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第11話 ノーフォーク農法と牛乳


 結局、コレットが復調し命の危機から脱したことを確認してから彼女の猶子化は進めることとした。

 コレットが服毒した件については箝口令を敷き、私達を害する意図を持った第三者の犯行として、コレットは私やお父様を守るために毒を飲んだこととした。


 調理関係者も給仕担当者も不問にして、薬師手伝いであるコレットだからこそ防ぐことが出来た……ということにした。


 そしてお父様と相談した結果、セバスと策謀して『薬師手伝いのコレット』はこの一連の騒動で死亡したことに。死因は、毒物による中毒症状。

 だが高々平民のために公爵家で葬儀などを開く道理も無いので、此方で薬師に対しては見舞い金を渡して落着。まあ表向きの体裁はそういうことで実態はコレットを公爵家で匿うための口止め料を兼ねているわけですが。



 また、薬師手伝い・コレットが書面上死亡したタイミングとほぼ同時期に、ファブリシア公爵家一族の娘・コレットを本邸へと招いたということにした。

 見事なまでの経歴詐称であるが、ここでの重要な点は一族の娘とぼかしている点で、実際に一族のうちどこの出身かは明言していないところ。


 加えて、そのコレットが亡き弟の婚約相手候補であったという話を更にでっち上げる。これで私との関係性が薄いながらも面識があってもおかしくない間柄にすることを担保したと同時に、これから実際に統治委任をしていく正当性の看板を確保した。


 で、ここまでやって次に風説を流す。曰く私ことファブリシア公爵令嬢は歳の近い使用人の死で、弟の死を想起してしまい、病弱であった弟の元婚約者候補の少女を呼び出した……という筋書き。意図的に捻じ曲げている部分は多いが状況証拠だけで見れば真実に類する話も混在している。これで情報の取扱いに長けた人物を騙すのは少々心許ないが、コレットの人別帳という最も確信に至れる情報をこのどさくさに紛れて改竄して『薬師見習い・コレット』すらも、カトゥー家の血縁を可及的に追うことは不可能となっている。


 と、ここまでの一連の行動を行った結果、反王家陣営からの何らかの反発があるかと思ったがそちらは特に音沙汰は無く。私達がリスクとして計上していた程の相手では無かったか、あるいはその経歴ロンダリングの手口を見抜いているが故の傍観なのかの判断は付かなかった。


 ともかく、これで一応コレットは身内という体裁が整ったので、貴族教育を施す傍らで政務を彼女にもみせている。だからこそコレットが今後の公爵家で中核を担う人材と成り得ることは薄々周囲も察していくだろう。

 これで適切な時期に、正式に本家の猶子として立ててやれば私の妹として領地の差配を任せ委任統治することが適う。これでようやく道化師・ユーリから出された課題である領地相続に関する問題は解消される。



 その体制を打ち立ててから季節が数巡めぐり、猶子工作も間もなく日の目を見るかどうか、となったある日。

 ユーリが満を持して成果を報告したいという事業を持ってきたので、コレットに判断を任せてみることとした。




 *


「……それで、ユーリ嬢。近頃は新農法指導を行っていたとのことですが」


「ノーフォーク農法です!

 小麦と大麦の他に、クローバーとカブを育てる4年輪作の農法であり、休耕地を置かないことで農作物の収量の飛躍的な増加を見込むことが出来ます!」


 私の元にも手渡された資料をめくってみれば、確かに農作物の収量を重量ベースで表した資料には従来の畑と比較して、飛躍的と掲げるのも納得の数値は掲げられている。


「……4年輪作、ですか。ユーリ嬢、ファブリシア公爵領での農業はご存知ですか?」


「はい、伝統的な三圃式農業ですよね。このノーフォーク農法では、カブとクローバーを家畜飼料とすることで、今までほとんどを加工品として最低限の数しか残せなかった家畜の冬越しを可能に出来るのです!」


 自信満々に答えている道化師の姿は少々癪に障るが、言っていることは概ね事実である。

 確かに、圃場を3区画に分け、小麦やライ麦を栽培する区画・豆や大麦を栽培する区画・休耕区画に分けているのは事実である。


 ……ただしその原則は公爵家の直轄領に限られ、農奴や自由農民の所有地ではその限りでは無い。


 しかし此度はコレットの手腕を試す場。ひとまずコレットが何を指摘するのかを見る。


「……根本的な疑問なのですが、ユーリ嬢。

 今まで仮に(・・)3つに分けていたものを4つに分けたとしたら、租税である小麦の区画は3割3分から2割5分に減っていませんか?

 大麦はともかくとしても、カブやクローバーなどでは税として取るには新税の制定が必要ですよ」


 コレットの言う通り、税の基盤は小麦だ。

 その小麦にかける土地の広さを単純に割り振れば減らしている。土地そのものの広さを狭めてしまえば、当然その収量も減退するという危惧は当然だ。

 更に突き詰めて考えれば、クローバーはおそらく世話をしないと仮定したとしても、今まで休耕地として農作業程には緻密な管理の及ばなかった地域が減り、新たにカブの栽培という労働が増える。即ち、個々の土地に投下出来る労働力は低下し、労働集約性が損なわれるはずだ。そして労働集約性の低下は、そのまま生産性の低下に直結する。本来であれば土地が狭くなり労働集約性も下がったとなれば、小麦生産量は下がるはずなのだ。

 しかし、そうなっておらずむしろ収量は重量ベースで飛躍的な向上を示していると資料に書かれている。理由の1つは単純で、税として採れぬはずのカブを生産物として計上してしまっている点。

 だが、それを差し引いても小麦の収量は増加していると思える。小麦にかける土地も狭くなり労働集約性も低下しているのに。さて、その理由をユーリは何と説明する?


「まず、カブとクローバーに税はかけられませぬがそちらは家畜への税で対応可能かと。

 そして、この資料では同じ広さの畑で従来の農法のパターンとノーフォーク農法とを比較したものですが、実際には火砲に用いられている火薬の製法を一部転用すれば新型の肥料も作成でき、その肥料を投下すれば今まで耕作地に適さない場所も開墾可能となるはずですので、土地面積の面でも、単位面積当たりの収量も更なる増収が見込めると思います」


 ……この道化師。また予算の流用をしていたのか。火薬調合用の予算で勝手に肥料を産み出していたとは。とりあえず功績の帳消しはこれで確定。


 まあ、コレットの素質を見る場だから、それは後でいいか。

 肥料の投下で対応可能という道化師の物言いにコレットはどう返すか?


「――駄目ですね。問題が多すぎます。

 どこから言えば良いのか悩むほどですけれども……。結局のところ肥料投下による資本集約型の農業ですね、それ。お金をかけているのだから収量が増えるのは当然のことではないでしょうか。

 まず小作人や農奴では肥料を手に入れることが出来ず大前提が崩れるでしょうし、仮に公爵家直轄地に限定するにしても、どれだけの予算がかかるのか……」


「肥料を本格的に生産すれば、単価は大幅に下がると思いますが、コレットさん?」


「……ユーリ嬢。

 あなた、先程。火薬と肥料の製法が近しい、と言いましたよね? 如何に火砲が公爵領の独自技術とはいえ、大々的に火薬の材料を大量に仕入れでもしたら、戦争準備しているようにしか見えませんよ」


 火砲はユーリの生み出した新式武器であるが為に、実戦データは存在しない。だからこそ他領において大々的に研究をしている所は少なく、我がファブリシア公爵家が先行者の恩恵を受けている。とはいえ城砦などに配備したことで武器であることは既に露呈しているわけで。その中で焔硝や硫黄の大量購入などしたら社交的に大変なことになるのは火を見るよりも明らかだ。


 そして私も補足を兼ねて、ユーリに対して指摘を行う。


「……それにユーリ。そもそも勘違いしていないかしら? 我が領の農法が三圃式とあなたは理解しているみたいだけれども、それちゃんとやっているのは直轄領だけですわよ」


「えっ、公爵領なのだからほとんど直轄なのでは?」


 その道化師の物言いに私とコレットは溜め息をつく。どうやら根本的な部分に理解が及んでいなかったようだ。確かにファブリシア公爵家の施政が及ぶ領域を領地として差配しているが、土地の帰属や所有権に関しては別問題だ。譜代の家臣らに下賜した土地もあるし、先に述べたように農奴や自由農民に所有が求められた土地もモザイク状に存在している。


「……我が国では、農奴や自由農民といった平民階級でも財産権は保障されていますよ。法学知識で公爵家に雇われたと伺っているユーリ嬢に今更説明するのも不思議な気持ちですが、土地も財産の一種として当然扱われますので……。

 所詮、直轄地を除けば徴税権限しか有さない貴族家が、農政に関与できる余地は少ないのですけれども。てっきり、その辺りも分かって新農法の研究を行っていると思っていましたが……」


「……あれ? 領主なのだから土地利用は自由に出来ると思っていたのだけれども……」


「そもそも土地相続まで踏まえると教会の人別帳も関与してきますので、平民の土地所有権に無理に介入しようとすると教会の権限とも抵触いたしますよ。ただでさえ、教会独自で自由農民や農奴の土地と教会領の荘園と合わせて農作業している厄介な例もありますのに……」


「……コレット。その話は初耳なのだけれども」


 土地所有周りの権限は代々の領主の所領安堵に関する書状や、教会による認可の例など色々と面倒になっていることは私も知っている。それが各平民でバラバラに認められていて、しかも成立年度もバラバラだ。同じ土地に何重にも相続が認められている場合すらあり、貴族の仕事の1つとしてそうした領内の領地争いの陳情受付・仲介がある。

 だがしかし。教会側で勝手に農法を試している話は知らなかった。


「あら、ヴァレリアーナ様も知りませんでしたか。

 貴族家直轄地で為されている三圃制を教会の荘園でも導入しようとする動きがありますが、教会領は各貴族家に点在していてそのような広大な圃場を確保できないことが多いので、土地所有者の信徒を集めて交換分合を行い『教会共同体』としての財産名目で農民には持ち分だけの権利を与え教会の農制関係者が毎年農民に指示を出して模擬的に三圃式農業を機能させている例があります。

 ……ファブリシア公爵派の大司教様も漏らしておりませんでしたか。実務層での動きだったのかもしれませんね、修道院の書庫には資料がありましたが」


 共同体資産として小刻みに分かれた土地を集積して再分配。そのような手法を教会では既に実践していたとは。教会勢力に友好派閥を形成をしても気付けぬ動きがあるのだから彼等は末恐ろしい。


 そこまで告げるとユーリは呟く。


「うーん……。土地の権利がバラバラで統合できない上に、容易に介入が出来ぬ教会の権限にも踏み込む必要がある以上、広大な土地を一元的に用意できるのは直轄領だけ……。

 で、直轄地でならばノーフォーク農法の導入は可能であれど、効果は限定的に成らざるを得ない上に、肥料の投下が予算の面からも外交関係の面からも目途が立たないとなると、流石に農法を転換するメリットが薄れる上に混乱を生みかねないか……」


 その道化師の独白を耳にしつつ、更にコレットが付け加える。


「あと、それとユーリ嬢。

 カブの栽培についての資料で1つ気になったのですが……。根菜であることから土の中で生育する以上『砂質地での生育が望ましい』と実務者のメモがあるのですけれど、この条件では従来の小麦栽培適地とは真っ向から対立しませんかね?

 直轄地は歴史的な経緯からどうやら肥沃な地を積極的に確保しているようですので、正直公爵家直轄地に導入する農法としては不適切ではないかと……」


「となると……このノーフォーク農法は失敗ということですか……?」


 ユーリの絶望にも似た呟きを前にしてコレットは私の方をちらりと見てきたので、私は何も言わずに無言で頷く。


「……これまでのユーリ嬢の努力を考えると誠に残念ですが……そうですね。

 農業試験としての価値があることは認めますし、肥料の研究などは引き続き行っていただけるとありがたいですが、全領への導入となるとこの新農法には不備が大きいかもしれません」


 多少、甘い裁定なのかもしれないと思ったが、実際に収量を上げる手法を見つけていることと、肥料の開発には成功している点から、ユーリの管理していた農場を研究施設として活用するというのは有りと判断したコレットはそれもまた正しいのかもしれない。


 ひとまず、ユーリはともかくとしてコレットの差配は特に問題なさそうだと安心して、私は椅子の背もたれに寄りかかり、ユーリの管理農場で飼育されていた牛から搾られたという牛乳を飲む。


「……ん? ユーリ。この牛乳、普通のものとは風味も味も全然違うのだけれども」


 私が、そう話せばコレットも慌ててコップを持ちそれを飲む。


「……確かに、大分甘味が強いですね……。これは、いけるのではないでしょうかヴァレリアーナ様」


「ええ……この方向性なら、まあ……」


「あの。えっと……つまり、どういうことですか?」


「あのね……。飼料か農場の環境かは分からないけれど、この牛乳なら高付加価値化路線で売りさばくことが出来ると思いますわよ。以前の新金属の食器程ではないですけれども、これも公爵家を代表する産品になるやも……。


 ユーリ。とりあえず量は求めないわ。この味と品質を維持して安定供給出来る手段を模索しなさい」



 ――それからしばらくすると、公爵家の管理事業の1つに農業試験場が追加さる。そこでは肥料の局所管理手法や土壌改良研究などが中心に行われるようになったが、道化師ユーリが研究費を管理する高品質牛乳の製造分野が存在し、公爵家としての中核研究は農法よりもむしろ牛乳の味の改善にあったと言われている。

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