第12話 結婚と政略
――王族の結婚とは、それすなわち政治的な一大事業である。
生まれて間もない頃から婚約者を選定するのは、何も先に婚約相手を決めておくことで直前になって婚姻希望者が殺到することを防ぐためだけでも、あるいは婚姻を巡り権力闘争を激化させないようにするためだけでもない。
ある一面としては、ただ単純にそれだけの一大事業を成功させるためには準備期間が必要であるという側面もあるのだ。
まず、これは他の貴族やあるいは平民であってもそうなのだが、結婚に先立って教会や大聖堂にて婚約式が執り行われる。婚約式は結婚前であればどの時期に行っても構わないが、40日間の婚約公示期間があり同時にこの公示期間がそのまま異議申し立て期間となるため、どんなに急いで結婚を行う場合でも40日以上前には婚約式を済ませておく必要がある。
平民ならともかく、そのような切羽詰まったスケジュールで婚約式を執り行えばたちまち『何かがあった』と察せられるために、多くの諸侯は幼少期に婚約相手を定めて婚約式を行う。これは王族相手の場合でも例に漏れない。
更に大貴族や王族の場合には、その婚約相手を定める婚約者候補選定の時間も大きく割かれていて、国政に密接に関わることから時の有力者が何度も会議を重ねることで婚約者を1人に定める。それを幼少期になる前までに執り行う必要があるから、必然的に生まれて間もない頃から結婚へ向けての話し合いが行われるのだ。
で、その婚約式において指輪交換――義妹であり宗教知識に長けたコレットに言わせれば『婚約式での品物の引き渡し』全般――は、所有権の譲渡を示す教会法での契約関係に関わる法的拘束力を有する誓約と同等の効力を発揮する。
と同時に、道化師・ユーリが我が家に仕官する際に持ち出したように、結婚は封建法や相続法といった王国法における土地相続や財産分与にも大きく関わる。なので婚約式が執り行われてから結婚式が行われるまでの期間中に、王家の官吏はその婚姻に際しての不当な財産や土地の移動が無いように監督する義務が発生する。この意味でも婚約式と結婚式があまりにも近い期間で行う貴族は、結婚を利用した不正な資産移動の疑いをかけられて詮議に挙げられかねない。
そこまでの前提があり、結婚式は初めて行われる。そして王太子の婚姻とも成れば次代の国王の結婚と言っても差支えが無いことから、当然だが王国中の貴族に招待状は出される。それどころか国外の関係のある国々にも公示は行き渡り、この結婚式のために仮に戦争状態にあったとしても戦争当事者である貴族が『戦争』を理由に欠席することなどがあればそれは即座に国家としての失点となるため、講和や一時休戦といった外交状況の変化すらも発生する。他国との国境沿いを取り纏める諸侯や辺境伯には王家の血族に連なる者も多いので彼等は確実に招待せねばならないからだ。
その上で、結婚式は宮廷内部の大聖堂にて実施されるので当たり前だが、教会側との摺り合わせも必須となる。
そして結婚式は大聖堂で執り行われる婚姻の儀だけを指さない。ここに参列できるのはごくわずかな関係者のみであるため、結婚式の夜に行われる『祝賀晩餐会』にて大多数の貴族や国外の要人らとともに盛大に祝う。王族の結婚における『祝賀晩餐会』ともなればその時々の王の権勢を誇り、同時にその優美さが今後の外交にも直結することから決して手を抜くことが許されず、これの準備には何年も費やされる。
更には、こうした一大事業であるため参加できるのは貴族のみに留まらない。結婚式の翌日に行われる『結婚昼食会』においては、王都の大広場が解放されて、そこで如何なる身分の者もワインが無償で饗される。出店や屋台に大きな市も開かれ、古今東西の娯楽が一挙して集まるこの日には国内外からその見物に多く訪れる程だ。
そうした王家の行動に倣って、各貴族もこの日にワインを無償で領民に振る舞ったりするので、この日の為のワインの確保すらも非常に重要な内政問題として挙げられる。
そして『返礼晩餐会』でもって、ひとまずの結婚式の一連の流れは終わる。『祝賀晩餐会』と『返礼晩餐会』自体は一般の貴族であっても規模は違えど執り行われる。その際の例に漏れず王族の結婚の場合でも、『祝賀晩餐会』を主催するのが上位者、『返礼晩餐会』は下位者という位置付けが定められている。なので、我がファブリシア公爵家としては、私とグレゴワール様の結婚に際しては『返礼晩餐会』をつつがなく進行する必要がある。
つまり、ここまでで何が言いたいかと言えば。
「……解せないわね、ユーリ。
コレットを引き入れた理由が、コレットと王太子であるグレゴワール様との婚約を防ぐためですって? ……まあ、既に結ばれている私とグレゴワール様の婚約を破談にするというのは、王権を傷つける意味ではあり得る策略かもしれないけれど、それは無いと思うわよ」
「……充分に準備の重ねられた王家の結婚式を壊す。それが次期国王である王太子のものであれば、以後の統治に影響を及ぼすということですよね」
珍しく物分かりの良い道化師に対して賛同の意を返す。
「ええ、その通りよ。これだけ直近になって我がファブリシア公爵家にも瑕疵が無いのにも関わらず、急に婚約を破談にしたら王権の動揺は免れないでしょうね。ただ……」
道化師は、反王家陣営の策略がコレットとグレゴワール様の婚約にあると推測を述べている。
無論、コレットが女性であることと、王家に反旗を翻し滅ぼされたカトゥー家の取り潰しになる前は公爵相当であり王家との婚姻に一応の蓋然性は生まれている。だからこそ、背後での反王家の動きにそういったものがあるかもしれないとは考えてはいた。
だが。どうしても納得のいかない点がある。
「……矛盾しているのよ、それだと。
王権を傷つけることが反王家陣営の目的であれば、婚約を破談にするだけで良いのよね。コレット自身と結婚させる意味は薄いわ。
逆に王子を傀儡として王権を掌握するのが目的ならばむしろ悪手の類よ。全てがうまくいったとしても。既に結婚適齢期にあるコレットと王子の結婚式を行う準備の時間なんてまともに無いのだから、結局は私のために準備を焼き直すだけになるのよね。……そもそも、この場合ならこんなにあっさりコレットが私達の手中に収まるわけないのよ」
考えれば考える程に、コレットを利用して私と王子を婚約破棄させて王子にコレットを結び付けるというやり口は、無理しか生じないように思えてならない。
そう、あまりにも不可解なのだ。
仮に私を追い落とし国母の座を狙うのだとすれば、そもそも仕掛けが遅すぎる。それに確かにカトゥー家は公爵相当ではあるが、婚姻まで辿り着くためには名誉回復を行う必要があるため、如何に当初は平民身分であり囲い込みがしやすかったからとは言っても不自然なのだ。計画の完遂まで見据えるのであれば、現役高位貴族の娘を使う方が遥かに効率的だ。
コレットが私への攻撃材料として有していた『婚約典範』にまつわる宗教知識も、本来私に敵対する貴族家にでも渡せばいいのに、コレットに持たせた点。これも良く分からない。
あくまでも王子を籠絡し、例えば側室として昇り、私を王子から遠ざけるなり王宮内で殺すなりの手段のためだとしても、やはりコレットは不適格のように思える。
弁舌能力も胆力も申し分ないが、肝心のコレット自身が反王家というよりも反貴族に近い考えの持ち主であるため下手すれば王子を殺しかねない。
そして王子を殺すための人員としてはあまりにも知りすぎている。
加えて、いずれの場合にもコレットを公爵家でこんなに簡単に抱え込めてかつ、反王家側の動きが一切無いことの説明が付かない。
「……あの、お嬢様」
「なにかしら、ユーリ? あなたのその道化師という名の通りの狂言は、それだけなの?」
「――反王家陣営ってなんです? はじめて聞きましたよそれ」
……全く。この道化師は何を言い出すかと思えば、そこから話に付いてきていなかった……いや。待て。
コレットの出自についてはこのユーリからもたらされた知識であった。にも関わらずユーリは反王家陣営に対して全くの心当たりがない……?
ユーリが私に嘘を? いや、そんな器用な小娘ではないことは分かっているが、それは一旦保留。彼女の発言をまずは真実として考える。
私がコレットの背後に反王家陣営が付いていると確信したのは何時だ? 最初からか?
いや、違う。私とセバスはコレットの存在を知ったときは、『カトゥー家の血縁を間引きしつつも絶やさない勢力』があることを教会の人別帳から確信したのだ。
……いつから、それが反王家陣営に転化した? そうだ、それは初めてコレットと会ったときの――
『――王家に不満を持つ者を迎合するときの体のいい旗頭。それが私の役割』
これだ。コレット自身の発言から私は、コレットの裏に反王家陣営が居ることを確信した――確信させられていた。
私は声の震えを隠せずに、ユーリに問う。
「ね、ねえ……ユーリ。……あなたの知っている、コレットについての情報を……教えてくれないかしら?」
「え? お嬢様が調べている通りなんじゃないですかね?
ヒロイ……いや、コレットさんは謀叛人のカトゥー家の末裔で、両親を失った天涯孤独の身の天才少女。独学で経理を習得して、預けられた薬師から薬学調合知識を吸収。それと並行して人別帳の管理権限の及ぶ修道院長に接触して修道院ごと掌握。
シナリ……いや。公爵領に来られるまでの私が知る限りの経緯はこんなものですが」
……なんだそれは。修道院の話はコレットから聞いていたが大きく差異がある。この道化師の発言も真実なのか?
真とすると、コレットは自分自身で人別帳の改竄が行える立場にあったのに、わざわざ猶子になる際の付帯条件として求めてきたのか? 自分で改竄できたのに、服毒自殺まで図ろうとした上で?