第10話 ファブリシア公爵家とヒロイン(後編)
「……で、だ。一応名義上とはいえ娘にするのだから、そのコレットとかいう娘に会わせて欲しいのだが」
お父様の鶴の一声から、先の猶子工作を伝えた日とは別日にお父様とコレットの面会の場をセッティングする。
コレットは毒殺防止などの件があり、この公爵家本邸においては既に私の紐付きとして見られてはいるものの、公的身分においてはユーリ同様に貴族ではない。だからこそユーリを道化師として雇用したように本邸の常駐とするのには一手間が必要となるので、実は私の『香の好事家』という面で定期的に呼びつけているだけである。
だからこそ、お父様との面会も名目上は、そうした『娘への香の調合依頼の礼』という形にした上で、偶然薬師が体調を崩して代理でコレットが呼ばれた……という筋書きになっている。
極めて面倒なプロセスを踏んでの面会にはなっているが、公爵家当主と公爵令嬢の雇われ薬師の侍女は身分の差が隔たりがあることの何よりの証左である。とはいえ、こうした迂遠なやり口で面会の場を作ること自体は適うのだから、一概に硬直しているというわけでもない。
「お初にお目にかかります、ご当主様。
ヴァレリアーナ様に匿われております、コレットと申します。……私の処遇が決まりましたか」
そしてコレットの前口上はそうした真意をすべて悟ったものであった。表向きの調合依頼の礼が体裁でしかないことを即座に見抜き、最初から薬師ではなく自身が呼び出されることを把握した上で、それがカトゥー家の末裔という古の叛逆者の血筋を継ぐコレットの処遇に関することであることを即座に看破している。
その上で、それをあえて先手をきってお父様にぶつけることで、最初から自身が切れ者であることを見せつけた方が良いと判断している。私との初対面のときはわざわざ侍女に直言を許すように視線を送るほど迂遠なやり方をしていたのに、今回はかなり打って変わって最初から攻めてきている。
お父様も一瞬その様子に表情をわずかに歪めるが、その意図を把握するとこう切り返した。
「……ああ、そうだ。話が早いな。コレットよ、貴殿を我がファブリシア公爵家の末席に加えようと思うが、どうか」
「――っ。……それは、ご当主様の一族との縁組ということで?」
「いや、私の猶子として娘になってもらう。そこの私の愚娘の妹、ということになるな」
ほとんど聞き役に徹してしまっているが、お父様がコレットを見極める場なのだから私から介入できることはほとんど無い。それに、彼女の才覚でなら私の助力は状況次第では迷惑になることもあるかもしれない。
しかし、お父様はいきなり本題を切り出してきたか。如何に私が水面下で猶子工作を行っていたとはいえ、彼女にはまだ一度も知らせてはいない。そうした部分もお父様は織り込み済みで、咄嗟の対応能力を判断しようとしてこうして切り込んだわけであろうが、コレットは果たしてどのように返すのか。
「……そういう流れになりましたか。反体制派と王家の両賭けということですね。本命はあくまでもヴァレリアーナ様の婚姻で、万が一の事態が起きれば私に公爵家の者を継がせる算段、といったところでしょう」
……こちらの読みをほぼ完璧に看破するか。
「――左様。本来このような問いかけはするつもりは無いのだが、コレット。そなたはこれから私の娘となるからな。意見を聞こうか」
「それは、猶子となることに拒否権がある……ということでしょうか」
「いや。拒否権は無いし、決定権もそなたには無い。……ただし、希望を聞き無理なき範囲で助力はするし、猶子となった後の展望に関する選択権はある」
お父様の発言はある種当然の帰結、というかむしろ温情があるくらいだ。
本来、平民を貴族に引き上げるということはそうあるものではない。例えその平民に貴族家の血筋が流れているとしても。だからこそ、先にお父様は私の提案に難色を示したのである。
しかし先例が皆無、というわけでもない。例えば跡継ぎが不在の状況であったり、逆にどうしても跡を継がせたくない者がいる場合などに、平民へ落としたり認知しなかった庶子を貴族へ引き上げる……ということは行われることがある。
「まず、心の内に留めて戴きたいことが1つ。
確かに私はカトゥー家の血を引く者ではあります。……ですがその血統は三百年の腐ったもの。――大前提として、貴族復帰を望んでいるわけではないということはご承知頂かねば。またこれも敢えて口にする程のことでもございませんが、平民が皆一様に立身出世を求めているわけでもないことも」
コレットは最初に明確に不満を表明してきた。しかし既に拒否権が無い以上、不服であるという意思表示以上の意味はない。それはコレット自身も重々承知のことであろう。
お父様も私も、そのコレットの言に神妙に頷く。その様子を確認した後にコレットは続ける。
「……では、1つ確約して頂きたいことが。寡婦・ディアーヌから私まで連なる人別帳は手元にありますか?」
この質問に対しては私が答える。
「ええ。写しならこの本邸で保管していますし、原本は我が公爵家と意の通じた枢機卿が抑えております」
その言葉を聞き、コレットはゆっくりと自身に注がれた紅茶を、覚束ない所作で飲む。
相変わらず作法がなってない。飲んだ後に何故か濡れた指を拭う姿を私は見逃さなかった。一体どうやって飲めば指に紅茶が付くのやら。
そして一息ついた後に、こう告げる。
「――で、あれば。そこから私がカトゥー家の血縁に連なる者である事実を抹消すること。それを確約して頂きたく」
*
さらりと告げられたその言葉は、身分不相応のものであった。お父様は若干の苛立ちも込めて放言する。
「……それが意味の無きことであるのはコレット、そなたが一番分かっておろう。
そなたに流れる血の証明たる人別帳を否定せしめれば、そなた自身の価値を損なうことに繋がるのではないか。それを私達が容認するとでも」
お父様は言葉を濁したが、つまりはコレットがカトゥー家の血縁であることが証明できなくなれば反体制派を迎合する駒という側面を損なうこととなり、公爵家が王家と反体制派の両天秤に賭けるという構想を破綻させかねない。
しかし。疑問が残る。何故コレットはこちらが認めるはずがない提案をしたのだろうか。彼女の聡明さをもってすれば、容易に想像できように。
何故、わざわざ非現実的な提案をして不興を買う真似をするのか。
そうした私の疑問は次のコレットの一言で氷解する。
「……別に受け入れてくれなければ、私が死ぬだけですから」
――そうだ。この子。自分の命に全く重きを置いていないのであった。
しかし、まだこの時点では私は驚きはしたが動揺はしていなかった。それはお父様の言葉で代弁される。
「……ははっ。稚拙な脅しであるな。
死ぬ、と言った人間をみすみす死なせる程、ファブリシア公爵家は甘くないわ。
そなたは死を恐れぬという手の内を晒してしまった。であれば我等が対応するのも必定であろう?
――だからこそ、カトゥーの血縁であることも消さぬし、猶子にもなってもらおう――」
言い切る前にコレットは目線を下に向けてしまった。
さすがに打つ手が無くなったということだろうか。コレットの目線の先には自分の手先と先ほど口を付けたティーカップ……。
……ん? ティーカップ?
ソーサ―の上に置かれた使用済みの銀食器のティースプーンはその輝きを損なわずに光っている。
そしてそのティーセットの様相から少し目線を上げるとコレットの表情が見て取れた。
お父様の発言を受けてなお、彼女の表情は全くぶれていなかった。何故だ。策は尽きたはず……いや。まさか!
私は思わず立ち上がって、言葉を投げかける。
「コレット! あなた、まさか――自分のお茶に……」
「流石、ヴァレリアーナ様。ご明察の通りです。
先ほど既に遅効性の劇薬を服毒しておりますので、私の命はもって数時間といったところでしょうか。
このまま見殺しにして頂いても結構。
先の人別帳の条件を飲んでいただけるのであれば、解毒いたしましょう。
あるいは他の選択肢を取りますか……?」
この瞬間、私は初めて彼女の純真無垢な笑顔で心から恐怖した。しかし、心と裏腹に私の口は良手を導き出した。
「……セバス。侍女を呼べ。彼女の身体と服をくまなく探して解毒剤を見つけ、無理矢理にでも飲ませろ」
「はっ……」
それから1時間経過しても、コレットの身辺から解毒剤らしきものが見つかることは無かった。
*
「……そろそろ真面目に彼女を見殺しにするか、要求を受け入れるか考えねばならないか。
ヴァレリアーナ、あの小娘が本当に劇薬を飲んでいると思うか?」
引き続きコレットは、隣の部屋で解毒剤の在り処について口を割るように詰問されながら、探し続けている。
彼女が口に出した刻限が数時間である以上、どういう旗振りをするのかは決めておく必要がある。まずお父様がしきりと気にしているのは彼女が服毒したというのが嘘という線。
「正直判断に悩みますわね。
初対面のときから命を軽んじる態度は見え隠れしていましたし、実際に毒薬を入手することも出来る身上ですもの。私に毒殺の懸念を伝えたのも彼女ですし、実現性もあれば実行しかねない危うさもありますので。
ただし私がそう考えることも踏まえた上での嘘、という可能性はあります」
「……で、嘘を付いているに賭けて誤っていたら彼女は死ぬのだろう。
正直、してやられた感はあるな。あの場で自分に毒を盛るという行動は想定できなかった我等の落ち度か」
「……えぇ、誠に」
毒について以前、コレットと話したことはあったが。しかしこうして利用されると、事態の認識が甘かったことが痛感する。
「ともかくあの娘が本当に毒を飲んだ、という前提で話を進めるぞ。
提案を受け入れれば、我等は反王家の旗頭として小娘を利用することは難しくなる」
「逆にこのまま殺すと、反王家陣営の旗頭は失われますが一方で手掛かりも消え失せます。それと領地を差配する者の手配も振り出しに戻りますね」
我等から見えぬ反王家の陣営は仮にコレットの人別帳を改竄したところで彼女がカトゥー家の末裔であることは知っているはずだ。それが、どこまで知っているのかまでは分かりかねるが。
ただし人別帳を改竄してしまえば、その事実を公に認める物的証拠は消え失せる。であれば確実にコレット個人の求心力は低下する。
そして一応この場では約すると嘘をつき、人別帳は改竄したとコレットに伝えるが実際には何もしないという手段もあることにはある。とはいえ発覚したときにコレットが反王家ではなく反公爵家を掲げて報復に出る可能性があり、そして状況次第ではコレットが領地を差配している時機での行動になりかねないからこれは論外だ。
「――見殺しにしましょうか」
「ふむ、その根拠は?」
「自ら服毒してまでカトゥー家の血筋を消したがる人物であることは想定外でした。そして貴族復帰に消極的な姿勢も踏まえれば、生かして反王家の旗頭にしたところで王座の椅子取り合戦で収まらぬ問題になり得るかもしれません。
なので私から進言したことを翻すことになり申し訳ございませんが、殺した方が後腐れが無いかと思われます」
私の臣下として多少なりともの間だが共に過ごし、一旦は猶子とはいえ名義上の妹にしようかとも思ったが、正直扱いきれない。道化師・ユーリには『必ず公爵家で引き立てる』ようにと言われていたがその言葉を果たせそうにはない。
お父様は私の言葉を受けて考え込む。
「……ヴァレリアーナの意見には一理あるが、コレットの要求を受け入れようかと思っている」
「恩を売る、ということでしょうか?」
「いや、アレはそういった玉では無いだろう。だが、カトゥー家の背後関係を知る者でその記録を改竄出来るのは私達だけだ。
立ち会った印象でしか無いが、その事実を決して軽んじる人物では無いだろうよ。恩だとか忠誠だとかはまるで見込めないが、与えられた状況に対して我等が下した判断を的確に理解することができるだろうよ、願わくば我等の判断を尊重出来る人物であって欲しいがね」
「……成程。そういう考えもありますか」
忠義だとか厚意だとかが期待できぬというお父様のコレット評には私も異存はない。しかしそれ故に見殺すことを提案した私に対して、お父様はその才覚が私達の行動を正当に評価するがためにかえって私達を裏切る危険性が減ると考えた訳だ。
この辺りの血の通わぬ人物選定眼に対しては、まだまだお父様に及ばない。魑魅魍魎の跋扈する王都で猜疑心と手腕で実績を上げ続けてきたお父様は、流石に人物である。
……まあ、妹を迎え入れるための義理の姉と父としての会話と見たときには、私もお父様も落第でしかないが。
「全く、貴様のとんだ拾い物だよ。決して取り込むことは出来ぬだろうが、才気は尋常ではない」
「ええ、その通りで」
この決定をコレットに伝えたところ、彼女は無言のまま涙を流して臣下の礼を私達に取った。
そして着ていた服の袖をそのまま食いちぎり飲み込む。……服に解毒剤を隠すのではなく、服の一部そのものが解毒剤であったか、それは盲点であった。
と、思ったが。コレットは私に食いちぎった服の縫い目から取り出した袖の裏地の切れ端を渡しながら、こう告げる。裏地には文字が書かれている。
「……この、メモをユーリ嬢へ。
私が今、飲み込んだのは……解毒剤、ですが。副作用も、大きいので……。
その間の……治療法を、記して……ありま――」
――これから2週間の間、コレットは高熱と大量の発汗並びに黄疸がみられて一時は生死の境を彷徨うこととなる。