嵐の前の静けさ
朝市に向かうと当然のようにリカもついてきた。そしてリカコールも昨日同様、いやもっと多くしていた。
「本当にリカさんは人気者ですね。いつまでここにいるつもりなんですか?もしかしてここに留まるつもりですか?」
「ん?そうだね。明日の早朝ぐらいまでに出発するかな。ここに長くいたのはエンがスズちゃんを心配してたから。全快になったらきっと出発だよ。多分今日ぐらいに全快になるだろうから。私の予想ってね意外と外れないんだよ。」
私は少し驚いた。リカはエンのことなぞ考えずに自分勝手に行動していると思っていた。
(意外と聞く耳は持ってるんだ)
朝市から帰ると昨日のように既に朝食が出ていた。昨日使いきれなかった分の素材を使っているらしい。とても美味しかった。リカとエンはそれぞれ出かけていった。いつものように店を開く。最近ドタバタしていて早めに閉めていたので来れなかったお客が意外と来ていた。
「繁盛してるね。」
「うん。...シノ、店番できる?ちょっとスズの様子見てくる。」
「わかった。」
私は寝室に向かう。けれどスズは布団にいない。
「え...。スズ?スズどこ?」
慌てて布団の中を除く。ふと後ろに気配を感じ振り返る。
「んーばぁー!」
「はぁ、スズ驚かさないでよ。」
「だってー、寝てばっかりつまんない!」
私ははぁ、とため息を着く。これだけ元気になれば大丈夫だろう。すっかり元通りだ。リカの予感は当たったことになる。
「じゃあ、スズ、手伝ってくれる?今日はお店が大繁盛してるから。」
「はい!スズ、手伝います!」
「お願いね。」
これで勝手に外に遊びに行くことは無いだろう。友達と遊びに行くと行ったっきり夜まで帰らず、泣いているところを発見されたことは記憶に新しい。
私はその後薬草を取りに行って、補充し、ここに戻らなくても良いように荷造りをし始めた。杞憂であればいいのだが、二年たったのだ。十分安全安心な時を過ごしたのだから。それにあの時よりも準備が整っている。今からでも出発できる。
ゴーンと正午の鐘が鳴る。シノとスズに大事なものはないか確認して終了だ。確認が終わり、もうそろそろ店を閉めようか考えている時、店の扉の前にキョロキョロと周りを見渡す不自然な男がいた。しばらくたっていたが諦めたように店に入ってきた。
「あのー、」
「はい。なんでしょうか。」
男は酷く震えていた。
「ここに、ゲィ、『ゲィニック』は売っていませんか?そういう噂を聞いたもので。」
(ゲィニック?!どうして...)
思わず目が大きく開く。口も開きそうになり慌てて口を抑える。ここ最近で随分感情が出やすくなっているようだ。ゆっくり口角を上げる。視線をやると、男はニヘラァと笑った。
「.....ゲィ、『ゲィニック』ですか?さぁ、存じませんが。昨年亡くなった先生ならわかるかも知れませんが。」
「あるでしょう?あるはずなんです!ないととても困るんですよ!」
男はずいっと迫る。その目は鈍く光っていて体は震えていた。
「本当に存じません。失礼ですが、お帰りください。」
ニコリと微笑んで圧をかける。
「お願いします!ないと妻が...妻が殺されてしまうかもしれないんですよ!」
「...なぜ『ゲィニック』がないと殺されてしまうのですか?」
「それはその.....とにかく必要なんです!」
男の必死さは伝わるがこちらが協力する義理はない。
「申し訳ありませんが、お役に立てそうにないですね。今日はもう店を閉めるのでまた明日にでも来てください。」
「...明日も空いていますか?」
「えぇ、もちろんです。ですから今日はお帰りください。」
半ば強制的に男を外に追い出して店を閉め、扉に着いているベルを取った。黄色かったベルはほんのり赤くなっていた。
家に戻るとリカとエンは帰ってきていたようで、夕飯が作られていた。少し早いが夕飯を食べる。今日はスズもテーブルについて食べていた。スズはリカの旅について興味があるのか嬉嬉として尋ねていた。私は聞き手に周り黙々と食べる。悶々と考えていることがたどり着きたくない結論に達しそうになる。
「.......ってカイナはどう思う?」
「...え?ああ、ごめんなさい。聞いてませんでした。なんの話しでしたか?」
「だぁかぁらぁ、木の葉のブローチと、木の葉のマントどっちが正解かってこと。」
木の葉のブローチもマントも何を意味しているか全く分からないが問題らしいので適当でいいだろう。
「木の葉のマントでお願いします。」
「ざーんねん、ハズレ。正解はブローチだよ。女の子にマントなんていらないでしょ。」
話を聞くとどうやら求婚の話のようだ。相手にそれぞれ綺麗な木の葉の物を送る習慣がある国があるらしい。そういえばあの男もブローチをしていた。
(確かあれは...あれは...)
自分の血の気が引いていくのがわかる。食べる手が止まり、匙が皿に落ちた。
「どうしたの姉さん。顔色悪いよ。」
「な、なんでもないわ。大丈夫よ。」
「なんでもなさそうには見えないけど?」
沈黙が続く。気付けばみな食べ終わり、私の方を向いていた。
「なんでもないのよ、ほんとに。」
「ならいいんだけど。」
シノはまだ不満顔で私を見る。そんな顔で見られても私にはどうしようもない。確証は全く持てないのだから。
「シノ、一応、片付けと準備よろしくね。」
シノは驚いたように目を見張る。けれどそれは一瞬ですぐに片付けに取り掛かった。
「お姉ちゃん、スズは何したらいーい?」
「そうねぇ、じゃあ、今日はあのお布団準備してくれる?」
「えー、あのお布団重いからやだ。」
「我儘言わないの。用心のためだから。」
「わかった」とスズは不満気に寝室に向かう。片付けはほとんどできていたと思っていたが意外と残り物が多くいつの間にか時間がすぎていた。スズとシノは眠りにつき、大人の時間になる。
「んー!美味い!」
リカはコップに注がれた酒を一気に飲み干す。今日は餞別として、秘蔵の酒を出している。リカが持ってきた戦利品よりは劣るがなかなかの上物である。
「どこでこんなの仕入れたの?」
「秘密です。私には私しかないルートがあるんですよ。リカさんこそ、あのワインボトルどこで手に入れたんですか?」
「ふふ、ひ、み、つ。世の中には知らない方がいいこともあるんだよ〜。」
「はぁ、リカ様は相手がどこの誰か知らないだけでしょうに。」
ふん、とリカは鼻を鳴らし、そっぽをむく。相手を知らずに喧嘩を売るとは、かなり命知らずらしい。
「カイナの髪って綺麗だねぇ。ここら辺は割と髪の毛の色が色々あるけど。珍しい色なんじゃないの?」
リカはすぐに話を逸らした。
「私のこれは染めているんです。結構この色、気に入ってるんですよ。」
私は元々金髪だが一度ピンク色に染めてもらった。ただ髪が伸びたせいで上の方から金髪になっている。伸びてきて邪魔なのでいつも下のところで一つ結びか三つ編みだ。
「私も染めてみようかな?」
「リカさんの黒髪は綺麗ですから染めない方がいいと思いますよ。」
そう?と言ってリカは自分の髪をいじる。黒髪が珍しい訳では無いが吸い込まれそうなほど漆黒の髪はなかなか貴重だ。しばらくリカは髪を弄っていたが急にこちらを見た。
「そ、れ、で、カイナは何を警戒してるの?」
私は黙る。家にあがらせるぐらいの信用はあるが、全て話すには足りない。
「わかってしまうものですね。」
「そりゃあ、ねえ。こんなに家の中の物がなくなったら誰でも気づくと思うけど。」
私はニコリと笑い、目の前の酒を少し飲む。度数が高めの秘蔵酒は少し体を温める。私は話をそらす話題を探す。
「そういえば結局スズの病はなんだったのですか?今なら話してくれませんか?」
本当に回復したから良いものの、もう一度かかる危険性があるならぜひ知っておきたい。
「...あれは.......私達がーーー」
「私達が持ってきちゃった病原体。小さい子には罹りやすいんだって。」
エンの言葉を遮り、リカは言い放った。
「今までは誰もなんともなかったんだけどやっぱり国境近くは免疫も違うみたいだね。」
「...でもスズはリカさんたちが来る前に病気になったんですよ。」
「この病気は猫などの動物から感染します。」
エンは少し悔しそうに口を開く。
「荷物の中に猫が紛れ込んでいたんです。それに気づいて逃がしました。すみません。こんなことになるとは...」
エンを責める気はない。私もエンと同じことをしただろうから。確かスズは猫たちにミルクをあげたと言っていた。その時に感染したのだろう。
「ありがとうございます。ずっと気になっていたのでおかげでスッキリしました。」
エンはほっと息を吐いた。ちびりちびりと酒を飲む。心に引っかかっていたものが酒の温かさで溶けていくようだ。ゆったりとした時間が流れる。不意に風が吹いた気がした。
カランカラン
寝室からベルの音がした。