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自分の不機嫌と他人の不機嫌

生きていると自分の思い通りにならないことばかりだ。


それでも信じたい。と願い生きている。


自分にも他人にも、物事に対して肯定か否定かの判断基準がある。


言ったこと、言われたこと

やったこと、やられたこと


肯定的な否定もあれば、否定的な肯定もある。


例えば、わかった!と言っても全然理解していないし、は?何言ってんの?と思うこともあるし、逆に、言葉では否定しているが、まーいいかと思うこともある。


事象への判断基準と個(人)への判断基準で頭の中で使い分けている。


例えば、恋人と喧嘩して、キッカケとなる事象やそれに伴う罵詈雑言はムカつくし、こちらが一時的に怒り嫌いとなっていてもも、わかった!と言えるし、ふざけんな!と言いながらもモーションだけの時もある。


言葉を言葉通りに受け取ると疲れるのでスルーしている。

一面だけを見ているならば極端な結果となる。


恋人と付き合う目的は疲れるためではない。

双方心地よいと思えるように生きるためだ。


相手の不機嫌をぶつけられたら反論かスルーしてやりすごす。冷静になれば、また一緒にいたい生きたいと思うでしょうよ。


他人の認知や感情などは真にわかり合えない。

自分も他人もありのままを尊重して生きるのは難しい。死ぬときになんとなく理解できていたらよいかもなって想ってる。


アホみたいに愛してアホみたいに嫌わられることもある。それも生きるってことなのかな。と、くすんだ色の天井を眺めながら今日も終わる。

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