四月十五日 非常階段
昼休み。いつもより少しだけ遅れて非常階段に僕は向かっていた。手にはココアとオレンジジュースを持っていた。
「お待たせ」
非常階段、屋上手前の扉で待つ白石さんに声をかけながら、僕は彼女の隣に腰を下ろした。
「ありがとう。わざわざ飲み物買ってくれるだなんて」
「いいよ。いつもお弁当を作ってもらっているお礼」
白石さんにココアを手渡して、代わりとばかりに白石さんお手製のお弁当を受け取った。
こうして彼女のお弁当を昼ごはんに食べるのは、最早最近の僕の日課になりつつある。天は二物を与えずとはよく言うし、天に二物を与えられている人一杯いるじゃんともよく言うが。彼女は後者の二物をたくさん与えてもらったタイプの人なのだと、お手製のお弁当を初めて食べた時には思った。本当に彼女は多才だ。そんな人と恋仲になれて、僕の鼻も高い。
ただ、僕の嫌いなグリーンピースを毎度弁当に入れるのは出来れば辞めてほしい。作ってきてもらっている手前、注文をつけるのも憚られるし、何なら注文をつけても弁当から消える気がしないので敢えて何も言っていないのだが。
ただ結果として、弁当からグリーンピースが消えたことは確認出来ていない。残念でもないし当然である。
「鈴木君、グリーンピース残ってるわよ」
「え、そう?」
ただ不思議だ。何故か彼女は僕の舌の好みを熟知していた。いやはやどうしてなのだろう。恐らく内通者がいるのだろうが、まったく心当たりがない。
「それにしても、まさかあの場で僕との関係をバラすとは思わなかったよ」
「ごめんなさい。つい口が滑ってしまって。グリーンピース残ってるわよ」
話を逸らそうとしたのだが、申し訳なさそうな顔で謝罪した後、白石さんは敢えてグリーンピースのことを言及してきた。
いつか怯えている顔が可愛いだなんてことを彼女に言われたが、僕の嫌がっている顔も彼女は好いていてくれているのだろう。この言動から察せられた。
……僕の彼女、性癖歪みすぎ問題。
「食べさせてあげましょうか?」
白石さんはそう言って自分の箸でひょいとグリーンピースを掴み、僕の口元まで運んでいた。
またそうやって……。
「だ、大丈夫だよ。食べれるから」
「あらそう? じゃあ食べてみて。はい」
「うぐぐ……」
そういう白石さんはいたずらっ子のような笑みを浮かべていた。年相応の愛らしい笑顔だと思う。でも僕は照れてしまうんだなー、これが。決別したとはいえ、元二十五歳とはとても思えないと自分でも思う。恋愛経験の乏しさが仇となった。
「早く」
急かす白石さんに業を煮やして、僕は彼女の箸が掴むグリーンピースを口内に運んだ。苦手なパサパサとした食感が口内に広がった。
「間接キスね」
「そうだね。嬉しいよ」
少しだけ呆れたように言うと、白石さんは途端見惚れる笑顔でもう一つグリーンピースを箸で摘んでいた。
「はい」
「はいはい」
最早抗うことも面倒になり、僕は残していたグリーンピースを平らげた。ただ不思議なことに、彼女に食べさせてもらったらグリーンピースもそこまでまずいとは思わなかった。多分途中から、味覚すら狂うほどに、僕は緊張していたんだと思う。ああほんと、情けない限りである。たまには彼女をリードしてあげないとなあ。男が廃ってしまう。
「いいのよ、鈴木君は今のままで」
「んあ?」
自己嫌悪に陥っていると、僕の心を見透かしたように白石さんが話し始めた。
「あたしが好きになった鈴木君は、交渉事ではいつも大人みたいに偉そうな癖して、蓋を開ければどこにでもいる高校生なの。だから、そのままの君でいて?」
「……善処します」
染まった頬を見せたくなくて、僕はそっぽを向いて返事をした。
校舎からは生徒達の喧しい声が漏れていた。きっと今頃、授業で募った鬱憤を晴らすべく短い休み時間を精一杯満喫しているのだろう。
ならば僕も。
高校生である僕も。
彼ら同様、この休み時間を精一杯満喫しようじゃないか。
僕がしたいことといえば。
……たまには自分から、白石さんと手を繋ぎたい、とかかな。だって、日頃の僕といえば、彼女に対しておざなりな態度を見せすぎているし。いつ愛想を付かされてもおかしくないのでは、と時たま不安になったりもするのだ。
だからたまには。自分から表現しないとまずいのではと思ってしまうのだ。僕が彼女のことをどう思っているのか。
キチンと態度で示さないといけない。そう思ったんだ。
喧しい雑音をBGMにして、僕は白石さんの手めがけてゆっくりと手を近づけた。
じれったくなるくらいゆっくりと。
彼女への日頃のお礼と。彼女への想いをこめて。
僕は……。
「体は大丈夫?」
「ダイジョウブだよ!」
無理でしたー。
「本当、元気みたいね」
クスクスと白石さんは笑っていた。
「今日もこの後、来週の新入生部活動紹介の会議だし。休まる暇もないわよね」
笑うのを止めると、白石さんは少しだけしおらしい態度で言った。
「会議くらいならどうってことないよ。たかがしれてる」
「でも、時々思うの。あなたを生徒会に誘って、本当に良かったのかなって」
「何故に?」
こうして一緒にいる時間も増えて、僕としても嬉しいのだが。
「通院にバイトに。あなた意外と忙しいじゃない。肩のせいもあって体もあまり強くないし、熱で学校を休む度に、負担を強いてしまったんじゃないかって思っちゃうの」
それに、と白石さんは続けた。
「それに。本当は生徒会での実績作りはあなたと対等な存在になりたいからあたしが始めたことだったのよ? 対等になりたいはずのあなたと一緒に生徒会をして、成果をあげて。あたしは本当に成長出来ているのかなってたまに不安になるの」
「成長出来ているよ。安心しなよ。会議とかやる度にここでする反省会の時間もどんどん短くなっているじゃないか」
本当、最近ではイチャイチャする時間の方が長い気さえする。むしろそれはそれで、それでいいのだろうか。
「それに、それではまるで君が一方的に僕に無理強いしているみたいに聞こえるが、そうじゃないだろ? 僕だって好いた君と少しでも長い時間一緒にいたいんだ。むしろ誘ってくれなかったから夜な夜な電話で泣きついていたかもわからん。だから、むしろありがとう。僕を生徒会に誘ってくれて、さ。
毎日君と一緒に入れて本当に嬉しいよ。だからそんなことで悩まないでよ。一緒に頑張ろうよ。これからもさ」
捲くし立てて伝えると、白石さんはいつの間にか俯いてしまっていた。
「そ、そう……」
彼女らしくもない。言葉尻を弱めて随分としおらしくなってしまった。
「だ、大丈夫?」
「う、うん……」
白石さんは空になった僕用の弁当箱を取り上げると、慌てて立ち上がった。
「と、図書館の本の貸し出し期限、今日までだったので先に返しに行ってきます……」
何故に敬語?
突っ込む間もなく、白石さんは非常階段を下っていった。
残された僕は、白石さんの翻しように最初こそ呆気に取られていたが、しばらくするとぼんやりと校舎の雑音に耳を傾けていた。
白石さんとの会話でもあったが、今日の放課後、新入生部活動紹介の事前会議として各部の部長を集めて会議を行う。
その場で、当日の部の発表形式の説明。順番決めなどを一気に決める段取りだ。
「……うまくいくといいなあ」
さっきはまったく問題ないと言ったが、部長。つまりは上級生相手ばかりの中での会議となれば、こちらの意思を尊重することが難しい場面もあるかもわからない。
幾ばくかの不安がないわけではないのだ。
でも僕のその呟きに、返事をくれる人はもういなかった。
手持ち無沙汰になって、もうしばらくここで休んだ後、僕は足早に教室に戻るのだった。
気付くとイチャイチャシーンを書いてしまう呪いにかかってる。まあラブコメではご愛嬌だよね!