いざよい
この小説は「海辺の街」シリーズ第三弾です。申し訳ありませんが、はじめての方はシリーズ第一弾『カレーライス』からお読み下さい。
先日、自分の作品の影響力を考えずに執筆する小説家への批判を書いた文章を目にする機会があった。まさに僕と言う小説家そのもののことだと思った。
僕や香ちゃん達が住んでいるアパートは、街の中でも比較的低い場所にある。そこから更に下へ降りていくと、海岸に出ることができる。
海岸は、新しい原稿を書き始めるときに必ず来る場所だ。海を見ていると、自分と言う小説家の世間的な地位や、名誉のことを全て忘れて、書きたい話だけに集中して書くことができる。読者が抱く感想や、僕に対する印象のことを何も考えずに物語をつくりだすことができる。
それは結果的には彼女の言う、『読者を逃がさない』作品に繋がってはいたと思う。だが同時に僕は、いや僕と言う小説家の作品は、読者が僕の作品に影響されてしまう道から逃げることさえも奪い、読者を攻め込み、時には殴っていたような気がした。
『あなたの作品って全部そうじゃない』
そう彼女に言われたのは、随分と前だった。彼女は僕の所属する出版社の編集担当だ。真っ赤な口紅や、真っ直ぐな黒髪がとても似合う女性だ。彼女の性格は、その見た目にかなり釣り合っている。
彼女に一度、そのことを告げた。すると彼女は口紅をのせた赤い唇を歪めてこう言った。
『あなたは見た目とは全然違う人よ』
そんなことは気にしたことはなかったから、拍子抜けした。
新しい物語は、出版社が出している文学雑誌に連載させる予定らしい。僕はしばらく海を眺めていた。今回は海辺の街を舞台にすることが頭に浮かぶ。僕はいつだって、作品を書いている間は小説の主人公になるのだった。
「おはよー梛木沢」
「おはよう」
この街に越してきてから、約三ヶ月がたっていた。僕には新たな友達が出来た。里山と読んでいる。彼は、大のナキザワハル嫌いであり、冴えないバスケットプレイヤーでもある。
彼が読者であることを意識しなくて良い分、僕としてはとても付き合い易い奴だ。
「今日は何読んでるんだ?」
小説には疎い彼が僕にそんな風に話しかけてきたのは、連載作品の打ち合わせで上京した次の日だった。
正直、自分の最新作を貰ったばかりでたまたま持っていただけだったが、少しだけ焦った。本人が自分の最新作を持っていたら、僕としては恥ずかしいと考えるからだ。
「あ……ナキザワハル」
ナキザワハルは小説を読まない人間にもよく知られている。里山もきっとどこかで読んだのだろう、更に質問を重ねてきた。
「あー……なんか知ってるぞ。好きなのか?」
「……いや」
里山はあからさまに軽蔑した顔になった。気が合うなと思った。僕は次の瞬間、ハッキリと答えた。
「寧ろ大嫌いだ」
里山は少しだけ拍子抜けしたような顔をしたあと、今度は顔をクシャクシャにして笑った。
「俺もだ。あんな冷たい物語は大嫌いだ」
僕はその瞬間この里山と言う人間のことが大好きになった。里山は僕の作品の中にある冷たさを良く理解していた。
僕と里山は、特にいつも一緒なわけではなかったが、昼休みや移動教室などは良く話した。里山のストレートな物言いは、僕的にもかなり好みだった。
「梛木沢、今日帰りに付き合ってくれよ」
いつものように一日を終え、帰ろうとした僕に、里山は何の前触れもなく話しかけてきた。僕はと言うと、今日は小説の構成を練る予定だったから断った。
「ごめん、今日はちょっと」
「何でだよ? 梛木沢、帰宅部だろ」
帰宅部と言われるのは痛いが、僕の仕事をしらない人にとってはそれが真実なのだから仕方ないのだろう。
ふと、先日の文章が頭に浮かぶ。
畢竟、書き物はすべてにおいて、影響力の功罪を認めなければならないのである。
然し、それを蔑ろにする者達がいる。
〈中略〉
彼らは己の罪を知らない。それだけの教育を受けていないのか、或いは、人を騙くらかして平気な面をしていられる不徳の輩である。
(小説家になろう『Beautifoolのエッセイ』より アルル著 本文抜粋)
里山のような人間にとって、小説が及ぼす影響力はどんなものなのだろう。僕はなぜか、とても気になった。
「仕事があるんだ。ごめん」
「お前バイトとかしてたの?」
「バイトじゃないよ、本職。この仕事で生活していくつもりだ」
里山はそれ以上は何も聞かずに、また今度付き合うことを僕に約束させると疾風のごとく去っていった。
僕の部屋の窓からは、いつも行く海辺が見える。僕の頭の中に、次々と小説の構想が広がっていた。
僕の小説が読者に及ぼした影響力のことを考えると恐ろしいに違いなかった。それを考えたらもう、僕は僕の小説が書けない気がしていた。だから、一心不乱に小説の内容だけを考える。そうしなければ、僕は、僕と言う人間は、発狂しそうだった。
気が付くと、暗かった空が白んできていた。構成に没頭するあまり、何も食べないまま二日も徹夜していた。締め切り前は必ずこうだ。
「あ、もしもし。梛木沢です」
編集担当の彼女に、原稿が上がったと言う報告をする。
『できたのね』
「はい」
『楽しみにしてる』
「ありがとうございます」
彼女は僕の小説のファンでもある。電話の向こうで、あの赤い唇が笑っているのがわかった。
「ふぅ……」
書き上げた瞬間、またあの文章が脳裏に浮かぶ。彼女にあの文章を見せたら何と言うだろう。考えるだけでも遠慮したい。
登校時間はとうに過ぎていた。携帯にメールが届く。里山からだった。
『お前って時々サボるよな。昼からでも必ず来いよ! お前に話したいことがあるんだ』
返事を打つそばから電話がかかって来た。
「もしもし」
『梛木沢? 俺、里山』
どうして僕の周辺の人間はこうも僕の返事も待たずにアクセスしてくるのだろう。
「うん」
『お前、なんかメールじゃダメだって聞いたから。あのさ、一回しか言わないから良く聞けよ!』
「え……うん」
一体誰がそんなことを言ったんだとか、なぜ一回しか言わないのかとか聞きたいことは沢山あるが、里山の気迫に押されて頷いてしまう。
『俺、ナキザワハルの最新作読んだ。すげー面白かった。すげー好きになった。だから、お前も学校来い!』
「里山」
僕は、拍子抜けした。大嫌いだったものがある日突然好きになることなどあるのだろうか。
あるとしたら、別の角度からそれを見ることができたときだけだと自負している。自然に感謝の思いが溢れた。
「ありがとう」
『礼ならあの子に言ってやれ。海辺中学のお下げの子だよ』
僕の頭に潮風の香りと一緒に、香ちゃんの顔が浮かんだ。
『あの子が必死になって教えてくれたんだ。ナキザワハルの最新作が凄く良いんだって……そして、お前と仲良くしてくれって頭まで下げてさ。良い子だよな』
僕は急に腹が減った。どこからかあのカレーの香りがしていた。
「うん……わかったよ。行くからさ、学校」
急に涙が溢れてきた。僕は僕の作品を楽しみにしている読者のために小説を書いているのだと思った。
僕の作品を書き続けることにもう苦痛を感じなくなっていた。
この小説内に登場する、今回梛木沢を悩ませた作品は小説家になろうサイト内にてお楽しみいただけます。
タイトルは『Beautifoolのエッセイ』で、小説検索のページにて「アルル」で検索していただくと見つかります。物書きである皆さんにも一度は対峙してほしい作品です。
さて、前置きが長々となってしまいましたが、いかがでしたか?まだまだ続きそうですね……(まとめきれない自分にガックシ)。
ただ、あの文章を読んだ瞬間、梛木沢に対峙してほしかった。梛木沢晴と言う小説家に対峙して、思いっきり悩んで欲しかったんです。
あの文章を無視する事もできます。でも梛木沢はそれはできない人間です。物書きの皆さんも、真剣に考えて欲しい題目です。