと項垂れた。
「ディディは契約者以外と会話することができるのか?」
兄様の疑問にフワッとチロが兄様から離れてディディの元へ飛んでいく。
そして二人でこしょこしょ。
フワフワと戻ってきたチロの説明だと、ディディは中級精霊なので契約者と契約者が大切に思う者への庇護を与えることができるそう。
アリスターだったらたった一人の家族である妹のキャロルちゃんのこと。
ディディはキャロルちゃんとも仮契約をした状態で「念話」で話しかけたが……キャロルちゃんに届くことができなかった。
「うん?キャロルのほうに原因があるのか?」
兄様がまたまた首を傾げる。
「たぶん。あいつの魔力操作のレベルだと思う。魔力は平均以上にあるからな……。魔力を使って馴れるしかないが、あいつの属性は俺と同じ火属性だから攻撃性が強くて。練習するっていっても場所がなぁ」
騎士団の練習場を貸してもらうわけにはいかないと、真面目なアリスターは言う。
「僕はかまわないと思うよ?父様に頼んでみようか?」
「いやいや」
ふむ……魔法の練習か……。
「先生をつけてもらえるだけで破格の扱いなんだから、これ以上は迷惑かけられん」
「迷惑って……。それに魔法についてはプリシラも必要だからね。一人教えるのも二人教えるのも変わらないよ」
そうだ、ぼくたちがブルーフレイムの街へ行ってる間、ハーバード様たちはプリシラお姉さんと一緒にブルーパドルの街へ行っていて、ぼくたちより早く帰ってきたんだよね。
プリシラお姉さんも水魔法の練習するって楽しみにしてたし。
「あ!おうた!キャロルちゃんはおうたをうたえばいーとおもいましゅ!」
ぼくは「はいっ」と右手を高々と上げて主張します。
だってキャロルちゃん、あの事件のときお歌に魔力を乗せて魔法を使っていたよ?
ぼくの意見に兄様とアリスターは驚愕の表情だったけど、紫紺が「とってもいい特訓だと思う」とお墨付きをくれたので採用になりました!
わーい、ぼくも一緒にお歌を歌おうかなぁ。