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六月七日 校庭

 体育祭実行委員との数度の会議を経て、ようやく体育祭の事前準備が始まった。梅雨時ではあるものの、今日から六月十ニ日まで天気予報では今のところ雨の予報はない。延期となれば再準備に時間を費やすことを考えると、このまま延期しないのであれば非常に助かる。


 思えば梅雨時に体育祭とは中々リスキーな選択をする学校もあるのだな、と準備に汗を流す中、ふと思わされた。理由を聞くに、文化祭との時期をずらすために我が校ではこの時期に体育祭をするように、実に三十年以上前に制定されたそうだ。


 まあ確かに、理由を聞けば納得出来た。

 文化祭は体育祭同様、実行委員こそいるものの、現場監督的な立ち位置にはあたし達生徒会が納まるケースが非常に多い(会議時の交渉次第な面があるが)。そうなった時に、体育祭と文化祭の時期が被ってしまっていれば、あたし達生徒会のスケジュールはよりタイトなものになっていたことだろう。そういう準備面での効率分散のために文化祭と体育祭の時期を分けているのだろう。


 まあ一学生の立場であれば、もし文化祭と体育祭の時期が被っていれば、社会人で言うところの盆と正月が一緒に来た、というような楽しさ溢れる時期になっていたのだろう。


「倉庫内の備品は問題なさそうね」


 あたしは今、数名の実行委員を引き連れて体育倉庫に来ていた。体育祭当日に使う綱引きの紐など、備品に損傷がないかなどを確かめていた。

 他の生徒会メンバーも、幾人かの体育祭実行委員を引き連れて各自持ち場についている。


 ただ一人、鈴木君を除いて。


 体育祭実行委員との会議を含め、鈴木君は先日の五月三十一日以降、生徒会活動に姿を見せたことはなかった。生徒会メンバーは口にこそしないが、恐らく内心不満は募っているだろう。あたしだってそうなのだから。

 鈴木君には特別決まった役割は与えていなかった。恐らくサボりがちになるであろうことはこの前に休む旨を伝えられた際に危惧していたからだ。


「そろそろ戻りましょうか」


 事前に作っていたチェックリストの全項目に問題ないことを記載して、あたし達は体育倉庫を出た。ここは校舎の中でもはずれの位置にある。北西に五分程歩けば校庭が見えてきた。


「いい加減にしろよっ!」


 しばし歩いて、ようやく校庭が望める位置に差し掛かった頃、その校庭から怒気交じりの叫び声が聞こえた。聞き覚えのある声だった。


「急ぎましょう」


 呆気に取られている引き連れた数名の実行委員にそう促して、あたしは小走りに校庭へ向かった。

 やはり。そこでは生徒会副会長が誰かの胸倉を掴んでいた。先ほど叫んだ声。聞き覚えのある声だったが、副会長のものだったようだ。

 ただ、驚いた。彼は理性的な人だと思っていたからだ。その彼があそこまで敵意のある怒鳴り声をあげるだなんて。


 一体、誰に怒っているのだ?

 ……あ。


「悪かった。勝手なことをしたとは思っている」


 あたしが駆けつけると、鈴木君は苦痛に歪んだ顔で言っていた。


「そんな被害者面するなっ」


 苦痛に歪んだ顔が、副会長はお気に召さなかったらしい。まあ正直、あたしも同意見だ。あたしを含めた生徒会への不満が募るやり方を続けている彼に、誰かがいつか怒ることは想定出来たことだった。まして今の状況、彼の苦悶な表情を見れば、これではまるで副会長が悪者のようではないか。

 副会長が何がきっかけで鈴木君へ怒りをぶつけたのかは知らないが、これでは副会長が余計怒っても無理はない。


 あたしは二人の喧嘩を止めることもなく、その場で傍観していた。いや、あたし以外の実行委員もそうだった。とてもじゃないが割って入れる空気ではなかった。

 ただ、思う。

 部活動紹介での野球部員との一件。あれ以降、鈴木君はおかしい。


「悪かった。だから離してくれないか?」


「テメエ!」


 以前苦痛に歪む鈴木君の顔と彼の言い草に、副会長は遂に堪忍袋の尾が切れたようだ。胸倉を精一杯引き寄せて、鈴木君を放った。

 彼は真後ろに転んだ。砂煙があたりに巻き上がった。


「いい加減にしろよ。生徒会に入った癖に碌に仕事もせずに問題を起こして、挙句活動も休んで! 最後には遅刻だと!?」


 そういうことか。

 鈴木君、事前連絡はなかったが今日は生徒会活動に来る腹積もりだったんだな。ただ、何があったかは知らないが大幅な遅刻をしてしまった。

 それを見つけた副会長がこれまで募っていた彼への怒りをぶちまけた。こんなところだろうか。


「ごめん」


「謝るくらいなら手を動かせ! 仕事をしろよ!」


 以前副会長の怒りは収まる様子はなかった。

 鈴木君は、謝罪以外の言葉を発することはなかった。まるで夢遊病患者のように、能面のような無表情を顔に貼り付けて、ただ謝罪を繰り返していた。

 その様子を端から見ていたら、鈴木君にこれまで抱いたことがない感情が生まれていた。それは恐怖だった。今や何を考えているかわからない彼に、あたしは恐怖以外の感情が生まれなかった。


「おい、何している!」


「……あ」


 寸前まであたしもまったく気がつかなかったが、騒ぎを聞きつけたのか、先生が小走りでこちらに駆け寄ってきていた。

 鈴木君を転ばせた張本人の副会長は、教師の登場に顔を真っ青に染めていた。多分、実行犯として叱られることになる未来を悟っていたのだろう。

 そう、今回はいくら鈴木君の態度が横暴を極めていたといえ、手を出したのは副会長だった。事情を知るあたしからすれば文句も言いたくなる状況だが、背景を知らない人からすれば悪人は確実に副会長なのだ。


「何をしていた、言え!」


 教師の剣幕に、副会長は目尻に涙を蓄えていた。

 実刑は免れない。ここにいる誰もがそう思っていた。


「体育祭の準備をしていました。それで、僕が一人で転んでしまっただけです」


 そう言ったのは鈴木君だった。顔を苦痛で歪ませながら、転んだ時に痛めたのか肩を押えていた。


「いやお前……これはどう見ても」


「先生。先生はその場を見ていたんですか?」


「いや、見ていないが」


 鈴木君は淡々と副会長を庇った。

 結局副会長は、先生が運よく転ばせた現場を目撃していなかったこと。被害者である鈴木君が頑なな態度を曲げなかったことから、無罪放免となった。


 ただ、副会長は鈴木君に謝罪もお礼もすることはなかった。

 当たり前だ。

 だって結局、副会長が怒る種を蒔いたのは鈴木君自身なのだから。碌に説明もせずに生徒会活動を休んだ鈴木自身なのだから。むしろ彼を怒らせてしまったことで、もしかしたら余計確執が広がったかもしれない。


 だって、何よりあたしが彼への怒りを覚えていたのだから。

 仕事に対する横暴な態度。

 絶対に曲げようとしない頑なな姿勢。


 本当に、部活動紹介を実施した前からは想像も出来ない姿だった。

 いいや、部活動紹介中でも、あたしがいた頃は彼はいつも通りだった。周りをキチンと見ていて、時には厳しい口調で叱るいつもの彼の姿だった。


 でも、あの一件以降変わってしまった。

 いいや、多分本性を見せた、というのが正しいのかもしれない。


 人はそうは変わらない。変われない。そのことをあたしは知っていた。


 だとすれば、あれが鈴木君の本性なのではなかろうか。知られざる一面、これまでひた隠しにしていた一面なのではなかろうか。


 彼のことはこれまで信用してきた。先日の一件もそうだが、気付かない内に助けてもらった場面も少なくない。頼っていたと言ってもおかしくない。

 そして、この信用は揺らぐことはないと思っていた。


 でも今、あたしの鈴木君への信用は、まるでとびきり恐ろしいジェットコースターのように乱高下を続けていた。

良い感じにこじれてきた。

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