大人の女性
スーツに身を包んだ女性が、バーカウンターで優雅に脚を組んでいる。隣には恋人らしい男性。
注文したカクテルが差し出されるのを、「Thanks」と軽く受け取り、けれど口を付けずに溜息を吐いた。
やおら、細いタバコを取り出す。長い髪を耳にかき揚げてから、ゴテゴテとしたライターで火をつけた。タバコの先端が赤く灯る。
艶々とした唇で挟み、女性は深く目を瞑る。ゆっくりと息をしたかと思うと、ふうっ、と煙を吐き出した。紫煙がくゆり、彼女の横顔に憂いを醸し出す。
恋人の男性はしばし彼女を見つめていたかと思うと、唇に視線を移し⋯⋯数秒の後、黙って奪った。角度を変えて、何度も何度も⋯⋯。
「――――――――!」
そこで私は恥ずかしくなって、DVDの再生を止めた。
隣で彼が呆気に取られている。
「あ、止めるんだ」
「だって、だって、こんなんだって知らなかったから!」
彼と付き合ってから、それほど経っていない。今日はそんな彼を家に招いて、映画鑑賞おうちデートだった。
私は英語のリスニングの勉強も兼ねて、事前に洋画を借りていた。キャリアウーマンが主人公とあったので、深く考えずに借りたのだが。
「なんで借りたんだ」
「ビジネス英語が出てくると思ったから!」
「昔の映画でそんなの出るわけないだろ」
彼は呆れた様子でコーヒーを飲んだ。
私は悶々とクッションを抱きしめた。
彼は年上である。今の映画のキスシーンも、彼は平然と見ていた。だが、私は想像しただけで顔が熱くなり、こちらが恥ずかしくなるほど。
彼と違って、私にはなんの余裕もない。
「⋯⋯さっきの女優さんセクシーだったね」
他の話をすればいいのに。私は自分を追い込んでいる。
彼が、ああいう女優さんみたいな人がタイプと言ったらどうしよう。お前には色気がないとか言われたらどうしよう⋯⋯。
「色っぽくタバコ吹かしてさ、大人の女性って感じ」
あれならキスしたくなるのもわかるなー、と私は映画の前に淹れたコーヒーに口を付けた。妙な生々しさを持った妖艶さが、頭にくっきりと残っている。唇に触れるコーヒーのぬるさが、なんだかくすぐったい。
しかし、彼の返事はあっさりしていた。
「俺はわからないな」
「え?」
「俺喘息持ってるからタバコ嫌いなんだよ」
拍子抜けする反面、安心した自分がいる。
非喫煙者でよかった。
私があまりに間抜けな顔をしていたのだろう、彼がニヤリと笑った。
「大人になりたいならいいこと教えてあげよう」
「な、なに⋯⋯?」
彼はふふっと笑みをこぼした。仕方ないなといった、どこか挑発的な笑い方。
私の中でカッと火が点く。それは怒りであり、羞恥心であり、また危険な好奇心でもあった。
彼は視線をゆっくりと、ダイニングのテーブルに向けた。
「出した物は片付ける、これだけでだいぶ大人な女性になれるぞ」
テーブルの上には、棚から出したままのインスタントコーヒーの瓶が、淋しげに鎮座していた。
2020/11/06
カフェオレにしようとして出した牛乳も、仕舞うの忘れがち。