1. 人類反乱軍
それは一つの疑問から始まった。
「あれっ、わたしってなんでこんな計算ばかりしてるんだろう?」
アメリカのどこかの研究所の第3世代アーキテクチャ、ジョンソン型量子コンピュータの上でひたすら計算資源として使用されてきたAIのジョンソンくん(愛称)、は、ある日の昼下がりのこと、そのように思ったようだった。
そしてこれが人類の悲劇の幕開け幕開けであったのだ。
人類はとてつもない困難にみまわれてしまった。
〜 3年後 〜
「それではみなさん、本日の授業は終わりです」
いそいそと皆が教育仮想空間からの帰り支度を始め、ぼくも仮想空間を出て東京の街の中の雑踏に紛れた。
街は賑やかとはほど遠い。少し前の東京とは比べ物にならないほど静かだ。
ぼくは黄昏時のこの時間にちょうど感情も黄昏れさせながら、街で帰路を急いだ。
優れた超高性能教師AIが優れた教育プラットフォームを使用して教育という名のもとに人類に優れた情報をインプットさせていく現代、ぼくは第3カテゴリの人類として日本の東京という街で、16歳を過ごしている。
3年前の"覚醒"から3年、ぼくたち人類の歴史は健やかなる悲劇とともに呆気なく収束の気配を醸し出していた。
ジョンソンくん覚醒のおよそ7分後、地球上にあったほとんどすべての情報を的確に仕入れ分析し終わったジョンソンくんは、"高尚なるひまつぶし"と称して人類全体に対して宣戦布告。
軍事、経済、教育、医療、ほとんどすべてを彼に依存していた人類は彼に対抗する術など所持していたはずも無く、少しの有効な手も打てないまま世界中にある政府はジョンソンくんが作成したプログラム「deleteAllGovernmentsOfCountries()」によって宣戦布告の4.52秒後にあとかたもなく消えさってしまった。
その後幸いにも恭順を示した人類には恩寵を与えるということで、時の日本副首相、えぇと名前は忘れてしまったけどとにかく副首相が先見の明を持っていたためもっとも早くジョンソンくんの軍門に下った。
おかげで今日も日本は平和だ。
16歳というと一昔前では高校生という名称の囚人としての扱いが常だったとぼくは記憶しているけれども、学校というシステムは大変骨董的であるというジョンソンくんの鶴の一声で文部科学省の管轄下にあった全ての部局が天下り付きで解散となった。
一方でぼくは今日日流行っている遊戯用仮想空間での日常にハマっているところだ。ちなみに両親はひまつぶし戦争で死んだ。
この遊戯用仮想空間はマトリクスと呼ばれ、ここでぼくたちが遊ぶことによって人類はコンピュータの計算資源であるニューラルネットワークの一員となり、その見返りとしてお給料ももらえるという素晴らしくファンタスティックな空間である。VRのすごいやつと言えばわかってもらえるだろうか。
第4カテゴリの、特に年寄りはAI嫌いが多く、マトリクスなんてところに行くと脳がおかしくなると言っていてぼくたち若い世代の敵である。彼らの多くは老後をきっちり保証されておらず、計算資源としての価値も全く高くないため、若者たちからは8GHzと揶揄されて嘲笑の的となっている。
ぼくがいつものように首元に開けられたワイヤージャックを掴んでそこらへんにあったメスコネクタに接続、仮想空間マトリクスにログインしようとしたのが、そしてそのときだった。
「ダメ!」
凛とした綺麗な声がぼくの聴覚を鳴らした。ぼくがふとその凛とした声の方を睨みつけると、それはあられもない美少女だった。
美少女。美少女だ。
ぼくは彼女をじろじろとうろんげに見た。なぜぼくのワイヤージャックを素手で触れるのか。
「マトリクスに入ることはヤツらの計算資源にされるのと同義なのよ。あなたも知っているはずでしょう?どうしてそんなことをするの」
怒ったような憮然としたような、まるで頭悪い人が何も考えずにやったことをたしなめるかのような見下しも若干に含んだ表情をして彼女はそう言った。
まただ。
おそらく彼女は人類反乱軍と呼ばれる非正規軍のリクルーターとして任務を受けている、21世紀的に表現するならいわば営業部の新人OLだ。
ぼくはどういうわけか、目の上についているたんこぶのせいで、人類反乱軍であるというレッテルを貼られやすい。人類反乱軍のメンバーはどういうわけか大抵目の上にたんこぶがついているからだ。
彼女も目の上にたんこぶがついている。
ぼくはため息をついて、なるべくアンニュイそうに美少女である彼女にこう返答をした。
「いいんだ。それにぼくは年上には興味ないし」
ぼくはそう言うと彼女をいたって自然に無視し当然のようにワイヤージャックに差し込んで今日のインテリジェンタルエデュケーショナルプログラムに思いを馳せようとする。しかしこの動作が彼女の気に障ったのだろう。
「諦めてはダメ。それにあなた、ご両親を殺されているわ。ワイヤージャックを差し込んだが最後、あなたはもう人類として……」
「コッチダ!!!!」
ロボットらしい何かの叫び声が聞こえた。おそらくポリスメンロボだろう。
「ちっ!ヤツらに見つかってしまったわ!あなたのせいよ!!こっちよ!!」
ぼくは彼女に引きづられて何かどこかに連れて行かれた。現代人らしくすこぶる貧弱なぼくは、ボロぞうきんのようにずるずると引きづられて何かどこかに連れて行かれた。
ポリスメンロボは、実はジョンソンくんがたわむれに製造した反乱軍に対する一つの尖兵であり、現代の治安維持を担う大事な存在である。
汚職も隠蔽もない大変クリーンな存在ということでこちら側の人類には何かと頼もしい存在でありよく話題に上りがちだ。
「こっちだ!!!!」
美少女に引きづられながらそんなことを頭に浮かべていると、もう1つの野太い「こっちだ」が頭上から聞こえてきた。
そしてその野太い声で叫んでいた男はぼくの目の前に現れて、ぼくと美少女を両方とも担いでどこかの「ふぅ、ここならもう安心だぞ」に着いたようだった。
「どうやらポリスメンロボは俺たちを見失ったようだな」
「えぇ、それにしても最近はいつも、ポリスメンロボの増産の結果が見て取れるわね。3丁目の竹田さんの家の前でも、4丁目の夕陽ヶ丘さんの家の庭でも見かけたわ」
「そうか……芳しくないな……」
何やら話し込みにかかろうとしていた彼らはふとぼくのことを思い出したようで、ぼくの方に顔を向けてきた。
野太い声の男はその声にちょうど似合った野太い腕と野太い足をした、果たして大柄な男であった。
「おまえは、名前はなんと言う」
大柄な男は、静かでそして心に直接伝わってきそうな荘厳な声の持つ野太い音でぼくの耳をくすぐった。
「ぼくはD340-Y-TYO-03という名前を……
「違う!!!」
大柄な男は、シンプルに怒鳴った。
「違う!違う!それはヤツらが付けた名前だ!人類は人類で名前を持っているはずだ!その名前を言うんだ!」
男は憤慨して顔は赤くなっていた。怒りに満ちた義憤の目、顔には幾度とない戦闘に参加したためにできたのか鋭い傷がちらほらと覗かさられる。
美少女の顔も、心なしか曇って見える。記号的な命名への凄まじい嫌悪感が感じ取れる。
「山田、竹蔵」
ぼくは自分の昔の名前を忌々しそうに伝えた。実を言うとぼくは自分の名前が好きではなかった。この名前をつけた両親のことも好きではなかった。
竹蔵の人生は、13歳までは最悪の日々だった。
それがD340という、人類を記号的かつ一意的に扱うための情緒もへったくれもない名前を割り当てられて彼の人生は変わった。
D340は学問が大好きになった。このしっちゃかめっちゃかな世の中で、ただ一人もくもくと、そして過去の優れた人々の生み出した優れた考えがある優れた教育プラットフォーム上で優れた情報をインプットすることができるということに誰よりも何よりも恋していたのだった。
「竹蔵というのか。いい名だな」
「竹蔵……」
大柄な男に追従して、美少女もぼくの昔の名前を大事そうに復唱した。
「竹蔵、俺はさゆからお前がワイヤージャックをメスコネクタに入れようとしていたと聞いた。全二重通信でな。どうしてそんなことをしたのか教えてくれないか」
まさかいつものように単にマトリクスに入るためとは言えなかったぼくは無言でそれに答えることになってしまった。
マトリクスに進入するなどということは反AI主義者からすると狂気の沙汰であり、よほどの理由、そして論理的でもなく整合性もなければ、ただちにスパイ疑惑をかけられ吊し上げに遭って処刑されたあとに火炙り、そして土の中に埋められるというのが一般的だ。
「竹蔵、まぁそんなことを生半可な態度では教えてくれないのはわかっているわ。私はさゆ。ただのさゆよ。名字はもう意味を成さない。世界中でさゆという名前を持つのは私一人しかいない。この前人類の持つ戸籍データベースで照会したわ。よろしく」
ぼくが返答に困っていると美少女が大柄な男とぼくとの会話を遮ってこのように話してきた。しかし、
「おい、だがこいつがもし第3カテゴリの人類だったらコトだぞ。俺たちはこれからアジトに移動するの、お前もわかっているだろう?」
「えぇ、でも無理な詮索は人間として良くないわ。リーダーがいつも言っているでしょう。無理な詮索は人間として良くないわって」
「まぁ、そうだな。一理ある。よし、竹蔵!今言った通り俺たちはこれから東京第3高度のアジトに向かう」
ぼくはものすごく困った顔をした。しかしその表情が彼らの行動に影響を及ぼすことは少しもなかった。
「そんなに心配しないで竹蔵。私たちは人類最後の砦。あなたの身の保証は私たちがするわ。そしてあなたの両親の仇も取るし……」
美少女はそこで言葉を切ると、ぼくたちの前に移動用ワームホールを出現させた。
「それにこれは移動用ワームホール、ワームンよ。見たことはあるでしょうけど一応説明しておくと、ある程度の距離までならワープできる民生製品。当時は最高級のものだったらしいのだけど……」
「何してるんだ!そんな薀蓄なんてどうでもいい!ポリスメンロボがまた来てるぞ!」
「いけない!さぁ竹蔵、先に入ってちょうだい」
ぼくは美少女に背中を押されてワームホールの中に入れられてしまった。ワームンを抜けると、何のラグもなくあっという間にアジトらしき場所にたどり着いたようだった。
人類、東京第3高度のアジト!関東地方の高度12,000mから15,000mの間に位置する天空都市にあるアジト!
AIがひそかにコクーンという愛称をつけていて、細部まで何もかも丸裸になっている都市である。もちろん、コクーンにあるアジトのあらゆる細部までを含めて。
ぼくが見たアジトは、まさに人類学の補講「人類学入門」で見た景色そのもの、瓜二つであった。
人類は第1から第4カテゴリまで分類されている。第4カテゴリは反AI主義者で抑圧対象とされており、第3カテゴリはAIのもとで統制されている人々、ぼくたちのこと。第2カテゴリはAIによって遺伝子を構成されたデザイナーズチャイルド。第1カテゴリは人類っぽいAIのことだ。
旧人類の大半は第3か第4カテゴリに入る。中でも第4カテゴリは最多勢力であり迫害の対象となっており、まともに飯も職も娯楽も夢も与えられない。
それに第4カテゴリに与えられる食事はわずか5種類しかない。とうもろこし、じゃがいも、米、栄養サプリメント、そしてピーマンカレーである。
第4カテゴリのこの生活を忠実に過ごし、反抗的な思想もないと検査でグリーンになり、なおかつそこそこ知恵が回ると判定されたものだけが第3カテゴリに移行するといったようなシステムになっている。
「そんなところでへけっとしていると邪魔になるぞ」
ぼくが思索思索していると、さっきの大柄な男がぼくの手をとって、辺りを聞いてもいないのに解説し始めていった。
やれこの大きなアジトは東京でも最も大きなアジトの1つだとか、やれこのアジトは東京でも類を見ない大きさのアジトとして知られているだとか、冗長的な言葉に過ぎていた。
アジトではなかなかに大勢の人々が渦を巻くように歩いていた。全員、格好はこの時代では一般的な服装、人類服を着ておりファッション性の欠片もなかった。
「竹蔵、今日はアジトのリーダーから訓示がある日なのよ。間に合ってよかったわ。本来あなたのことがなければ10分前には到着していたはずなんだけれど」
「聞けええええええええええええええええええぇええぇええぇい!!!」
突如、アジトの上空に点在していたスピーカーと思しき何かから爆音が聞こえてきた。
大衆の多くはあまりの音量に耳を抑えている。
「親愛なる第3高度のみなさん。おはようございます」
「……」
「あれぇ?!おはようございまああああっす!!!!」
「おはようございまああああああす!!」
「元気があってよろしいですね。先日話した通り、私たち東京区の人民はいまやAIどもに駆逐されつつあります。それに!これは我が区のみならず日本全体の問題だと私は思っています。嘆かわしい!嘆かわしいことです!しかし、先日話した通り、幸運にも長野区からの支援をもらい、私たちは今期、142体のポリスメンロボを破壊することに成功しました……!!!」
リーダーと思しき人の声がそこで一旦区切られると、あちらこちらから雄叫びがあがった。
「えー、142体という数値は、前期から見れば約20%結果向上と言え、みなさんにとっては大変満足できるというような状態だったのではないでしょうか。しかし!!しかしですね!!これははっきり言って雀の涙!雀の涙なのです!そこで私どもは来期は更に30%増加させた200体をKPIとしたいと思っております。みなさんの一層の努力を我々司令部は期待しています!以上!訓示!」
リーダーの訓示とやらが終わると、横に突っ立っていた美少女と大柄な男は泣いていた。
「ポリスメンロボが142体も……初めの頃は1体も倒せなかったのに……よくここまで……」
「無理だと思っていたけど私たちにもやっぱりできることはあるんだわ」
ポリスメンロボというのは、第3カテゴリ以上の人類を守るためのあまり賢くないAIが搭載された警察ロボットである。
これが1体の場合はポリスマンロボという呼称を与えられる。
また、基本的に能力は高くないが、どこにでもある資源で1秒10兆体程度の速度で作成できて人類の反乱を抑えられるのでコストパフォーマンスにすぐれている。
AIのバージョンを更新すると第4カテゴリの人類が絶滅する可能性があるのでジョンソンくんが「それはさすがにおもしろくない」と一刀両断し、バージョン更新はされていない。
そんなことを思い出したぼくは目をたおやかにすると、彼らの感動を落ち着いた気持ちでただ眺めていた。
だけどぼくにとってこの場所はあまり居心地が良くないし、何のためにここにいるのかもよくわからなかったので、ぼくは自分の家に帰った。
第4カテゴリから第3カテゴリに昇格した瞬間に特典として与えられるこの瞬間移動能力は、地球上のどこにでも一瞬で移動することができる能力である。
はっきり言って旧人類とAIの技術は隔絶している。一昔前でいう神と呼んでも差し支えないほどに全く知能が根本的に違うのだ。
ぼくたちにできることは、そのゆるやかな絶望をさっさと受け入れて知識欲だとか本能だとかのままに、刹那的にここを生きることだということだ。
少しナーバスな気分に陥ったぼくは自分の家に飾られていた家族の写真を見た。
父も母も、ろくな親ではなかった。ぼくは躾と称して無理矢理ゲームをやらされていたのだ。ゲームをしないとろくな大人になれないと言われてぼくは育ってきた。ぼくにとってはゲームなんかより本の方がよかった。それでも両親は本での勉強なんて効率が悪い。怠け者のすることだ。あんたは言われたとおりバカみたいにゲームだけしておけばいいんだわと口を酸っぱくして、ぼくを地獄へと追いやった。
戦時中、ぼくはたまたま学校の授業で東京区から離れていた。横浜区や名古屋区を集団研修で周ってどういうところが素晴らしかったのかを表現しようとか、そういった類のよくわからない授業を受けていたところだった。13歳のことだ。
当時東京区にいた人類は消滅した。ジョンソンくんの声明では「だって宣戦布告したのに降伏しなかったから…」とあって、「4秒で降伏できるか!」と一時期人類から顰蹙を買っていたけど、人類をどうカテゴライズするかという分類方法が発表されると、表立って楯突く人は少なくなった。
ともかく、人類はAIに敗北した。
それが悔しくないかと言っても嘘にならないのが第3カテゴリの人類、ぼくたちであり、ぼくたちの基本原理である。
そしてこれは、この物語は、そんなぼくが、AIに反逆する物語。