第14話 アイリスと亜麻
公爵邸では、慌ただしく準備が行われていた。
結婚式の期日が近付き、王都への出立が目前となっていたのである。
王太子であるグレゴワール様の婚約者である私は当然として、公爵領を差配することが内定しているコレットの顔見せと、義妹へと引き上げる書面上の手続きを行うために彼女も同行する。
そして本来は連れて行く必要は無かったものの、仕込みのために道化師・ユーリも急遽一緒に来てもらうことに。
更に出立前日には、前祝いとして本邸に残る者らとともにささやかながらもパーティを行った。外から誰を呼ぶわけでもなく、本邸で働く者らだけを集めたパーティは簡素なものであったが、彼等の前でコレットに権限を委譲する旨を伝えたことで私のこの公爵領における最後の仕事は終わった。
パーティの差配をセバスの補助付きとはいえ、できるようになったコレットは以前のような礼儀作法がからっきしであった様子が微塵も見せていない。
それと対照的なのが道化師ではあるのだが、彼女も彼女でみすぼらしさはどうしても残ってしまうが、それでも人前に出せる最低限の許容範囲には何とか落とし込むことができた。まあ、言葉を零す悪癖だけはどうにもならなかったが。
翌日。公爵家の家紋の入った馬車に護衛部隊を付け、屋敷を出る。
思えば長らく住んでいたこの本邸を見るのも最後になるだろう、と目にその景色を焼き付ける。弟の墓参りにも当分行けなくなる。
それが正妃――国母の定めとはいえ、やはり慣れ親しんだ公爵領を出るのにはどうしても郷愁の念を感じざるを得ない。
おそらく、そうした私の心情など微塵も察していないだろう領民らは、私達の馬車に向かって手を振り拍手で送り出す。横に座る道化師などは、その光景に勝手に涙ぐんでいるけれど、まあどうせこの辺りは家臣らが差配したものであろう。おそらく義務的にやっているのに違いなく、彼等領民も目でたいことだとは認識しているがどこか他人事ではあると思う。
そのような冷めた心情とは裏腹に、公爵令嬢として馬車から顔を出し領民らに感謝の言葉を告げる。はしたなくならないように努めつつも、確実に届くように敢えて大声で。声が通ることは貴族において有利になる場面が多いので、王妃にもなる私は幼少期からその辺りも鍛えられているのだ。今までは使う場面はそれほど多くなかったが、これからは大衆の面前に立つ機会なども増えることだろう。
そうして、私は公爵領を後にした。
*
途中経路となる街では領主自ら私のことを出迎えてくれ、そこで一夜限りの歓待を受ける。
無論、私が王子の婚約者であることは周知の事実であることから、領主本人であったりごく限られた親族や彼等の重臣を除けば、その領の女性が私をもてなした。
少し知恵の働く者であれば、この期を逃さずに私が王妃として立った際に、自領に有利になるように裁定してもらうために賄賂を置いていく。私はその全てを、彼等の目に見えるところで目録として残す。
そして、目録と物品は全て王家に納めるために持っていく。正直、この嫁入りのタイミングで私に取り入ろうとするなど時機を逃しているとしか言いようがない。
あるいは、以後領地を差配するのがコレットになることを看破して、彼女との語らいを優先した家もあった。まあ、社交界などに一切顔を出していない義妹なのだから、向こうも苦肉の策という面はあるだろう。
普通に頭が働く者であれば、婚約の公示などは私が幼少期の頃より出ているのだから、時間をかけて我が家と親睦を深めているのである。そういった家だと、旅路の間に催し物を開くなどという此方の都合を一切考えていない不躾な振る舞いはせず、領主が一言二言私に対して挨拶をしたら、妻なり私と年頃の近い娘なりに一切を任せてしまう。そして、そのような家の方が、領主も家族も顔見知り以上の仲であることが多いので心休まり此方の心証が上がるということを良く分かっている。
そして定期的に付き合いのある家ならば、コレットのことを猶子にしようとしていたことくらいは知っているし、何なら此方も聞かれれば素直に答えていた。
油断できぬ家だと、新金属の食器を用意していたり、ユーリが火薬や肥料として消費していた原材料の今後の取引先を聞いてきたりする。商取引とともに、今後そうした新商品がファブリシア公爵家と王家のどちらから出るのか見極めたいのであろう。
まあ、そうしたところにはコレットをぶつけておく。コレットの力量で何とかなるのであればそれで良し、駄目でもまだ私や公爵家の家臣がフォローが出来る段階で勝てぬ相手と認識できるだけでも充分な収穫なので、丸投げにしたし実際コレットはその意を正確に把握し、攻められると判断すればとことん攻め、交渉事で勝てぬ相手と判断すれば即座に退いた。
とはいえ、王都でお父様と丁々発止の政争を繰り広げている程の家ともなると、逆に何もせずに、本当に屋敷の部屋を貸し出すだけだったりする。それでいて消耗品の補充など見落としやすい部分をいつの間にか万端に準備を整えていたりするのだから、全く油断できない。
そして、王都の門前にまで辿り着いた時、その門にて待ち構える者が居たので馬車を止めるように命じる。
すると正装を纏い、白馬に乗った1騎が我々の集団へと勇み出たかと思えば、軽やかに馬から降りてこう宣言する。
「我が王都へ、ようこそ参られたファブリシア公爵家の御方々よ!
――そして、久しいな。我が君、ヴァレリアーナ・ファブリシア。
この私、グレゴワールの名において、皆々方を盛大に迎え入れること、そして王家とファブリシア公爵家の永劫なる繁栄をここに誓おう!」
王子が非常に透き通る声でそのように宣言すれば、周囲を囲む護衛らが、王都内から街道に至るまで出てきた見物客らが歓声を挙げる。
その様子を馬車の中から眺めていた道化師が「……王太子様ってパフォーマンス能力すごいですね」と場違いな感想を零していたことに苦笑しながらも、その道化師曰くパフォーマンスに付き合うために、私も馬車を降りる。
「このような盛大な歓待、誠にありがとうございます、グレゴワール様。
まさしく、欣喜雀躍の思いですわ。グレゴワール様と王家に仕える皆様、そして王都に住む住民の方々。新参者である私達をこれだけ温かく迎え入れてくれて、感激の至りでございます!」
そう言いながら私は駆け出して、グレゴワール様の胸元を目掛けて飛び跳ねる。
少々はしたない振る舞いを意図的にみせていることをグレゴワール様も察しているように意地の悪い笑みを一瞬浮かべた後に、すぐさま王太子にふさわしき柔和な表情に戻した後に、私の身体を受け流すかのように、けれどもしっかりと受け止める。
その社交の場で見せる円舞のちょっとした応用を見ていた王都の住民は一番の歓声を挙げる。
そして抱きかかえた私の耳元で王太子はこう小さく告げる。
「……やってくれるね、ヴァレリアーナ」
「……門前で待ち構えるのであれば、先に仰って下さいな。このくらいのアドリブは授業料ですわよ」
そこで、一旦離れて私は馬車に戻り、私達はグレゴワール様の先導で王都へと入る。王都の中は私達を一目みようと人でごった返していた。
内心少しばかりその人数に圧倒されながらも馬車の中から群衆に向かって手を振る。完全にその場の空気に飲まれて硬直しているユーリが面白かったので、そのまま放置していたら彫刻のようにずっと固まりっぱなしであった。まさかの人見知りか、この娘。
それで一旦私は事務手続きも含めて王城へ登城する運びとなり、護衛や側仕えの者を除けばコレットが先導して王都のファブリシア公爵家の屋敷へと向かう。お父様が普段使いしている所だ。
*
王都にやってきて1週間程が経過した。その間、王家とそれに類する辺境伯様の面々にお会いして改めてこれからグレゴワール様の妻となることを挨拶しにいったり、ファブリシア公爵派……というかお父様が築き上げた派閥にコレットの紹介を行ったりと、社交で忙しい日々を過ごす傍らで返礼晩餐会についての最終準備の指示を出していた。
会場などはもう数年前から抑えていて、細かな演出なども事前に調整済みだから、今となってはほとんど確認事項や漏れのチェック、後は当日の飲食物の手配などが主となる。
「……いよいよ、明日か。早かったものだな」
「……ええ、お父様。こうやって親子で食事を取るというのも、ひとまずは最後になりますわね」
まあお父様と食事を一緒に取ることなど生まれてこの方、王都に居る時か、数少ない帰省したタイミングくらいなのだからさして感慨深いものでもないのだが、そのような無粋なことは誰も流石に口に出さない。
この場に『家族』として同席するコレットもこれくらいの応酬には慣れたようで、全く気にも留めずにご飯へと意識を向けている。
「何か、最後に言っておくことはあるか?」
今生の別れでも無いのに、珍しく消沈した様子のお父様から告げられた言葉は殊更に、そして今更に家族としてのものであった。
「……そうですね、領地についてはコレットが差配することでしょうし大過なくいくとは思いますが。
後は、明日からは政治的な都合で感動的な言葉を口にするので、今のうちにお父様に本音を。
お父様、あなたは父としては最低でしたよ」
「……くくっ、であろうな。碌に本領に帰りもせず、王都で政争に呆けるばかり。で、実の娘にも疑心を向ける有様ともなれば、私も好かれるとは思っておらん」
「――ですが。
……貴族当主としては、お父様程に参考になる方はいらっしゃいませんでした。これからは、王妃としての責務をこなしつつ、お父様が外戚として最大限専横を振るえるように御助力させていただきます」
照れを謀略と政略で覆い尽くした私の言葉は、王都でそうした謀の数々に慣れたお父様にとって紐解くのに容易な言葉であったようだ。
しかし、お父様も本音で語り合うには些か時が経ち過ぎたようで、返ってきた言葉はやはり政略に類する言葉であった。
「……たかが、小娘1人に支えて貰わねばならぬほど私はまだ耄碌しておらんよ。ヴァレリアーナ。お前は自らが果たすべき執務だけをこなしていれば良い。下手に動かれた方が、公爵家として動きにくいわ」
「……義姉様も、義父様も。どうしてここまで言葉を伝え合うのが下手なんだか……」
コレットの呆れの混じった呟きは、異様に部屋の中を響き渡った。
*
「……ヴァレリアーナ、ちょっといいかな?」
「ええ、構いませんが……」
翌日、王都に登城してドレスの着付けを行う前にグレゴワール様から声がかかったので、別室へと移動する。
周囲の気配もなく人払いもされていることから、それなりに重要なことを伝えられる様子だ。
「……準備で忙しいときに手間を取らせてしまって済まないね。
ヴァレリアーナは、幼い頃に婚約式で渡した――アイリスの花。あれを持ってきているかい?」
……コレットから聞いていなければ、大変なことになっていただろう。
「はい、いつまでも枯れずに不思議に思い持ってきたのですが、やはり『聖別』された品であったということですか……?」
一応知らなかったが持ってきたという体裁にする。まあ、この辺りは知ってて持ってきたのは暗黙の了解ではあるが、こう話した方が可愛げがあるというだけのものだ。当然王太子様もそれくらいの機敏は把握できる人物である。
「良かった、持ってきていたか。実はね、婚約式で交換した物品は婚約指輪だけではなく須く聖別されるみたいでね。まあ、無かったら無かったで何とかするつもりであったが、持ってきていたということならば安心だよ。見せてくれるかい?」
思えばコレットが王家側の人間であったことから実に茶番なやり取りではあるが、まあここで初めて知ったという体裁の方が当たり障りが無いというのも事実なので、王太子の芝居に乗っかって、一旦ドレスの着付けをしていた部屋に戻って荷物からアイリスの花の入った装飾箱を取り出して王子に渡した。
すると、王子側も凝った意匠の箱の中を私に見せる。中には案の定ではあるが、私がかつて渡した亜麻の花が入っていた。
「もう何年も経ち、普通は朽ち果てるはずなのに、こうして今も花が咲き乱れているところを見るに、聖別というのも真実のようだね。……ともかく助かった。
これで教会の連中にも一泡吹かせられるよ。
……そうだね、ドレスに箱ごと隠し持つことはできるかい?」
普通淑女の着るドレスには荷物を入れるスペースは無い。……という建前だ。護身用の武器であったり、小物を入れる場所があるに越したことはないので目立たない位置に実は用意されていたりする。
木箱となるとちょっと嵩張るけれども、まあ許容範囲であろう。
「……一応は」
そう言えば、グレゴワール様は柔和に笑い、
「それじゃあ、ヴァレリアーナ。君の素晴らしいアドリブに期待するよ」
とだけ言い放ち去っていった。何する気だ、この王族が……。
*
――国王陛下より結婚祝福の言葉が述べられ、大司教からは祈りの言葉が紡がれて、王室聖歌隊による聖歌と、それに対してのファブリシア公爵家楽団による返歌が執り行われた後。
即ち、王族と公爵家関係者だけで行われる宮廷大聖堂での儀式を目前にした瞬間。王子は宮廷大聖堂前の広場に集まる貴族、そして平民に向かって言葉を交わした。
「これから大聖堂内で、私は生涯の伴侶となる――ヴァレリアーナ・ファブリシア公爵令嬢と愛を誓う! 皆の者、私とヴァレリアーナのこれからの人生を祝福して欲しい。そして、彼女を新たな王族として迎え入れ、我が国の永劫の発展を私は彼女とともに約束する――」
そう言葉を告げた王子は、ヴァレリアーナに目配せをすると、2人とも別々の装飾箱を取り出し、その蓋をそっと開いた。
すると、次の瞬間。
広場は溢れんばかりの2種類の花が舞い上がり、一帯を幻想的な光景へと包み込んだのである。
それを見た貴族や平民らは、王国の発展とこれからの前途に対して確かな希望を実感した――と文献には記されている。




