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コトの風  作者: Suzugranpa
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第31話 吉野リベンジ

 三学期の期末テストも終わり、終業式までのゆるい時間と、寒い中にも一条の暖かい光が射しこむ三月、琴とゆりは、家の近くのカフェにいた。


「3年はクラス替えないんだねえ」

「うん、履修科目のことがあるから、その方が楽なんじゃないの」

「春休みから予備校行ってる子もいるんだよ」

「行きたがる子は、前から行ってるよ。あたしらが自転車で走ってる頃から、塾へ走ってってる」

「楽しい時ないじゃない」


「うん。そうだ、お小夜はこの頃どうなの?」

「至って普通だよ。家出騒ぎなんかなかったみたい」

「ふーん、吹っ切れたのかなあ」

「そうじゃない?お小夜、教育大受けるって言ってる」

「あれ、そうなんだ。俳優とか言ってたから芸大かと思ってた」


「なんか思う所があるみたいだけど、聞きにくいからその話はしないんだ」

「じゃ、あたしが今度聞いてみよ」

「え?大丈夫かな」

「大丈夫だよ、さっぱりしてると思うし、元々あたしも教育大受けるつもりだったから、話は合うよ」

「私は同じクラスなのに、ゆりの方が絆が強いなあ」

「だってお小夜はあたしが入院した時の応援団長だったからね。そうだ、コトはワッフル行ってる?」


「うーん、二月は一回だけかな。寒いと自転車乗る気にならないし」

「そっか、あたし、お正月からずっと行ってないんだよなあ」

「はい、その節はご迷惑をお掛けしました…」

「まだ気にしてるの?あんなの誰でも一回はやるよ。でもタイヤが新品になって良かったじゃん」

「なんか、コウヘイさん可哀想なくらいに落ち込んでたよ。前のタイヤも一緒に替えてくれたし、悪いことしたなあって」


「いいんだよコウヘイさんは。幸せが近づいているんだから」

「いつ結婚するんだろう」

「さあ、ヨシノさん次第なんじゃない?」

「そうだ、ずっと前にヨシノさんからメール来てたんだ。春休みに吉野リベンジに行こうって」

「行ってきなよ。受験前の最後のライドだよ。ついでに結婚も聞いてみたら?」


「あー、ちょっと重いかも。ゆりは春休みどうするの?」

「リハビリと勉強。来月からはステッキなしで歩くことにしてる。今でも結構いけるんだけどね、転ばぬ先の杖を持ってる」

「来年の今頃は走れるかな」

「たぶん」


 ゆりの表情は随分と明るくなっていた。自転車は乗れていないけど、そんなゆりに琴はずーっと助けられていた気がする。いつか恩返しできるかな。


「じゃ、せめてヨシノさん情報集めてくるわ」

「うん。今度は転ばないようにね」

「あーい」


 そして春休みに入って間もなく、琴はヨシノさんと吉野ツーリングに出掛けた。


「コウヘイさんは?」

「ああ、彼は今日仕事よ。嵐山へツアーの付き添い」

「仕事でも趣味でも自転車なんですねー」

「ヤツから自転車取ったら何も残らないわよ。単純だからね」


 橿原を過ぎ、明日香を過ぎ、奥明日香から、琴が1月にアタックした坂道に入った。


「ああ、思い出すよーしんどかったの」

「トラウマねー」ヨシノさんは笑う。

「行けども行けども坂ですねえ」

「ゆっくりでいいよ。焦っても山は逃げないから」

「逃げて欲しいです、どっちか言うと… はあはあ」


 まだ寒さが残る山の中には、木々の間から早春の光が射しこんで、気の早いウグイスがまだ下手くそな声で囀っていた。


「さ、もうすぐだよ」

「はい、…、今日は、崖崩れ、なくて、良かった、はあはあ」


 ようやく芋峠に辿り着いた琴は、ヘロヘロだった。


「じゃあ、ちょっと休憩ね」

「はい、有難うございます…」

「羊羹食べて」

「はい、有難うございます…」

「ここを登れたら、大体どこでも行けると思うよ。帰りの国道の坂もこれ程じゃないし、もう今日は大丈夫よ」

「はい、大丈夫じゃないと私が大丈夫じゃないです」


 一休みを終えた二人は今度は吉野に向けて坂を下った。


「ひやー寒いですねー」


「自転車は、そういう調整が難しいのね。上りは暑くて下りは寒い」

「うわー、凄い岩だ!苔だらけ」

「きっと飛鳥時代からあそこにあるのよ」

「凄い。じゃあ聖徳太子とか目撃してるかもですね」

「そうねえ、お喋りしてくれたら歴史学者は随分楽でしょうけどねえ」


 山を下ると大和上市に出て、しばらく国道を走った。


「トラックとか多いから、気をつけてねー」

「はーい、川大きいですねー」

「吉野川だよー、路肩狭いから気をつけてねー」

「はーい」


 随分と走ってようやく道路標識に「橿原」の字が出てきた。


「大きい交差点を右折しまーす」

「はーい」


 右折したのは交通量の多い国道だった。緩やかな登坂になっている。信号待ちの間にヨシノさんが言った。


「えっと、しんどいと思うけど、もう少し走って道の駅で休憩するよ」

「はい」

「しばらく坂だけど頑張ってね」

「はい」


 ヨシノさんの言った通り、国道はずっと上り基調だった。道幅もさして広くなく、追い抜いてゆく車に琴は冷や冷やした。


 国道が四車線に拡がり、殆ど峠に近づいたころ、ようやく道の駅の看板が見えた。琴の足はもう力が入らなくなっていた。


「琴ちゃん頑張ってー、あそこに入るから」

「あーい」


 ようやく辿り着いた道の駅は結構にぎわっていた。野菜やお土産をいろいろ売っている。


「折角だから、柿の葉寿司を買って食べよう。そこのベンチで待ってて」


 琴は脱力した操り人形のようにベンチにへたり込んだ。あー、吉野って鬼門だよきっと。


 やがてヨシノさんは二人分の柿の葉寿司と暖かいお茶を持ってきた。


「柿の葉寿司って、それ程好きでもなかったけど、こういう時に食べると美味しいのよ」


 パッケージを開けると柿の葉の香りがプンとする。そして柿の葉を開けると、今度は酢飯の香りがした。


「ホントだ。予想以上に美味しい」


 琴は柿の葉寿司5つをペロリと平らげた。


「ちょっと元気出たでしょ」

「はい、出た気がします」

「ここからすぐに長いトンネルがあって、そのトンネル抜けたらずっと下りだから楽だよ。でもスピード出過ぎるからそれはそれで気をつけて。それとトンネルの中は歩道を走るけど、砂だらけで滑るし時々コンクリートの破片とか大きい石が落ちてるから前をよく見てね」

「はい、大きい石はもう嫌ですよ」


 楽になった二人は再び自転車にまたがりトンネルを突破、下り坂を一気に降りて高取から明日香に戻って来た。


「ここからは判ると思うけど、今日はちょっとワッフルに寄ってね」

「はい?」


 二人がカフェ・ワッフルに着いたのは夕方近かった。


♪チョリーン


「おお、お帰りー」


 カウンターの中でマスターが言った。


「あ、お帰りなさーい」


 続けて知らない人が言った。


「琴ちゃん、紹介するわね。私の大学の後輩で、五十鈴ちゃん。私の後釜で働いてるの」

「初めまして、あなたが琴ちゃんか。たくさん話聞いてますよ」

「あ、は、初めまして…。麻影琴です。ヨシノさんの代わりって、ヨシノさん辞めたんですか?」


「ううん、週一回だけ入ってるんだけどね。いろいろ忙しくて毎日入れないのよ。で、無理やり引っ張ってきちゃったの。五十鈴ちゃんもスポーツウーマンだからね、スポーツジムでインストラクターやってるのよ」


 五十鈴さんはショートヘアで如何にもスポーツが出来そうな雰囲気だった。


「琴ちゃんってバレエやってたんだって?」


 五十鈴さんが聞いてきた。


「え、あー、まあ中学の時までですけど、近所で習ってて、でも全然上達しなくて落ちこぼれてました」

「そーなんだ。私も子供の頃、少しだけやってたから親近感あったんだよ。宝塚受けたんだってね?」

「あー、それは穴があったら入りたいくらいの思い出で、親が勝手にやっちゃって、私、声楽とかやったことなかったから散々でした」


「でも偉いよ、受けに行くだけ。琴ちゃんバイタリティあるねー」

「いや、よく考えないで行っちゃうだけで、皆さんに迷惑かけてます…」


 奥でマスターの笑い声が聞こえた。


 クレープをご馳走になった琴は、その後、ヨシノさんに車で送ってもらった。


「あのー、ヨシノさん、いろいろ忙しいって、もしかしたら結婚…ですか?」


 琴は思い切って聞いてみた。ゆりとの約束だからだ。


「まあね、軽く考えてたけど、実際にはいろいろややこしい話が多くてね」

「いつ頃なんですか?」

「うーん、まだ決まってないけど、多分琴ちゃんとゆりちゃんが受験勉強でカンカンになってる頃かなあ」


「はあ、そうなんですか。私、しばらく自転車乗れないし、ワッフルにも来れないし」

「あら、それでいいのよ。受験生なんだから、これからは勉強に集中してもらわないとね」

「はい、がんばりマス」


 今一つ掴みどころのない話だったが、恐らく一年以内にヨシノさんは結婚する。代わりにワッフルには後輩の五十鈴さんがいる。ゆりへの報告はこの2点だ。


 マンションの自転車置き場にすずらん号を入れながら、琴はぼーっと考えた。そうだ、吉野まで行けたってのも報告だ。夜、ゆりにLINEしよ。琴は重い足を引きずりながら階段を上がった。


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