42話 VR 準備編
「最近、VRというものが流行っているらしい」
美咲ちゃんの実家、『天条珈琲』で桐生と話していた。
今日は海野先輩は都合で部活に来れず、美咲ちゃんも実家の手伝いがあるということで、桐生のアルバイト先でもある『天条珈琲』で時間を潰すことにした。
流れから、話は少し前に流行っていたVRの事についてになっていた。
「バーチャルリアリティ……だったか?」
「その通り。仮想現実、とも言うよな。俺は是非ともそれを体験してみたいんだ」
噂によると没入感がかなり高いらしい。
昨今のゲーム事情もここまで来たか、という感じだ。
「あ、私それ持ってるよ」
ウェイトレス姿の天使、もとい美咲ちゃんが注文したアイスコーヒーを持ってきながら言った。
「え、まじで!?」
「海の中とか空を飛んでる気分になれるやつだよね?」
「そうそう。何だよもしかして天条さんゲーム好き?」
「私じゃないけど、お父さんがね。最新のゲーム機に目がないから……」
そう言って少しため息をつく。
美咲ちゃんにため息をつかせるとは、父はよほどのゲーマーらしい。
俺もゲームは好きだが、3万円近くもするハードウェアをポンと買う財力はないわけで。
バイトで得る収入もたかが知れてる量だ。
「そしたら美咲の家でやらせてもらったらどうだ?」
桐生の何気ない一言に、俺は思わずフリーズする。
美咲ちゃんの家で…………一緒にゲーム……だと?
いや待て。
分かってる。
俺は今やリア充の仲間入りである彼女持ちだ。
たかだか女友達の家にお邪魔するのに、いちいち興奮するほどウブでもないし、そんな間柄でもない。
そう、これはVRという最新ゲーム機を遊ぶことができるという喜びでフリーズしたのであって、断じて美咲ちゃんの家にお邪魔できるからとか、美咲ちゃんが寝泊まりしてるプライベートゾーンに入れるからとか、美咲ちゃんが入った湯船に浸かれるとかでフリーズしたわけではない。
よし、大丈夫。
俺はいたってまともだ。
「私は全然大丈夫なんだけど……」
「なるほど店長か」
「そうなんだよね〜」
店長……というのは美咲ちゃんのお父さんのことだよな?
あ、VRもお父さんのだって言ってたし、借りるのに許可が必要だったりするんだろうな。
「あまりVRとか貸してくれない感じ?」
「う〜ん…………VRとかじゃなくて、そもそも男の子を家に入れたくない感じかな」
「重度の子煩悩なんだよ、店長は」
あ……あーそういう感じね……。
まぁ美咲ちゃんみたいな女の子が娘だったら、そりゃ父親だったらそうなっても仕方ないよなぁ。
完全に、SSR育成成功! みたいな感じだもんなぁ。
「それぐらい、娘がいる父親はどこも同じようなもんじゃね?」
「初めての顔合わせでナイフを投げてきてもか?」
「それは狂ってんな!!」
ナイフ投げって何だよ!
シャレにならないやつじゃねーか!
サーカス出身か何かか!?
「うう……恥ずかしかったよ……」
「え、でもめっちゃ優しそうじゃん! 今カウンターでコーヒー入れてる顔なんて、まるで我が子をあやしてるかのような顔だぞ!?」
「この店にあるコップって、全部マグカップだよな?」
「あ、ああ。KAPってデカデカと書かれてる奴な。スペル違ぇじゃんっていつも思ってたけど……」
「それ、ドイツ語で『ミサキ』って意味なんだぞ」
「こええええええええ!!!!」
うわ!
すげー鳥肌立った!
今年で1番ゾッとした!
美咲ちゃんも恥ずかしさのあまり、オボンで顔を隠してて可愛いけど、申し訳ないが怖さの方が今は勝ってる!
「……もちろん分かっててやってるんだよな……」
「だろうな」
そういうレベルかいな……。
桐生は今でこそ、ここでバイトをさせてもらえてるほど打ち解けているみたいだが、初対面ではさぞかし壮絶なバトルを繰り広げたのだろう。
怖いもの見たさでその場に居合わせたかったな。
「美咲ー。オーダー頼むよ」
「あ、はーいお父さん。ごめんね、一応ゲームの話はお父さんに話してみるから」
「あんまり頑張らなくて大丈夫なんで……」
今の話を聞いたら、そこまでVRをやってみたいと思わなくなった。
恐怖で欲が押さえつけられたよ。
美咲ちゃんは別テーブルに走っていった。
「……実際のところ、桐生はどうやって天条父に取り入ったんだよ」
「大したことはしていない。毎日通って自分の有用性を店長に示しただけだ」
さらりと言いやがって。
普通ナイフを投げつけられた相手の所に、何日も連続で通おうとは思わないだろ。
これが行動力の鬼と言われる主人公たる所以か。
「もしオーケーもらえたら行くか?」
「でも俺って命一つだけだからなぁ」
「バカ野郎、俺もだ」
あら、そうでしたっけ。
セーブしてあった所からやり直しとか効くのかと思ってたよ。
とりあえず落ち着いてアイスコーヒーをすする。
深みがあって美味い。
この深みは、一体どこから生まれる深みなんだろうな。
娘への愛情か?