第12話 チューブ交換の練習
梅雨の半ば、少し泣きそうな空の下、琴はすずらん号に乗ってショップを訪れた。
「コウヘイさん、パンク修理教えて下さい」
「おやおや殊勝なお願いですねえ。ついでに一ヶ月点検しますよ」
「自転車をひっくり返してタイヤを外すところまでは、ゆりに教わったんですけど」
「そうなんですか。じゃ、まずそこまでやって下さい」
琴はゆりに教わった通り、使い捨て手袋を取り出した。
えっと、まずトップに入れて、ブレーキ開放して、よっと、ああごめんね、すずらんちゃん…
琴は苦労しながらタイヤを外した。
「すずらんちゃん ってもしかしてこの子の名前?」
「はい、めっちゃ似合ってるでしょう?」
「確かに。女の子らしいネーミングですねえ」
「コウヘイさんの自転車って名前ありますか?」
「ありますよ。シンザンって言うんです」
「シンザン?」
「はい、昔の競馬の強いサラブレットから頂きました。五冠馬だったんですよ。漢字は馬とは違って深い山でシンザンです」
「へえ、女子より細かい気がしますけど…」
「自転車のことになるとね、やたらこだわりますよ。で、まず空気を抜きます。判りますよね。空気入れる時にバルブの先端押さえてプシュって出すでしょ。あれを続けると抜けますから。じゃ、やってみて下さい」
「はいー、キャップ取って、よっ」
タイヤはぺっちゃんこになった。ああ、ついにやってしまった感がありあり。
「では、ここを外して、タイヤからチューブを取り出します。堅い事あるから最初は大変と思うけど、慣れるしかないです」
「慣れたくないなあパンクは」
「でもね、一番起こって欲しくないときに起こるんですよ、パンクって奴は」
コウヘイさんはタイヤレバーを使いながら、ペコっとビートを外した。
「琴ちゃんもやってみて下さい。タイヤレバーでチューブを傷つけないように気を付けて下さいよ。本当にパンクしちゃうから」
やってみると、なかなか難しい作業だった。チューブをずるずる引き出して、その長さにびっくりして、次にチューブに空気入れてみて、その太さにまたびっくりした。
「実際にパンクした時は、どこに穴が開いたか、少し空気入れて頬の所で感じると判り易いですよ。それとタイヤの方も何か刺さっていないか、裏側までようく見ておかないと、せっかく交換したチューブにまた穴開いちゃいます。目で見えないときは、こうやって指を滑らせて引っ掛からないか見るんです」
コウヘイさんは手際よくやるけど、これは結構大変だ。
琴も一通りチューブとタイヤをチェックした。よく見るとタイヤには小さな穴が開いていて、裏まで貫通していないものの、常にパンクとは隣り合わせであることが実感できた。
「じゃ、このチューブを使って元に戻します」
コウヘイさんは新しいチューブを渡してくれた。
「え?これ使うんですか?」
「そうです。新しいチューブでやっておいた方が練習になるでしょ。これまで使っていたチューブは予備で取っておいて下さい。大丈夫ですよ、プレゼントしますから」
琴は真新しいチューブをタイヤに押し込んで、苦労してタイヤビートを嵌めこんで、チューブを噛んでいないかチェックした。
「じゃ、空気入れてみて下さい。携帯ポンプでどれ位入るか実験です」
先日ゆりが言った通り、携帯ポンプでは、掌が真っ赤になる程頑張ってもパンパンに入らなかった。
「これ以上押せないんですけど…」
「ですよね、ま、これ位なら取り敢えず走れるので、一旦車体につけましょうか」
琴はディレーラを押したり引いたりしながらタイヤを嵌めこんで、クイックを締めて、車体を戻しブレーキを戻し、一応完成した。
「コンビニやカフェで、空気入れを置いてあるところがあるので、出かける時はサイクリングマップで確認しておいた方がいいです。ま、出先で困ったら店に電話して下さい。こっちで調べて教えますから」
「結局そうなると思うので、よろしくお願いします」
琴は謙虚に頭を下げた。
「今日はパッチ貼る作業は教えませんでしたけど、チューブ替えた方が確実で早いので、出来れば予備チューブは2本携行して下さいね。それから、これも差し上げますから、ええっとイージーパッチって言って、チューブの穴を塞ぐシールみたいなものです。予備チューブを使い果たした場合の最後の手段です」
「いろいろすみません」
「白状するとね、ゆりちゃんから言われてたんですよ。琴ちゃん行くからよろしくってね」
あー、ゆりには全く頭が上がらない。
その他にもメンテや掃除の方法を細々と教わった琴は、草臥れ切ってショップを後にした。
すずらんちゃんは私がいないと駄目なんだ。オイルやクリーナーが入った重いリュックと一緒に、琴はすずらん号への責任も背負って帰ったのだった。




