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四月二十八日 病院

「あいたたたた」


 白衣を着た男性に肩を捻られながら、僕は苦悶の声をあげていた。自分でも言うのもなんだが、まるで中年男性のような悲鳴だなと思った。でもそれくらい痛かった。


 今日僕は、生徒会活動を休みすっかり馴染みになった大学病院に訪れている。中学二年の時から発症した鈴木君の肩痛は、高校二年になった今でも絶賛快復の見込みなしだ。


「うんうん。少しずつだけど良くなっているよ」


 嘘だった。

 白衣を着た男性……つまりは整形外科の専門医曰く、僕の肩の症状は快復傾向にあるらしい。それでもまだ随分と痛いのだが。まあ、強く捻れば痛むのは当然か……?

 

「痛み止めは残っている?」


「えぇ、まだ少しは」


「そうかい。出した方がいい?」


「うーん。でも確かに、最近は日常内で肩の痛みを感じる場面も減ったんですよ」


 去年くらいだったか、雨の日があまりにも肩痛によって寝苦しく、僕は担当医の雨宮先生に痛み止めの処方をお願いしていた。それ以来は、処方した薬がなくなる頃に僕にこうして尋ねてくれるようになった。

 忙しそうな大学病院の医師であるものの、雨宮先生は僕への態度をないがしろにすることは一度もなく、むしろ結構親身に話を聞いてくれる。


 今だって、曖昧な返事をする僕に、雨宮スマイルでうんうんと頷いていてくれる。こういう態度をされると僕も嬉しくなる。本当、良い人だなあ。


 と思ったのも束の間。


「それで、白石さんとは順調なのかい」


「え?」


 痛み止めの処方を一旦止める判断をした途端、彼は職務も忘れて僕の直近のプライベートな話を根掘り葉掘り聞いてこようとするのだった。最近は診察の時間よりもこっちの方が長い始末である。


「いやはや、こんなにも年老いた私だけども、初々しい君達の関係は聞いているだけでほっこりするんだよお」


 雨宮先生はそんな調子で力強く頷いていた。お若いことは良いことだが、下世話という言葉を学んでくれ。

 そして後ろにいる看護師さんも、黙って頷いてないで職務を全うしてくれ。


「へえ、そうかい。東京タワーに行ったのかい。あそこはいいよねえ。都内の夜景を見ながらロマンチックを語るにはさ。

 先生も昔はよく通ったよー。でも、行く度に隣にいた女性が違ったねえ。不思議だったなあ。ガハハ!」


 ガハハ! じゃないよ。誰が好き好んで老人の恋仲事情を聞かねばならないのだ。というか、意外とプレイボーイだな。興味ないよ。

 そして、後ろにいる看護師さんも笑ってないで職務を全うしてくれ。


「先生、そろそろ次の患者さんも待っているんじゃないですか?」


 少しだけ呆れた顔で、僕は尋ねた。


「そうだねえ。でも君の話を聞いているのは楽しいから、もう少し聞かせてくれよ。東京タワーに上野。結構チョイスが渋いよねえ。

 高校生ならもっとはっちゃけた場所に行くのがいいんじゃない?」


 晩酌の肴のネタを提供させられているだけと思ったら、意外にも全うなアドバイスを頂戴した。……さ、参考にします。

 それからもしばらく、僕は雨宮先生に寝堀り葉堀り白石さんとの関係を話し続けるのだった。長いだけこうして診察の場で患者と話しているだけあって、雨宮先生は結構な話術を取得していた。気付くと要らぬことまで喋ってしまいそうで、粗方の話をすると、僕はさっさと診察を中断して、リハビリルームに足を運ぶのだった。

 ただ、リハビリの後も雨宮先生に診察室に来るように指示された。名目としては診察前に行ったレントゲン等の検査結果の連絡だそうだが、多分まだ話し足りないというのが本当の理由だろう。


 まったく、やれやれまったく。僕の周りにいる人は皆キャラが濃いなあ。

 そう思いため息を吐いて、気付く。それでも皆、僕よりキャラが薄いことってまずないよな。だって皆、他人と体が入れ替わった経験ないんだろ? やった。完勝だぜ。


 再びため息を吐きながら、僕はリハビリルームで汗を流した。リハビリ担当医の助言を受けながらするそれは、そこそこの疲労を感じさせるものだった。多分長時間のメニューをこなすことも理由の一つだろうが。

 まあ後は、担当医に若干Sっけがあるのも理由だろう。本当、加減もしているのだろうが、それでもやはり疲れるものは疲れる。


 リハビリが終わると、代えのTシャツに着替えて、汗をタオルで拭いながら、診察室に入った。疲れて早く帰りたかったし、待ち時間がなかったことは嬉しかった。


「失礼します」


「ん、ああ。戻ってきたね」


 雨宮先生は、老眼鏡をずらして僕の顔を確認すると、微笑んでいた。


「まあまあ、座んなさい」


「先生、正直リハビリで疲れたので、なるだけ手短に」


「おいおい、いつも短くしているだろ?」


 おいおい、冗談だろ? あれでも短い方なのかよ。

 呆気に取られ目を丸めていたら、雨宮先生はガハハと笑っていた。良かった。どうやら冗談だったみたいだ。

 ……そうだよね?

 

「まあ、いつも楽しませてもらっている鈴木君の頼みだったら仕方がないなあ」


 雨宮先生は足をパンパンと叩きながら、回転椅子をクルッと回して診察机に向き直った。壁には僕のレントゲン写真が掲げられている。

 正直いつも通りに見えるが、この道を専攻する彼にしたら極わずかな変化すら見逃さないのだから凄いよなと思う。


「鈴木君、良く頑張ったね」


「え?」


「凄く良くなっているよ。これなら体育への参加許可ぐらいなら出せるくらいになったよ」


 おおう。そこまで快復に向かっていたのか。

 雨宮先生はわかりやすく噛み砕いて、レントゲン写真の一部を指差したりしながら、僕に快復傾向である肩の状況を教えてくれた。


「本当、良く頑張ったねぇ」


「ありがとうございます」


 体育か。

 この体になってから、結局体育はいつも見学していたし……正直、少しだけ楽しみだった。


「ただし、無理は禁物だよ」


「勿論。あ、そうだ。先生、六月頃に体育祭があるんですけど、それへは参加してもいいんですか?」


「体育祭かあ」


 雨宮先生は思い悩むように天を仰いだ。ひとしきり悩んだ後、


「多分大丈夫だと思うけど……まあ、直前にもう一回確認しようか」


「はい。よろしくお願いします」


 僕は深々と頭を下げた。

 やった。この体、肩の怪我さえなければ結構なフィジカルエリートだからな。体育祭では、白石さんに良い所を見せられるように頑張ろう。


「本当、良く頑張ったよ」


 感慨深そうに雨宮先生は頷いていた。そこまで褒められると、僕も何だか照れる。


「いやあ」


 照れた拍子に頭を掻くと、


「一時はオーバーペースでリハビリするわ。その後はめっきり来なくなるわ。思い返せば君には結構手を焼いたよ。

 高校になってからは文句は言いつつ来てくれるようになったし、恋愛事情の話を聞くのはとても楽しかったけどねえ」


「……え」


「ん? どうかした?」


「あ、いや何でも……」


 苦笑しながら、僕は頭を掻いていた。

 雨宮先生は僕の不審な態度に違和感を覚えることはなかったようだ。その後も白石さんとはどうの、とか、明日からGWだけどどこにデート行くの、とか、それはもうマシンガントークで僕への質問責めを続けていた。


 僕はといえば、先生に適当な返事をよこしながら、脳裏では先生の言葉が反芻していた。


『一時はオーバーペースでリハビリするわ。その後はめっきり来なくなるわ。思い返せば君には結構手を焼いたよ』

 

 この言葉だった。

 先生はこの後、高校になってからはそんなことなくなったと言っていたし、間違いなくこれは中学時代の……つまり鈴木君のした出来事だ。

 

 僕は、昨年当時のスマホに残されていた鈴木君の遺書を思い出していた。あの遺書曰く、鈴木君はリハビリをすることへ虚無感を抱いていた。だから、リハビリをサボりがちになっていたのはわかる。


 ただ、『一時はオーバーペースでリハビリしていた』?


 あの遺書は死を覚悟した鈴木君の悲壮感は読み取れたが、それに至る経緯まではわからなかった。だから、僕は鈴木君はすぐにリハビリなど辞めて虚無な時間を過ごしていたのだとばかり思っていたが、どうやら違ったらしい。


 ……あ。

 白石さんが言っていた。鈴木君は中三の時、生徒会活動を休んでいた時期がある、と。

 もしや、鈴木君が生徒会をサボっていた時期と、リハビリに執心していた時期は被るのではないだろうか。


「アハハ、そんなこともあったなあ。いつ頃でしたっけ?」


 僕は先生にカマをかけた。


「ガハハ、もう昔のことなんて覚えてないよー」


 しかし、先生はあてにならなかった。くそう。


 調べ物をしたくなった僕は、本当に雨宮先生との診察を手短に終えて、診察室を後にした。

 頭の中では、何とか鈴木君がリハビリに執心していた時期を探れないか。そのことばかり考えていた。


「鈴木君、どうしたのー?」


 そう物思いに耽っていると、受付の女性に呼ばれた。どうやらお会計に呼ばれたらしい。


「ああ、ごめんなさい」


「いいえ。これから暑くなるから、体調管理には気をつけてね」


「うい」


 いつもの代金を払って、僕は身支度を整えて帰ろうとした。


「あ、ちょっと待って」


「はい?」


 再び、受付の女性に呼ばれた。


「鈴木君、次回の予約はしなくていいの?」


「ああ、そうでした」


 物思いに耽るあまりうっかりしていた。定期的にこの病院にも通っているが故、僕はいつも支払いを済ますと次回の診察の予約をしてから帰宅していたのだった。

 といっても、毎週水曜日に通っているから、いつも通り滞りなく予約は進んだ。


「はい。終わったわよ。予約した日時を忘れたら、ホームページから診察券裏の番号でログインすればアカウント情報を確認出来るので、そこから確認してね」


「はいはい」


 受付の女性は少しだけけだるげに言ったので、僕は苦笑気味に返事をした。いつも言う定型文だもの。飽きるのもしょうがない。

 

 ……あ。


「それだ」


「ん?」


「ありがとう。じゃあまた来ます」


 後ろでちょっとと言っている受付の女性を無視して、僕はさっさと病院を後にした。帰りの電車の中、僕は早速大学病院のホームページに入り、診察券を確認しながらアカウント情報を見るのだった。

 件の大学病院でこういうネットサービスを始めたのは、僕がこの体になる前から続いていたはず。だって、僕が初めて通院した時にはあったから。


 いつか予約を忘れてここから次回の予約をしたことが一度だけあった。

 確かその時、カレンダーをいじれば過去の通院履歴も見れたはずだ。


「ビンゴ」


 揺れる車内で、僕は興奮のあまり指を鳴らしていた。記憶通り、通院履歴は残っていた。それも初診から全て記録されているようだ。献身的なサービスだな。こんな形で活かされるとは思わなかったが。


 僕はスマホを操作して、二年前。鈴木君が中学三年だった頃の通院履歴を確認した。


 やっぱり。

 睨んだ通りだった。


 鈴木君は中三の頃、四月二十四日を皮切りに、かなりのペースで通院を続けていたようだ。

 しかし、六月十一日を最後にピタッと通院した様子がなかった。


「……これは」


 その通院履歴を見て、僕は顔を歪めていた。


 丁度、電車が最寄り駅に滑り込んだ。電車から飛び降りると、僕は階段を昇って緑の窓口へ行った。明日の中央本線の特急券を取ろうとした。


 しかし、


「げ」


 明日からGWであることをすっかり忘れていた。帰省客も含めて、長期休暇を旅行しようという層は多いようだ。

 数年前から完全予約制になった件の特急の座席は、既に全て完売済みだった。


「あちゃあ……」


 時期をずらすか?

 ……でも。


 でもやっぱり、どうしても明日行きたい。

 すぐに彼と会いたかった。そこに行って話しても、彼から答えが返ってくるわけではないけれど……。


 気付けば僕は、スマホを再び操作して、電話を鳴らしていた。彼と会うために、彼女に頼る他なかった。

 数コールの後、電話が繋がった。


『もしもーし』


 電話口の声は明るかった。


「もしもし。久しぶりです」


『そうだねえ、久しぶり。どうしたの』


「……お願いがあるんだ、安藤……じゃなかった、真奈美さん」


 電話口の声は、変わらず明るそうだった。

中央本線沿線は世界有数の観光スポットという設定や

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[一言] 真奈美さんが彼になってます。
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