亡命へ
起きると周りは薄明るくなっていた。自分がベッドにいることを確認する。窓にはベルがかかっていて開ければいつものように朝市の声がする。
振り返れば部屋の至る所に血痕や窪みが見えた。シノの血まみれの姿や、目の前が血で染まる瞬間などがありありと思い出される。
ズキン、と頭が悲鳴をあげた。
「くっ...。」
私はその場にへたり込む。数十秒でそれはおさまった。
「おはよう。遅かったね。」
着替えを済ませ、寝室から出るとリカとエンがテーブルの周りに座っていた。シノとスズの姿は寝室にも居間にもない。
「遅かったとは...今は朝ですよね?」
「あれ?聞こえなかった?さっき丁度正午の鐘が鳴ってたよ。」
私は思わず目を丸くする。
「半日寝てましたから驚くのも無理ありません。シノさんとスズさんなら店にいますよ。なんでも貴重な薬を厳選しているそうで。見せて欲しいとお願いしたのですが断られてしまいました。」
困ったように眉をひそめてエンは少し笑う。私はほっと息をつく。改めて二人を見るとエンは特に変わったところはなかったがリカの服が変わっていた。
「...リカさん。それは私の服では?」
「ああ、そうなの。私、服はあんまり持ってなくって。スズに聞いたらいいよって言われたから。」
一番使い古しているものを選んでくれる配慮はあったのだと思う。お気に入りだから使い古していることは置いておいて。色々思うことはあるものの、一番にするべきことは。
私はリカとエンの前に跪き、両手を組んで頭を垂れる。
「リカ様、エン様。昨夜は知り合ったばかりの私達を助けてくださいましてありがとうございました。主人として客人をもてなすことも出来なければあのような危険な目に合わしてしまったこと申し訳なく思っています。それなのに私達を助けてくださったこと感謝してもしきれません。本当にありがとうございました。」
そう言い切ると私はリカ達の言葉を待つ。相手が声をかけるまで動いてはいけないのだ。けれど少し経っても声が聞こえない。私は顔を上げた。すると何故かリカは困り顔になっていて、エンは少し微笑んでいた。私は最大の感謝を伝える礼を行ったのだが伝わらなかったのだろうか。そこでリカ達が旅人だったことを思い出した。私はどうすればよいのか目を泳がせる。
「あっ、えっとね、感謝されたのはわかるよ。だから動いてもらっていいんだけど...。私はそこまで感謝されることしてないなって。...ったのは...。」
最後に何かボソッと言ったが聞こえなかった。とりあえず感謝を受け取って貰えたことに安堵する。
「カイナさん、座ってください。聞きたいことありますでしょう?」
エンが優しく言った。私は促されるまま椅子に座った。
「あの後...男が壁にめり込んだ後のこと教えて貰えますか?」
すると少し驚いたのかリカの目が大きくなった。
「覚えて...ないのか。じゃあ、やっぱり...あれはそういうことか。」
リカは何かに納得したように頷いた。
「一旦座り込んだとこまできっと覚えてるよね。だったらその続きからいこうか。」
そう言ってリカは話し始めた。
~~~~~
要約すると黒いローブの男たちは縛って外に置いておいた。朝になってその人たちは衛兵に連れていかれたらしい。茶色のローブはあとから入ってきた弟子(男のことを先生と呼んでいた)が抱えて連れ帰ったそうだ。
(どんな大男なんだろうか、その弟子は)
さらに驚くことに私は気絶したあと動いていたらしい。喋ることはなかったが自分の身を綺麗にした後ベッドに向かって寝たそうだ。寝巻きも自分できたらしい。二人は私に関して何もしていないと言い張った。そんなはずはないと思っているが。
話し終えた時ちょうどシノとスズが店への扉から出てきた。二人とも浮かない顔をしている。けれどシノは動けるようだ。後遺症が軽くて良かった。
「姉さん、これ。」
シノが差し出したのは青く透明な立方体だった。その真ん中には亀裂が入っている。
「やっぱり、そうだったの。他の三つは?」
「全滅。直るかな、これ。」
そうして机の上にシノはあと三つ同じものを並べる。どれも真ん中に亀裂が入っていた。
「なにこれ?綺麗だねえ。」
リカが一つ手に取った。光にかざしたり手の中で転がしたりしている。
「なんの飾りかな?それとも御守り系?」
「魔除の護りです。見たことありませんか?」
「んー、ないなぁ。これどんな効果があるの?」
「どんな効果って...。知らないんですか?」
シノが不思議そうに聞く。割とこの辺りではメジャーな筈だが。
「店の中や家で登録した者しか魔法が使えなくなるものですよ。魔法なんて使う人はいませんから呪いのようなものですが。」
「へー、そうなんだ。私達の国にはなかったなぁ。」
物珍しそうにリカは護りを見る。確かに表立って出ているものでは無いので知らなければ分からないだろう。
「それが壊れてたから奇襲されたって訳か。」
「普通壊せるものではないのですよ。思いっきり振りかぶるぐらいしないと。そんなことを店でしていたら気づくでしょう。」
「なるほどねぇ」とリカは呟いて護りを触る。余程気に入ったのだろうか。なかなか護りを離さない。
「お姉ちゃん、これからどうするの?」
スズが心配そうに私を見る。シノの方に目を向けると真剣な眼差しが返ってきた。
(さて、どう切り出したものか)
話し出すタイミングを考えていると検分し終わったのかリカがことりと護りを置いた。
「面白い構造だった。さて、なんか話したいことがあるみたいだね。」
ニコリとリカは笑った。それは何故か背筋が凍るようなものだった。考えていた回りくどい説明を後回しにして私は単刀直入に切り出した。
「私達の護衛をしてくれませんか。」
「...ほう、そう来たか。」
リカにとっては予想外だったようだ。
「お金ならいくらでもはらいます。次の...そうですね、ユンガチュエまでの護衛を頼みたいです。」
ユンガチュエはコランチェとは反対方向の国だ。緑豊かな国だと聞いている。そこでならもう少し安心した暮らしができるのではないか。私達はもうコランチェと関わる気はないのだから。
「んー。はぁ。そうか、そうなんだ。ゆっくりのんびり暮らしたいと。うーん。」
リカは腕を組み悩んでいる。エンはリカの結論を待っているようだ。
「うーん、よし。その考え、却下!」
「「えぇ?!」」
思わず私とシノは声を上げた。
「お金ならいくらでもはらいますよ?!」
「何がダメですか?!」
エンは私達の反応に眉を顰める。リカは心做しか楽しそうだ。
「お金の問題じゃないからね。私の心持ちの問題だから。私の言う条件を飲んでくれたら護衛してもいいよ。」
ニコリと笑うその笑みの奥で何か企みが見える。私はゴクリと唾を飲んだ。
「わかりました。条件を教えてください。」
「姉さん」とシノが呼んだ。けれどここで逃せばきっと機会は巡ってこない。リカはビシッと私達を指さした。
「私と一緒に旅しましょう!」
ん?たび?多比?旅?
「えぇ?!」
私よりも先にシノは声を上げた。私はアングリと開いた口を手で隠す。
「お姉ちゃん!旅だって!いいじゃん!面白そう!」
スズはとても楽しそうに足を揺らす。そのうち跳ね出しそうな感じだ。
「こら、スズ、落ち着きなさい。」
「だって旅だよ!リカさんが話してくれた面白いことが起こるんだよ!」
夕食時の旅話が余程お気に入りのようだ。
「私は安定した暮らしを望んでいるんです。残念ですがそれは...」
「カイナの言う安定した暮らしができるとは思わないけどね。」
できません、という言葉を遮られ、リカに否定される。
「あの刺客はコランチェからのでしょ。」
「どうしてそれを...」
「だいたい訛りでね。そしてあなた達はコランチェの誰かからの何故か追われてる。」
私は何も言えずに黙る。
「あなた達は元々結構裕福な方だったんじゃない?言葉遣いが丁寧。どう?当たってる?」
「...。」
「そして国外にいるにも関わらずその人は追ってきた。きっと執念深い人なんだろうね。私はそういう人たちも見てきたつもりなんだよ。きっとどこまでもおってくる。現に安全だと思ってた場所もダメだったでしょう?」
しばらく沈黙が続く。確かにその可能性がないとは言いきれない。あの女はそれほどの権力を今持っている。
「...俺は賛成する。」
「シノ!」
「お兄ちゃん!」
「姉さん、リカさんの言う通り安全な場所はないんだよ。これも破られたし。」
シノはぴんと護りを弾く。
「それに俺は弱い。それが昨日わかった。」
シノの目が鋭くなる。その奥に燃える冷たい炎が見える気がして一瞬怯む。
「旅をしたら俺もリカさんみたいに強くなれるかな。」
「旅が私を強くしたわけじゃないけどね。ここにいるよりはきっと強くなるよ。」
シノの決意はわかる。けれど私はもう何も失いたくないのだ。三人で安全に暮らしたい。前のような優雅な暮らしでなくとも命の危険がない今の方が余程いい。それでもシノとスズがそういうのなら私は...。
「...っ。わかりました。」
「姉さん!」
「その代わり、ちゃんと守ってください。もし、守りきれなかったらか...いえ、そうならないようにしてください。万が一が起これば私はどうなるか分かりません。」
リカは真剣な眼差しで頷いた。その時はまだ知らなかった。この決断が後にどう動くのか。
~~~~~~
「よし!そうと決まれば買い物だ!」
「行くぞ」と言ってリカは外に出る。
「ちょっ、ちょっと待ってください!何を買うんですか?準備ならできてます。早めにこの街を出ましょう。」
リカは少し考えるふりをしてこちらを見た。けれど考えを変えないつもりなのが何故かわかった。
「大丈夫。今日出るのは得策じゃない。それにもう護衛の仕事は始まってるから今日はお酒飲まないし。昨日は酔って眠かったんだよね。」
そういえばリカが私の秘蔵酒を一気飲みしていたのを思い出す。確かにあれで酔っ払わない方がおかしいだろう。
「ほら、早く行かないとお店閉まっちゃうでしょ。」
リカは片目を瞑ってニコリと笑う。スズとシノは行く気満々なようで自分の財布を各々腰に付けていた。
「私は留守番しますが、カイナさんはどうしますか?」
「...行きます。流石に二人が心配なので。それに旅に必要なものは詳しいでしょう?」
「わかりました。行ってらっしゃいませ。」
私が出るとリカは足早に露店街の方へ歩く。
「何を買うつもりですか?」
「動きやすい服と靴。あとは日持ちする食べ物と水...ぐらいかな。」
そう言いながらリカは肉屋で買い物をする。ただ払った金と貰った量が釣り合わない気もするが。そうこうしている間に残すは服だけとなった。
「私はあんまり服は持ち歩かないんだけどね。二着あれば十分。だからカイナ達には外套を買うだけでいいと思うよ。」
私は外套を探す。私やシノの身長に合うものはすぐに見つかったがスズのものがなかなか見つからず大変だった。会計を済ませるとちょうど5つの鐘が鳴った。いつの間にか夕方だ。家に戻り「今日が最後のゆっくり眠れる日と思うように」と言われ、その日はぐっすりと眠った。
~~~~~~
「...て、...きて、起きて。」
朝叩き起こされるということを初めてされた。まだ朝日も登っていないような薄暗い朝だ。
「やっと起きたか。さぁ、準備して出発だよ。朝ごはん食べる時間なくなるよ。」
私は寝ぼけながら準備をする。テーブルには既に朝食がでていた。頭がまだ覚醒しない中食べ始める。するとシノやスズが順番に起きてきて眠そうにしながら朝食を済ませた。
「なんでこんなに早いんですか?」
私は聞くとリカはため息を着いた。
「大体の門番は朝、昼、夜の交代制なの。本当は夜番の眠そうな門番の時に出ていけば記憶に残りにくいんだけどね。もうこの時間じゃあ朝番に変わったろうな。」
そんなことを考えたこともなかった私はただ驚いた。というかなぜ記憶に残りにくい方法を知っているのだろうか。
(なるべく記憶に残りたくない?)
町で人気者だったリカには無理な話な気がするが。そして覚醒してきた私の目にリカの格好が目に入る。
「リカさん、その服男物と見えるのですが。」
「そうだよ。」
「リカさんって実は...男?」
私が恐る恐る聞くとリカは笑った。
「あはは、違う違う。女物は動きづらいから男物にしただけ。あと他の理由もあるけどね。」
確かにひらひらのスカートは動きづらい。今度私も男物を来てみようかと思った。
「さて、皆さん。準備おーけー?この家に別れを告げよう。」
私は改めて部屋を見渡す。思えば結構思い出深い場所になっていた。先生の店は途絶えることに少し悲しくなるが。外に出て見ると青いドアがくすんで見えた。
「「「今までありがとう。」」」
三人で声を合わせて別れを告げる。朝日が上り一の鐘が鳴った。人が動き出す音がする。
「さあ、行くぞ!」
「「おー!」」
シノとスズがリカに続いて声を出す。門までは朝市を通る。けれど早い時間からか市場には人が見当たらない。後ろを振り返ることなく門に辿り着く。門番は居ない。あまりの人気のなさに違和感を感じなくはないがそれよりもこの街を出ることに胸がいっぱいになる。自分の中に二年という長い年月の間にできた愛着があることに驚く。一歩前進すれば外になる。その線を超えるまでに......。
(ありがとう)
旅への第一歩を踏み出した。